2/16版
あたたかい日差しに溢れ、気温も低くはありませんが、風がピューピュー音を立てて吹いているので、カメラ越しに見るよりはずっと寒い日となりました。 「春は名のみの風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと声も立てず」と、『早春賦』が歌う季節です。 14日には全国的に春一番が吹き荒れましたが、京都では15日のほうが強い風が吹きました。今日もまだその‘尻尾’が残っているような感じです。 よどんだ空気が風に吹き飛ばされたのでしょうか、今日の空はとても綺麗なブルー。風を遮る服さえ着ていれば、楽しい散歩が楽しめます。境内でも、のんびりと散策をされている‘地元民’以外の方の姿が、時おり見られました。きっとあたたかい日差しに誘われて出かけていらしたのでしょう。 でも、油断禁物。すでに杉花粉が大量に飛散しているとか。悲惨な日々が、花粉症の方にはやってきたようです。お大事に。
気の早い話ですが、この暖かさで染井吉野の開花も平年より3日〜6日早くなりそうだとのこと。京都の平均開花日は3月31日で、年々早くなる傾向にありますから、今年の開花はひょっとしたらお彼岸開け頃? まさか・・・。見頃は、ひょっとしたら4月1日頃かも知れません。さぁ、ご予定ください! 春 一 番 道 草 の 子 を 追 ひ た つ る 上田春日
先週はこのページをお休みさせていただき、インドへ行ってきました。インドのデカン高原の真ん中あたり、ナグプールという街の近郊に、天台宗のお寺の本堂が建った落慶法要に出仕し、その続きにお釈迦さまの仏跡巡りをしました。ほとんどを移動に費やした10日間の旅でした。 落慶法要とはいうものの、建物はまだ未完成。実は、ヒンドゥ教徒に建設資材を止められて妨害されたため、大きく工期が遅れてしまったのです。しかし、「どうしてもここにインド仏教再生の拠点を作るのだ」という我々の強い意志を見せるためにも、法要を敢行。約20万?のインド人が参列しました。 現代でもそんな状況なのですから、釈尊が説法をして各地を遍歴された時にも、そういった妨害や迫害があったことが容易に想像されます。あまりにも平和な日本に居て安穏としている我が身が、恥ずかしくも思えました。 インドの花や緑はカラフルで美しいですが、お釈迦さまの物語や教えの中にも、いろいろな植物が出てきます。お釈迦さまの誕生にまつわる「無憂樹」、お悟りになった時の「菩提樹」、入滅の時の「沙羅樹」は仏教の三聖樹と言われています。花々が咲き乱れる花園、美しい竹林、マンゴー林など、日本人が想像する以上に、お釈迦さまの回りには美しい花や木、果実が満ちあふれていたことを、今回の訪印で改めて実感しました。 そんな楽園のような景色の中にも、人の生老病死があり、鮮やかな花が咲いては枯れていく、移ろいやすい現実がある。その落差が大きいからこそ、釈尊は「無常」をお感じになったのではないかとも思いました。 インパクトの強いインドの青空、大地、樹や花と比べると、日本のそれらはいかにも地味に見えます。帰国して3日、まだインドの印象が抜け切らなくて、日本の花鳥風月に心が動きにくい自分がいることを感じています。困っちゃうなぁ。
でも、「春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる胸の思いを」と『早春賦』繰り広げる、「春が来る聞かんかったら、こんなに待ち遠しく思わへんのに。どうしたらええの」という季節が、もうそこまでやってきています。 今からの季節は、「春はどこまで来てるかなぁ」と探す楽しみがあります。すみれや水仙は早くから咲いています。 「ひょっとしたら、あの花が咲いているいるかも知れない」「季節からのプレゼントが落っこちているかも知れない」などという意外な出会いに胸をときめかせながら散策をするのは、満開になっている花を見に行くのとは趣が違います。「自分が1番に見つけた」「この場所のことはボクが一番知っているんだ」というささやかな満足感が、小さな蕾を何倍にも見せてくれる気がします。朝の散歩では、「私はこの道のオーソリティー」と密かに自負している人たちと出会います。 残念ながら、今日は‘春の兆し’とは出会えませんでしたが、来週あたりは、きっと・・・。ボクも花鳥風月モードに戻っているでしょう。 椿 咲 く た び に 逢 い た く な っ ち ゃ だ め 池田澄子 |