9/8版
今日は昨夜からの雨も上がり、「雲が主役」と言っていた天気予報ははずれて「太陽が主役」。強い日射しがカッと照りつけています。気温は盛夏の頃のようには上がりませんが34度超。今日は紫外線がすごく強いような気がします。 いったんは地面に潜んでいた夕べの雨が、日射しに照らされてもう一度漂い出し、蒸し蒸しとした空気を作り出してしまいました。 カッと照りつけられたうえの蒸し蒸しでは、堪りません。とにかく日陰をたどって歩きたいという気持が、本能的に湧いてきます。特にボクなど、頭は‘直火’ですから。 参道の坂を登って来られた方の服を見ると、汗がじわっと滲んでいます。まず、本堂前の手水舎に行って、冷たい水を肘のあたりまでかけ、口に含んで、人によっては顔まで洗っておられます。 手に持ったハンカチを扇子替わりにしている女性も見かけますが、どれほどの風が起きるでしょう。何もせずにはいられないという気持もよくわかりますが、この時期、扇子と晴雨両用の傘は必携の品です。
墓参、散歩、ジョギング、犬の散歩、通り抜け、そのついでに休憩している人、時間つぶし、トイレを借りに来た人、そんな人たちが今の境内の主役です。 蝉の声が否が応でも飛び込んでくるという頃はすでに過ぎ、ツクツクボウシやミンミン蝉の声がさみしく聞こえてくるぐらい。‘音の主役’は、もう秋の虫たちに移っています。 残 暑 と は か か る 日 の こ と 庭 を 掃 く 星野立子
二十四節気は中国大陸北部の華北の気候を基準に作られたもので、日本では東北地方、岩手県あたりの気候がこれに一番近いと言われています。京都ではまだまだ「白露」の気配はありません。 最近、「白露山」というロシアの関取が活躍されているものですから、「白露」と聞くと、ついそっちを連想してしまいます。 秋場所も10日から始まりますが、俳句では相撲は秋の季語です。宮中の「 そういえば、9日は新暦の「重陽の節句」、別名「菊の節句」です。 かつて、宮中では天皇以下が紫宸殿に集まって詩を詠んだり菊花酒を飲んだりして
こうしてみると、1月は七草を食し、3・5月は無理やり桃や菖蒲を飾り、7月は梅雨空に飾りを立てるなどして、どうにか生活の中の歳時記として今も生きています。でも、9月の「重陽」はほとんど忘れ去られていて、せいぜい栗ごはんなど炊く地方があるだけです。 新暦の9月に路地で菊が咲くわけがありませんし、ハウス物の菊ではまったく風情もありません。 今年の9月9日は旧暦ではまだ7月17日です。旧暦の9月9日はというと、新暦の10月30日になります。この頃になれば菊も咲きますし、菊酒も菊の被綿もできるでしょう。この大きなズレが、菊の節句、重陽を忘れさせてしまうことになったのでしょう。また、重陽は子供が主役のような他の3節句とは違います。 現代のようにただその日が来たからと無理やり行事をするのではなくて、巡ってきた季節に併せた理に適った暮らしや行事を執り行っていた昔の人々は、自然と共に生きて、どれほど心が豊かだっただろうかと思います。 ボクもことある度に暦を見るようにしています。今日は満月ですよ! さて、秋の花が例年より遅れ気味で咲き出してきた傍らで、開花の遅れを取り戻さんばかりの勢いの百日紅が必死で咲いています。今日のような青空には、やはり百日紅がよく似合います。遅れても咲けてよかったね。
房総半島の真ん中あたり、板東三十三観音札所の第三十一番笠森寺から、30〜40年ほど前に苗を頂戴したものです。 わずかに1株しかありませんが、京都で見られる玉紫陽花は、ひょっとしたらこの株だけかも知れません。玉紫陽花は、宮城県南部〜紀伊半島の太平洋側、伊豆諸島、長野県、新潟県〜福井県の日本海側、石川県の加賀南部と口能登に分布しているだけなのだそうです。 蕾が球形をしているのがこの名の由来で、咲くと額紫陽花によく似ています。 比較的大きな花ですが、白い装飾花が普通の額紫陽花よりも少なく、両性花はそれほど目立たない淡い藤色をしていて、蕊のカスのようなものをいっぱい落としながら咲いています。「可憐」「綺麗」というよりは、控えめで少し無骨な印象を受ける花です。 自坊の花暦の中で欠かすことのできない、9月初旬の花。他の花の開花が軒並み遅れてきた中、玉紫陽花は今年も例年通り咲いてくれました。 「暑さ寒さも彼岸まで」のお彼岸まであと2週間余。もうひと息! 涼しくなったり暑さが戻ったり気候が不順です。どうかご自愛ください。 畳 か ら 秋 の 草 へ と つ づ く 家 鴇田智哉 |