11/10版
7・8日には気温が下がり、8日の朝は5度以下になりました。11月下旬頃並みの最低気温です。 紅葉が始まる温度は8〜7度、綺麗になってくるのは5度程度以下とか。この冷たさに刺激されたのか、境内のもみじが、「待ってました!」と言わんばかりに、急に色づき始めました。 カエデは黄色や赤みを増し、木によっては今が最高です。もみじも、枝先が紅くなったり、全体的に緑が濁ってきた木、異様に真っ赤になっている木、黙して動かない態度をとっている木など様々で、境内にはいろいろな色が入り乱れてきました。 「紅葉している」とはまだ言えませんし、全体としては基調はまだ緑ですが、「もう紅葉している!」とフライングしてお越しになった方にも、少しは‘紅葉’を楽しんでいただけるようになってきました。3日ほど前にお越しになった方、わずかな差でお気の毒さまです。 でも、冷え込んだのはその1日だけ。今日も動くと汗が滲むほどでしたし、しばらくは平年よりもあたたかい日が続くそうです。冷え込んでくるのは来週後半。来週の土日頃からは、加速度的に紅葉が進んでいくでしょう。見頃は・・・今月末〜12月でしょう。
紅葉が一番綺麗なのは、晴れた日の朝夕。朝の斜めに差してくる光、夕方の赤みを帯びた光。そんな光に照らされたら、凡庸な色づき加減の葉っぱでも、ステージライトを浴びたようにキラキラと輝いて、実力以上の素晴らしい色を見せてくれます。 昼日中の真上から差してくる光は、すべてを露わにしてしまい、見せ方も平面的。なんと演出下手なのでしょう。すべてを隈無く見せてくれなくてもいいのです。「私のここを見て!」と、紅葉した葉っぱが自慢したいところだけを見せてくれれば。真昼の光はお節介です。 て り た て て 夕 日 う す づ け 初 も み ぢ 野童
ツアーなども増えてきて、旅行社のバッチを付けた人たちが、寄せては引く波のように、ワァーッとお越しになっては、ザァーッと帰って行かれます。 観光タクシーも、常に駐車場に駐まるようになってきました。自家用車がまだ少ないところをみると、お越しになっているのは京都市内や近県の方よりも、遠方の方々なのでしょう。「そうだ 京都、行こう。」に煽られた人たちかも知れません。「あ、まだあまり色付いてないわねぇ。あっ、あそこ綺麗よ!」などと、色付いた木から木へと渡って行かれます。 境内で、ゆったりのんびりお過ごしいただけるのも、たぶん今日まで。11・12日頃から、一気に人が増えるでしょう。いよいよやってきます、大変な季節が。
永観堂、青蓮院、高台寺、圓徳院、圓光寺はすでに実施。知恩院 、天龍寺宝厳院、宝泉院は今夜から、清水寺は明夜から、実相院は15日。貴船神社や叡山電鉄沿線、嵯峨野トロッコ列車も今夜からです。 「綺麗だろうなぁ」と思うより、「もみじも夜まで働かされてかわいそうに・・・」「近所の家の人たちは、夜まで騒がしくてお気の毒」という気持のほうが先に立ちます。 真如堂もライトアップしていると勘違いしてお越しになる方が、結構おられます。夜は静かな時間を・・・。 京都古文化保存協会の秋の特別拝観も今日から本格的に始まり、今年から宇治市の社寺も加わって、過去最高の19ヶ所で実施されます。また、蓮の寺で知られる法金剛院では「金目地蔵」が37年ぶりに公開されるなど、この時期の京都は話題を欠くことがありません。
子供の頃の印象では、「お十夜」はもっと寒く、鉦講の人たちも火鉢で手をあぶったり、お酒で体を温めながら、鉦を叩いておられたように思います。15日頃には、もみじも真っ赤でした。 今夜、写真を撮りに暗い境内に行きましたが、薄着をしていても全然寒くありませんでした。それだけ温暖化が進み、紅葉も遅くなったのでしょう。 「お十夜」は、後に足利幕府の執権職に就いた伊勢守貞国が、真如堂に籠もって念仏行をしたことに始まります。後に後土御門天皇の勅命により鎌倉光明寺でも行われ、全国の浄土系寺院に広まりました。 伊勢家は、将軍や諸大名に礼法などを教授する家柄で、将軍の後見的な存在として権力をふるった時期もありました。平貞国公は、応永17年(1410)に幕府政所執事に就任、宝徳元年(1449)に辞任し、享徳3年(1454)に没しています。
つい先日、ネット検索で調べ事をしていた時、江戸時代の地誌の某寺院の記述に、「貞国公が檀家となり、身につけていた刀を納めた」という箇所を見つけました。大発見です! さっそくその寺に電話をしてみたところ、貞国公の一族の墓地があり、石が風化して墓碑銘は読めないものの、貞国公の墓石もあるはずだと、住職が説明をしてくださいました。「やった・・・」と、静かな感動が押し寄せ、鳥肌が立つ思いでした。 残念ながら、その寺との都合が合わず、まだ貞国公の墓所にお参りできていませんが、お十夜間近の大発見に、深い縁を感じました。そんな出来事のあった後の十夜の鉦の音は、またいっそうゆかしく感じられるのです。
去来は、この句を元禄7年(1694)の6月末から8月末、真如堂であった善光寺如来の出開帳にお参りして詠みました。 涼しい季節で念仏の声が境内に満ちていた頃とすれば、お十夜の頃かとも思いましたが、6月末から8月末、新暦に換算すると7月末から十月初めのことでした。元禄の頃は10月初めでも、もう涼しかったのでしょうか。 句碑に石蕗がよく似合っていました。 最近、朝の散歩で背の高い樫の木が何本も生えているところを通りがかった時に、「カサ カサカサ カサ」という音が頭の上の方でして、ポトンと目の前やすぐ後に何かが落ちることがよくあります。どんぐりです。ボクは「どんぐり爆弾」と呼んでいます。 どんぐりって、どうしてあんなに魅力的なのでしょう? そんなふうに感じているのはボクだけでしょうか? 見ていると、 華やかな紅葉の道もステキですが、どんぐりの音が聞こえてくる小径が、ボクは大好きです。 ど ん ぐ り が 一 つ 落 ち た り 一 つ の 音 細見綾子 |