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早朝には霜も降りていましたので、かなり冷え込んだのではないだろうかと調べましたが、今朝の最低気温は−0.5度。それほどでもありませんでした。暖冬に慣れてしまったので、少し冷えただけでも寒いと思ったのかも知れません。 今日の天気予報は「晴れ後雨」。だんだん天気が悪くなるという予報でしたが、夕方近くまで、あたたかい日のさす穏やかなお天気でした。 気象観測データーを見ると、「風向」欄に「静穏」と記されている時間帯があります。まるでボクの性格を表す言葉のようですが、気象用語では今まで聞いたことがありません。「風が無いか、非常に弱い場合で、風向は求めない」のだそうです。 この言葉はあたたかい日のさす、穏やかな今日の日和そのもの。その「静穏」も次第に日が陰って終わり、夕方には雨雲が近づいてきたのを感じるようになりました。
マイクロバスに乗った15人ほどの中高年女性たちのツアー。このツアーはほぼ毎週見かけますが、どういうキャッチフレーズのもとに集った人たちなのでしょう。「京の閑散たる寺めぐり」ご一行様? 貸し切りタクシーの観光客が数組。今ごろ京都に来ようという方はリッチなのでしょうか? 女性2人連れ数組。何もない今の時期の真如堂になぜお越しになったのか、聞き取り調査をしたいぐらいです。 時間もゆったり流れる‘何もない’境内。‘人口密度’は50メートル四方に1人より疎らでしょう。紅葉時分のような喧噪は影も形もなく、どんな過ごし方をしようと、誰にも遠慮する必要がありません。寒くさえなければ、いつまでものんびりしたいと思います。 でも、このページの更新をするには‘ネタ’に乏しく、ちょっと辛い季節です。 塔 に ひ と か た ま り の 冬 日 か な 矢島恵遠
犬の体は地面に近い分だけ、私たち人間よりも夏はより暑く、冬はより寒く感じているはずです。冷え込んだ日の朝早い散歩は、なおさら寒さが堪えるでしょう。まして、‘裸足’なのですから。 先日、うちの愛猫‘さくら’の肉球に冷えた部屋に置いてあった蜜柑をくっつけてみました。さくらはビックリして、足を震わせていました。足の裏がこんなに暑い寒いに敏感だとは思いませんでした。ゴメンね、さくら。 冬の地面は日によっては氷点下、夏のアスファルトの上は40度を優に超すでしょう。そこを歩いて平気な顔をしているのですから、寒中水泳をして震えている人や火渡り行者も顔負けです。 散歩している犬を見ていると、それぞれ性格があるのがよくわかります。また、飼い主さんたちも十人十色。ゴールデン・レトリバーは、とっても人なつこいですね。飼い主も美人でした。 正面参道を登ってきたおばあさんが、「ミーちゃん!」と一声発するやいなや、物陰から三毛猫ミーコがもんどり打って出てきました。「そんなしたら歩けへんがな」とおばあさんに何度も言われるほど、ミーコは足にまとわりついたり先に立ったり。そんな振る舞いをするミーコを初めて見ました。きっと何か‘いい事’が待っているのでしょう。
今日、境内を写真を撮って回っている時、正面参道から本堂の裏に至る各所で、割れた蝋燭立てや線香立てを目にしました。今までも落ちていることは知っていましたが、「誰かが誤って落として割れたのだろう」と思っていました。まさかカラスの仕業とは・・・。 割れた蝋燭立ての位置は、昨日と今日とでは違っていました。拾っては落としを何度も何度も繰り返しているのでしょう。 いつもの職員に聞くと、彼も目撃したとのこと。「きっと割れる音が面白いのでしょう」という意見でした。 それにしても、それらを盗られたお墓はお気の毒。カラスが犯人では苦情の言いようがありません。今も窓の外では、「カァー カァー」という声が聞こえています。 冬、カラスは他の季節にも増して大きなねぐらを作るのだとか。この遊びを覚えたカラスが、夜、ねぐらに帰って、「こんな面白い遊びがあるでカァー」などと、仲間に教えてまわっては堪りません。
鐘楼堂の脇にある蝋梅の小木が、いま満開を迎えています。鐘楼から三重塔の写真を撮っていたら、甘い香りが漂ってきて、思わず引き寄せられました。でも、木のそばへ近づくと、あまり匂いません。不思議。匂いに包まれて、麻痺してしまったのでしょうか。 十月桜も、昨秋からずっと咲き続けています。見た目にはそんなにたくさんの蕾が付いているようには思えないのですが、次から次へと枝に蕾が湧いてくる感じで、絶え間なく咲き続けています。「不断桜」というのはこういう状態なのでしょうか。こんなに花期の長い木を、他に知りません。 梅も咲き出して紅梅と間違われてしまいそうなので、「十月桜」と木札を立てて、桜に代わって主張してあげました。花の少ない時期にホッとさせてくれる、癒し系の花です。 さて、1月26日は天台宗の「開宗記念日」です。 伝教大師は入唐求法の旅から帰られた後、法華経を中心とし天台大師の教えを根本にした仏教を 「年分度者」とは「1年間に得度することが割り当てられた者」ということです。当時、得度をするにあたっては朝廷の許可が必要で、南都六宗にのみ年分度者が割り当てられていました。 桓武天皇は伝教大師の奏上に応えて、今から1201年前の今日(延暦25年=806年)、 日 脚 伸 び い の ち も 伸 ぶ る ご と く な り 日野草城 |