12/22版 




     陽射しの中の明るい境内 / 夕刻の本堂前    マウスを載せれば写真が変わります
 あたたかい冬至の日となりました。
 今年ももうすっかり押し詰まってきましたが、厳しく冷え込む日はまだありません。昨日、本堂のすす払いをしましたが、寒さに震えることも、手がかじかむこともありませんでした。
 「去年の今頃は雪が降りましたね」「そうですねぇ」という会話を2〜3人の方としましたが、実はボクの記憶は定かではありませんでした。自坊に帰って昨年のこのページを開いてみると、ちょうど1年前の今日、日本列島は大寒波にみまわれ、各地で大雪。京都市内でも10センチほどの積雪があり、最低気温も−3.7度だったようです。そういえばそうだったかも・・・。
 この先1ヶ月の予報では、気温は全国的に平年よりも高い見通しだとか。これから催される大晦日の除夜の鐘や元旦早朝のお勤め「修正会しゅしょうえ」など、寒さが厳しくないと大助かりです。どうか、あたたかい大晦日・お正月でありますように。でも、お正月にスキーに行かれる方は、ちゃんと雪が積もってくれるか心配でしょうね。


    手水に差し込む光 / 本堂裏の落ち葉の上にも光   マウスを載せれば写真が変わります
 薄曇りがちで、時々青空が広がる天気だった今日。境内を訪れる人はまばらで、ほとんどは散歩やお参りを日課にされている方でした。たまに観光客らしき方も来られましたが、今日の拝観者数はおそらく一桁止まりでしょう。
 人影の少ない境内からは、木々や鳥たちの息づかいが聞こえてきそうです。
 本堂裏のもみじ3本がまだ紅い葉を梢に残していますが、それ以外のもみじ、カエデ、桜、銀杏などの落葉樹はすっかり葉を落とし、境内が見通せるようになりました。
 新緑や紅葉の時期は緑や赤の「色」が楽しめますが、葉を落とした今は、木の「形」を見ることができます。
 カエデや銀杏は直幹で、天を差すように枝を伸ばして行きます。桜は少しでも光を受けようと横に広がっていきます。もみじは、上に延びようとする時期と横に広がろうとする時期があるように思います。
 同じ種類の木でも、木の個性なのでしょうか、真っ直ぐに伸びようとするものもあれば、
    高く延びるタイプのもみじの枝 / ゴツゴツした菩提樹の樹形 マウスを載せれば写真が変わります
曲がりくねって伸びる木もあります。多くの木は、若木の時は真っ直ぐ伸びても、老木になるとゴツゴツしてきたり、コブが出来たり、いきなり枝枯れしたりして、樹形が変わっていきます。木も歳を取ると、ちょっとひねてくるみたいですね。
 木々の形を見ていると、「ちょっと‘体’をこわしているのと違うかぁ?」「年取ったなぁ」とか、「ちょっと欲張りすぎやわ。他の木が影になってしまうやんか」などという会話が出来るように思えてきます。
 木々の形を楽しんだり、木たちと会話をすることは、‘装飾’が取り払われた冬ならではの楽しみ。ボクが冬の境内をお勧めする理由の一つです。
 京都独特の底冷えがしてきて、霜柱が立つほど冷え込むような日になれば、木々の形がなおさら凛として見えきます。暖冬の今冬、そんな日はまだまだのようですね。




        立  ち  ど  ま  り  顔  を  上  げ  た  る  冬  至  か  な       草間時彦




   スミレ、見っけ! / 勢いを増す彼岸花の葉   マウスを載せれば写真が変わります
 紅葉の季節が終わり、境内の景色の移ろいが鈍くなると、自然と視線が地面に落ちて、小さな変化を探すようになります。
 『枕草子』に、「なにもなにも、小さきものは皆うつくし」というくだりがあります。小さな生き物や植物のたたずまいの中に、清少納言は美しさ、かわいらしさを見い出したのでしょう。
 落とした視線で見つける大半のものは「小さきもの」ですが、そこには季節の変化が凝縮されているようにも思えます。
 枯れ葉の中に、一点鮮やかな紫色のスミレの花を見つけました。例年、スミレの花を見つけるのは年が明けてから。今年はずいぶん早く咲き出しました。やはり暖冬のせいでしょうか。
 小さくありませんが、落ち葉掃除が済んだ原っぱから、彼岸花の葉が姿を見せました。
 彼岸花を知らない人はおられないでしょうが、これを見てその葉っぱだとわかる人は少ないのではないでしょうか?
 花が咲いている時に葉はなく、葉が出ている時には花が咲かない。韓国ではこの花のことを「相思花」と呼びます。花は葉を思い、葉は花を思うという意味です。
 木々の葉が落ち、太陽の光をいっぱい受けられるようになった彼岸花の葉。これから新緑の頃までに、日の光を満身に享受してください。

    苔の上の山茱萸の実 / 髭のような葉に隠れる玉   マウスを載せれば写真が変わります
 本堂裏の苔の上に、山茱萸さんしゅゆの赤い実が落ちているのを見つけました。
 この実は苦いので鳥さえ食べないと思っていましたが、昨日のすす払いの合間に、ヒヨドリのような鳥がこの実を突いているのを見ました。突いてみたけれど不味かったので食べなかったのか、木の下にはポツリポツリとこの実が落ちていました。
 小さく赤い実が、緑の苔の上にふんわりと着地したようで、このままここで眠りについていくのだろうなぁと思いました。
 龍の髭の細長い葉の間に、コバルトブルーの玉がきらりと光っているのが目に留まりました。「龍の玉」です。
 まだそれほど色鮮やかではありません。寒さに当たったほうが色が冴えてくるのかも知れません。
 季節が止まったように思える境内にも、たくさんの小さな出会いがあります。その瞬間には、心の中で小躍りしたり歓声をあげたくなったりします。「小さきものは皆うつくし」。これも、ボクが冬の境内をお勧めする理由の一つです。
 仏教に「一念三千いちねんさんぜん」という教えがあります。ごく簡単にいえば、ミクロな事象の中にも、マクロな世界の真理が凝縮されてされているということになるでしょうか。こんな小さな実や花にも、季節の移ろい、大自然の営みが凝縮して現れている・・・本当にその通りだと思います。
 24日は、全国高校駅伝。京都のロードレースシーズンの幕開けです。先日来、中継のリハーサルをするヘリコプターに、せっかくの静かな境内が脅かされていました。ヘリの音も、今では冬の京都らしい出来事になりました。
 さて、今夜は柚子湯に入ってあたたまろうっと!



        い  つ  し  か  人  に  生  ま  れ  て  い  た  わ   ア  ナ  タ  も  ?     池田澄子