2/2版
さすが節分。節分に降らなければ他にいつ降る時があると思うほど、節分の頃は雪になります。過去30年のデーターによると、京都市の最低気温、1月28日〜2月4日の間が最も低くなります。降雪は平均すると「0」になってしまいますが、雪が降る確率はきっと高いに違いありません。 明るくなるのを待って境内に出ましたが、参道には意外なほど雪が積もっていません。今朝の急な冷え込みには、暖冬に慣れた地面を冷やすほどの力はなかったのでしょう。木の枝にはいかにも水分を多く含んでいるような雪がこんもりと付いていました。 本堂前の白砂の上だけが、雪に覆われて白くなっていました。風が吹き抜けてよく冷えるのでしょうか? 白川砂のような石の粒は冷えやすいのでしょうか? 他の地面や石畳との差が歴然としていて、奇妙に思えました。
その雪も9時半頃には一気に溶け、本堂へ向かう木の下を歩いている間に、僧衣のあちこちにシャーベット状の雪塊の洗礼を受けました。お昼過ぎには屋根の上の雪も溶けて瓦も乾き、ほんの数時間前まで雪景色だったことなど、まるで嘘のようでした。 今冬の雪はこれで終わりでしょうか? 今朝は少し寒かったですが、痛くなるような、身を切られるような寒さは、まだ今冬には経験していません。明後日は立春。このまま春に向かってしまっては、「京の底冷え」と名にし負う寒さも看板倒れになってしまいます。
でも、平安時代の王朝人は違ったようです。初雪が降れば「初雪見参」、大雪が降れば「大雪見参」といって宴を催し、雪を愛でたようです。『源氏物語』などには、あちらこちらの邸宅の庭に雪山を作った様子が記されています。大宮人や女官のような‘いい大人’が集って雪玉を作り、雪山を築いていたのです。 その頃の平安京も、雪が1尺積もったら大雪。藤原道長が「参上の上卿数少なし。之を如何せん」と嘆いているように、大雪が降ったら公卿たちは仕事をさぼってしまったようです。欠勤して雪遊びに興じていたのでしょうか? 雪を喜び愛でる余裕もなく、何としても勤めに行かなければならない現代人とは大いに違います。 雪月花を楽しめる余裕が欲しいですね。ちなみに、今日は満月ですよ! し ん し ん と 寒 さ が た の し 歩 み ゆ く 星野立子
真如堂でも「 「日数」とは来るべき1年の日数365、「心経」とは『般若心経』のことです。「日数心経」とは、『般若心経』を365回読み、向こう1年間の「天衆地類 倍増法楽 天下泰平 国土安穏 寺内安全 息災延命 参詣諸人 各願成辨 邪悪殲滅 興隆正法 無辺善願 皆令満足」などを祈る法会です・・・これを解釈すると長くなるので止めておきますね。 『摩訶般若波羅蜜多心経』の「摩訶」とは「大きい」という意味で、「摩訶不思議」などの「摩訶」です。「般若」は「智慧」。般若湯を飲むと智慧が湧く? 「波羅蜜多」は梵語で「彼岸に到る」。「心」は「中心」という意味です。彼岸へ到達するための大いなる智慧を説いたエッセンスが『般若心経』だというわけです。 『般若心経』は真宗と日蓮宗を除いて読誦する、もっともよく知られたお経ですが、「空」を説いているということよりも、霊験あらたかなお経として、あるいはもっと単純に‘適当な’長さのお経として読まれる方も多いでしょう。天台宗でも、祈祷をする時などには大概このお経を読誦します。
『般若心経』を2日間読み続けるという地味なお勤めだからでしょうか、正直なところ、この法会にお参りになる方は決して多くありません。ほとんどの方は、少し西にある吉田神社の節分祭にこれから行かれる方か、行って帰る途中の方。雪で足下が悪い今日は‘吉田さん’に行かれる方も少ないとみえて、真如堂にお越しになる方も例年よりも少なく感じました。 駐車違反の取り締まりが厳しいため、真如堂の駐車場に車を駐めて‘吉田さん’へお参りになる方が後を絶ちません。「あのー、ちょっと!」と言いたいところですが、檀信徒の方もおられるのでうかつに声をかけるわけにはいきません。「護符を授与するより、駐車場代をいただいたほうが収入になるなぁ」などと軽口を叩きながらも、本堂前のテントで「招福湯」の接待をさせていただきつつ自分の番を待ち、出番とあらば真剣に『般若心経』を読誦する2日間です。 この法会が終われば、立春。春を実感するにはまだ遠いですが、名のみの「春」の到来でも嬉しいですね。 鬼 も ま た 心 の か た ち 豆 を 打 つ 中原道夫 次回の更新は、1週間お休みをいただき、2月16日となります。またのお越しをお待ちしています。 |