12/8版
髪の毛のないボクの頭は外からの刺激にひときわ敏感ですが、タオルを巻いていたので雨に気付かず、敷き落ち葉の上に落ちたる「カサカサ カサ」という音で、雨が降ってきたことを知りました。それはそれは、とても可愛い音でした。 雨は一晩降り続き、今朝、夜が明ける頃にはあがりました。まだ濡れている石畳を歩く自分の足音だけが聞こえてくる静かな境内。1週間ほど前までの賑わいが、まるで嘘のようです。 その静寂を破るのは、落ち葉を吹き飛ばす機械のエンジン音。犯人はボク。濡れた落ち葉は石畳にくっついて飛びにくく、ついついエンジンを吹かしてしまいます。 自坊の前から塔の横の参道を吹いて登り、本堂前から右脇の参道をぐるっと回って本堂裏までの落ち葉を吹き飛ばした後、正面参道に戻って石段の落ち葉を真ん中から吹き分け、また自坊に戻りました。落ち葉の量はすでに減っていて、掃除をする時間は往時の半分程度しかかかりませんでした。
夕方、もう一度掃除を試みましたが、落ち葉が風に押し戻されたり、次から次へと降って来て切りがないので諦めました。もう訪れる人もわずか。今日は落ち葉の自由にさせてあげましょう。 自坊の前の落葉は今日がピーク。気がつけば、枝に残っている葉はもうわずかになっていました。時間はどんどん流れていたのですね。 あまりいいところがなかった今年の紅葉もいよいよ終わり。多くの人を楽しませてくれてありがとう。しばらく、冬の眠りに就いてください。 落 ち 葉 降 る こ ん な と こ ろ に 待 た さ れ て 後藤比奈夫
紅葉も終わろうとする今頃お越しになっているのは、11月に列車やホテルが取れなかった方? 人混みが嫌でタイミングをずらした方? ツアーやホテルが安くなるのを待っていた方? この季節の京都の良さを知っている方? さて、どういう方なのでしょう? 11月中旬以降は、京都のどこへ行っても紅葉が楽しめ、ライトアップや様々なイベントが目白押し。そんな京都を求めて、今年もたくさんの方が入洛されました。入洛者数は、おそらくまた更新されたのではないでしょうか。 紅葉の京都は、どこへ行っても人、人、人。ボクも、今季唯一、紅葉で有名な東山の寺へ行きましたが、遊園地などのアトラクションに乗る順番を待つかの如きジグザグのロープが張られ、入‘場’するために並ばなければいけません。
車は渋滞して動かず、一度その渦中に入り込んでしまうと、身動きも取れません。ボクの知人は渋滞に巻き込まれて、飛行機に乗り遅れました。 観光地では食事をするにも順番待ちをしなければなりません。ホテルは正規料金で、市内に泊まれたら幸運。大津や大阪に泊まって、京都に通うという方もたくさんおられます。 そんな思いまでして京都にお越しになる方を見ていると、とても気の毒に思えます。でも、逆に言えば、それが京都の紅葉シーズン。その覚悟の決め方次第で、「京都通」かどうかがすぐにわかります。
紅葉がピークの頃に訪れた方に比べ、ほとんど紅葉が終わろうとしている今お越しになる方はお気の毒だと思われるかも知れませんが、決してそうではありません。ボクはむしろ、「いい時にお越しになりましたね」と言ってさしあげたくなります。 確かに、紅葉の盛りの頃のような華やかさはありませんが、今の季節ならではの枯れた、趣深い景色と静寂があります。凛とした空気が漂ってきます。いろいろな鳥の声、吐く息の白さ、モノクロの世界の中に山茶花や寒椿など色の付いたものを見つけた喜び。それらは今からの季節でないと味わえません。 人波に押されて見る紅葉を車の窓から見る風景に譬えたならば、今からの徒歩か自転車に乗って見る景色。速く走ったがために見落としたり、気がつかなかったりすることはなく、‘深さ’という点においてはむしろ今からのほうが優っている気がします。 どちらがお好みかは人それぞれ。「そうだ 京都、行こう。」などと誘ってはくれませんが、今からの京都こそ、オススメの‘逸品’です。
小さな国の王子として何不自由ない生活を送っていたお釈迦さまは、29歳の時、人生が老病死の苦に満ちていることを知り、それを超える道を求めて出家されます。 6年間の命がけの苦行の後、苦行では解脱を得ることはできないという結論に達して苦行を放棄し、村娘スジャータの供養した乳粥で体力を回復して、川の畔の大きな菩提樹の下で瞑想に入られました。 そして、12月8日の夜が明ける頃、お悟りになりました。35歳の時でした。 すべてのものはいつも同じ状態ではない。すべてのものは様々な原因や条件によって、相依りあって成立しているのに、目に見える、限られた自分の存在だけに固執するから苦しむのである。すべてのものの真実の姿が明らかになった時、真の安らぎが開ける(「諸行無常 諸法無我 一切皆苦 涅槃寂静」)。そうお悟りになりました。 禅宗などでは、成道会の頃に「 「蝋八」と聞くと、年末を感じます。今年も残すところ3週間余。何かと気ぜわしいですが、心を亡くすことのないように努めたいと思っています。 佗 助 が 咲 け ば こ の 年 か へ り み る 森澄雄 |