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境内はあいかわらず静かです。紅葉の頃がまるで嘘のようです。 昨日から境内のお堂の屋根の葺き替え工事が行われていて、いまは古い瓦をめくって屋根から降ろす作業が進められています。瓦同士がぶつかる音や機械の音がしているのですが、あたりの静寂に吸い取られて消えていくような感じで、不思議と耳障りではありません。 境内を歩いているのは、犬の散歩、墓参など、ほとんどが‘常連さん’。「どうしてガードマンの格好をしているのだろう」といつも不思議に思う、ベンチで食事をする男性も‘常連さん’。 毎日変わらない人々が往来し、昨日・明日とも大して変わらないであろう時間が流れる冬の境内は、静かで淡々としています。
真如堂と相対する宗忠神社の参道で後ろを振り返ると、桜の梢越しに、大文字を背景にした真如堂の伽藍が俯瞰できます。「本堂は大きいなぁ」と感心しながら、何度も振り返りつつ石段を登りました。 宗忠神社は黒住教の神社で、社殿も150年ほど前に建てられたばかりです。この参道脇の斜面には、明治の頃まで茶畑が広がっていたそうです。 写真に写っている鳥居と真如堂の総門の間の左側に見えるわずかな緑は、陽成天皇神楽岡東陵です。 陽成天皇は清和天皇の皇子で、貞観10年(868)に生まれ、わずか9才で即位しましたが、暴虐な行動が絶えず、17歳の時に引き起こした殺人事件を契機に皇位を退かされ、以後65年の長きに渡って上皇の地位にありました。「源氏」の祖はこの陽成天皇で、本来なら「陽成源氏」とすべきところを、暴虐の祖を恥じた頼朝によって一代繰り上げられ、清和天皇を祖として「清和源氏」としたそうです。 陽成天皇陵は後世になってどこにあるのかわからなくなり、結局、真如堂門前にあった酒店の後ろの竹林の小丘がそうだろうということになって、御陵として定められたそうです。曖昧な話です。 この御陵の道の向かい側は、地面が3メートルほど落ち込んでいます。江戸期の図面には、ここは小舟が浮かぶ沼として描かれています。この沼を水源とする「福ノ川」という川がありました。大雨が降ると近くにあった火屋(火葬場)の六文銭が、この川を流れていったといいます。今、川は暗渠になっていますが、「福ノ川町」という地名で残っています。お金が流れてきた川なので、「福ノ川」なのです。
せっかくここまで来たのだからと、大正時代の建物をカフェとして使っている「茂庵」に立ち寄りました。観光シーズンの頃は、1時間待ちも珍しくない人気スポットです。 吉田山の尾根に立つ茂庵の東の窓からは大文字山が、西の窓からは京都市街や西山が見渡せます。町中に居ながらにして山中の風情を楽しみたいと考えてこの建物群を作った数寄者の意図が、今の時代の人にも受け入れられての盛況なのでしょう。 東の窓際に陣取り、柄にもなくケーキセットを味わいながら大文字山を見ると、その中腹あたりに赤く見える木が点在していました。実は、この光景も撮りたくて、午前中、境内をウロウロしていたのです。 何のことかわからないですね。説明させていただきましょう。 今朝、ボクが境内で写真を撮っていると、いつもの職員が遠く離れたところから大きな声で話しかけてきました。なにやら興奮しているのが気配で感じ取れました。よく聞こえるところまで近づいてみると、「これ、タマミズキです」と、赤い実がいっぱい着いた枝を差し出しました。「タマミズキ? えっ! 行ってきたの!?」と、予期しない展開にボクは大いに驚きました。 先日、他の職員に、「庭の説明をしているときに、大文字山に『点々と赤く見えるのは何ですか?』とよく聞かれるのですが、何でしょうか?」と尋ねられました。その赤く見える木については以前に調べたことがあったので、自坊に帰って植物図鑑をコピーし、「この木の実です。タマミズキですよ」と教えてあげました。 その後、職員の間でこの実のことがブームになったのでしょうか? 実を差し出した職員は、わざわざ大文字山の麓を探し歩いて、鳥が突いて落としたというこの実を拾って持ち帰ったのです。また、銀閣寺あたりに住む別の職員は、「近所の人は、赤く見えている木がナナカマドか、トリモチの木だと言っています」と話し、その木の位置情報や季節による移ろいの様子を説明してくれました。 赤く見える木を巡って、70歳を超えた男性たちが競い合っているのは明らか。まさか、こんなに話題沸騰とは・・・。でも、それほど印象に残る、赤い木が点在する東山の景色なのです。 11〜12月頃と比べて、その実の赤さは遠目に見てもずいぶん褪せてしまっていますが、濃い緑の多い山肌ではいまだによく目立っています。もらった実もかなり萎んでしまってはいますが、往時をしのばせる華やかさがありました。 ボクも初めて見たタマミズキの実に感動し、またカフェの歪んだガラスにカメラのレンズを押しつけて写真を撮りました。皆、「あれは何だろう?」と思っていた謎が解けていく喜びを感じていたのでしょう。ちょっと大げさですか? あまりに吉田山でゆっくりしてしまい、境内に帰ったら、すでに薄暗くなり始めていました。「今日の散歩道〜吉田山編」です。 遠 山 に 日 の 当 た り た る 枯 野 か な 高浜虚子
京都では、昨年10〜12月の平均気温が平年より0・7〜1・7度も高かったようです。世界的にも、エルニーニョ現象などによって、昨年12月の世界の平均気温は統計史上最高だったといいます。 寒いときは寒いようにあってくれないと、季節の楽しみを満喫することができません。早朝、霜柱の上をガサガサ歩いてみたり、水たまりの氷の厚さを試しながら渡ったり、池に張った氷に石を投げて割ったり。そういう‘癖’はいくつになっても抜けません。そんな楽しみを味わえる日が、今年はまだ1日もないのが残念です。 よく、京都の寒さを「底冷えがする」といいます。晴れて風の弱い朝は、足元の気温が低くなる「底冷え」になりますが、盆地の京都は冷気がたまって「底冷え」することが多いのです。 気温の観測は、地面から約1.5メートルの高さで行われますが、たとえば顔のあたりの気温が3度でも、股のあたりでは2度、足首は1度、足元では0度くらいと下がっていくそうです。気象台の発表が「最低気温3度」であっても、霜や氷が観測されるのはこういう事情もありそうです。納得。 ということは、背丈の低い子供は、大人よりもいっそう寒さを感じているはず。犬や猫はなおさらです。逆に、夏は地面の照り返しを大きく受けます。かわいそうですが、避けようがありません。 また、墓地はいっそう寒く感じます。地表近くで冷やされた墓石の冷気がいつまでも漂っていて、なおさらそう感じるのでしょう。 野良猫を見ていると、夏はどこが涼しくて、冬はどこが暖かいかがリアルタイムでわかります。「冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでも」などと言っているのは、人間だけですね。
椿の花も、これから春にかけて順次咲いていきます。自坊の前では水仙の花が目立つようになってきました。馬酔木の花はこれから。蝋梅も咲いています。目をこらしてみると、スミレの花も見つかるかも知れません。 花の少ないと思われがちな厳寒期ですが、気をつけて見ると、思った以上にたくさんの花を見つけることが出来ます。 漫然と境内を歩いていても、向こうから飛び込んでくるほどの派手さは、今の時期の花には少ないでしょう。あるとしたら、せいぜい赤い椿ぐらいでしょうか。 野山に梅の花を探して歩く「探梅」という言葉がありますが、今の時期は「何か咲いてないだろうか」などと、花を探しながら歩く楽しみがあります。見ようとすればいろいろなものが見えてくる、たくさんの出会いがある。それが今の時期かも知れません。 宝探しのような冬の散策を、ぜひともお楽しみください。 冬 の 水 一 枝 の 影 も 欺 か ず 中村草田男 |