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           まだ明るくなりきらない8時頃の境内      マウスを載せれば写真が変わります
 ところどころに薄っすらと霜の降りる朝でした。
 車は霜で白くなっていましたが、地面の落ち葉などは場所によってほんのわずかに白くなっているだけ。あまり厳しくは冷え込みませんでした。
 2時半頃までは文句なしの快晴。家の奥まったところにいるより、屋外にいるほうが余程あたたかいだろうと思われるような、やさしくあたたかい陽射しの注ぐ、穏やかなお天気でした。
 でも、好天もそこまで。その後は一気に曇ってしまい、空は青色から灰色へ。そしてやがて夕焼けもせずに暮れてしまいました。
 明日は小寒。その名に違わず、冷え込みが厳しくなって、場所によっては大荒れになるとか。その後もしばらくは雪や雨の日が多いということですが、せっかくの成人式は晴れてあげてほしいものです。

 季節の移ろいに応じて表情を変えていく境内の様子をお伝えするのが趣旨のこのページですが、ボクは今日1日、祈祷札を持って朝から夕方近くまで檀家宅を回っていたものですから、今日の境内がどんな表情を見せていたかを知りません。

       主のいない、冷え切ったベンチをあたためる朝の陽     マウスを載せれば写真が変わります
 冬の朝の光は、まず本堂の両脇、特に南側から差し込んできて、境内を明るくしていきます。その後、太陽が本堂の屋根を越えると、境内全域が光に包まれるようになっていきますが、今日、ボクが出発したのはその少し前でした。
 祈祷札を持って回りながら、「あー、こんないい天気なのになぁ・・・青空をバックに本堂や塔が綺麗だろうなぁ・・・本堂前の白砂で遊んでいる子供がいるかも知れないなぁ・・・残念だなぁ」などと想像し、悔しい思いをしていました。
 カーラジオの天気予報は、近畿南部からお天気が崩れ始めていると伝えていましたが、あまりに好天だったので、自坊に帰る頃にはまだ日も差していて、夕方の景色が写真に撮れるだろうと期待していました。ところが、帰り着いた頃にはすっかり薄暗い曇天。写真を撮る気も失せてしまい、早朝急いで撮った写真だけになってしまいました。
 ということで、「今日の散歩道」ならぬ「朝の散歩道」です。まぁ、こういう時もあります。




       我   と   云   ふ   友   も   あ   り   け   り   冬   日   向        水島 稔




    普段より多めの参拝客〜秘蔵の4日に撮り置きした写真より   マウスを載せれば写真が変わります
 三が日は過ぎましたが、境内を訪れる人はまだ普段よりも多めです。
 昨日も観光でお越しになる方の姿を案外たくさん見かけましたし、墓参をされる方もまだまだおられました。
 そんな事情を知っているのか、昨日の真っ昼間、車上荒らしが出没し、後部ドアのガラスをハンマーで割って鞄を盗み去りました。被害に遭われたのは横浜から墓参に来られた方で、鞄には大切な書類が入っていたそうです。警官の話では、黒谷でも最近頻発しているとのこと。
 現在、朝1人、昼1人の賽銭ドロボウが、真如堂に来るのを日課としています。でも、その人たちは紳士的?で、挨拶はするし、人や物に危害を加えるようなことはありません。
 でも、車上荒らしは大きな犯罪にも繋がりかねません。警戒を強めなければ!

           黙 し て 語 る 冬 木 立     マウスを載せれば写真が変わります   
 いつもは年末までに枯れ葉の掃除が終わるのですが、今冬は職員のマンパワー不足と、京都市の条例などによって枯れ葉を焼却処理できなくなったというダブルパンチで、まだ境内の至るところに枯れ葉が残っています。
 例年、寒の入り頃になると、境内の雰囲気が凛としてきて、そこを通る者の心も研ぎ澄まされていくように思えるものですが、今年はまだそんな感じを受けません。暖冬で身心が引き締まらないことも大きな要因ですが、境内が何となく雑然としているということも影響しているのかも知れません。
 目を上に転じてみると、木々の幹や枝に、若葉や紅葉の頃の饒舌さとは打って変わった寡黙さを感じます。でも、一見寡黙でありながら、‘一言一言’に多くの‘含蓄’があり、伝えようとするものは決して少なくないように思えます。文学でいうなら例えば俳句、ジャズなら、圧倒的な音量の管楽器の合間にポツリと鳴るカウント・べーシーのピアノです。
 もっと寒く凛となり、もっと多くを語って欲しいと思いますが、ボクは決して寒いのが得意なわけではありません。ただ、誰にも邪魔されずに、自然の息づかいに触れたいのです。


 誰が、何のために? どんぐりの整列 / 「煙草をやめました」 カラス マウスを載せれば写真が変わります
 景色の移ろいが緩やかになって、1週間経ってもほとんど変化がない季節がやってきました。更新者泣かせではありますが、目まぐるしく景色が変わる季節では見落としてしまいそうな、‘ささいな出会い’の季節でもあります。
 本堂右側の参道のはずれの木陰に、「小林君之碑」という2メートルほどの石碑が建っています。第1次世界大戦に義勇兵としてフランス空軍に所属し、空中戦で戦死した小林祝之助氏を記念する石碑で、大正14年に建てられました。
 その台座の石の上に、どんぐりが8つ列べて置いてありました。誰の仕業でしょう? 子供にしてはそのならび方は整然とし過ぎているような気がします。大人? 大人がこんなことをするでしょうか? ・・・ ボクはしそうな人を何人か知っています。何のために? 単独犯かそれとも共犯か?
 この整列したどんぐりを見た途端、いろいろな想像が広がって、とても愉快になってしまいました。
 「そんなもの、何が面白いの?」と言われれば身も蓋もありません。ゴメンナサイ。ちょうど、梶井基次郎の『檸檬』の感覚なのですが・・・。
  冬の花NO1に推薦します / ヒミツの場所で咲き始めた馬酔木   マウスを載せれば写真が変わります
 墓参の人に狙いをつけるのは、車上荒らしだけではありません。元祖はカラスです。もっとも、カラスの狙いはお金ではなくお供え物です。
 自坊の庭の梅の木に、何やら色合いの違うものがチラッと見えました。近付いて手にとって見ると、それは真っ新の煙草で、箱の側面には、まさしくカラスがくわえた時に開いたとしか思えないような穴がありました。
 カラスは食べ物だろうと思って、お墓に供えてあったこの箱を取ってきたのでしょう。でも、くわえた時の異様な匂いに食べ物ではないと気がつき、「チェッ! こんなもの食えねぇや!」と放ったものが、ヒューーッとこの木の上に落ちてひっかかったのでしょう。
 写真に撮ってみて気がついたのですが、この梅の木の腐った部分からは、千両、樒、南天、シダなど、いろいろなものが芽吹いているではないですか。これも鳥たちの仕業です。
 こんなささいなことに目が向くのも冬ならでは。誰も知らないようなことを発見する喜び。だから、‘冬の境内フェチ’ってやめられないのです。
 自坊の前では、水仙が次々と咲いてきました。水仙の香りも大好きです。馬酔木の花もわずかに咲き出しました。どこに咲いているかは、ヒ・ミ・ツ!
 皆さんもじっくり時間を掛けて、真如堂〜黒谷を歩いてみられたらいかがですか? ただし、車の中に貴重品らしき物が置いてあるように見られないようにしてくださいね。




       水   仙   を   接   写   し   て   口   尖   り   ゆ   く        今井 聖