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  気をつけて通ろう / 小雨がしゃくにさわって、水撒きをしました  マウスを載せれば写真が変わります
 台風の一番外側の雲の影響でしょうか、今日は朝から曇り時々晴れ。その合間にわずかな‘おしめり’がありましたが、乾ききった地面の中までを潤すには到底足りず、雨が降ったことさえ忘れてしまいそうなほどでした。
 南からの風が強く、時おり風のうなり声が聞こえたり、塔の風鐸が鳴ったりしています。その風の運んできた空気は湿っていて、気温は34度ほどなのに、それ以上に蒸し暑く感じます。
 京都市の8月の降水量は、平年140ミリほどですが、今年の8月に降水量が記録されているのは、今日を除けば11・12日だけ。その2日間の降水量を合わせても、わずかに1.5ミリ! まだ平年の1%しか降っていないのです。
 そんな最中に台風が2つも近付いてきたので、そのどちらかが少しは雨をもたらしてくれるだろうと、少し期待をしました。でも、期待は大きく外れて、京都に恵みの雨はほとんど降りませんでした。
 木々は水切れに疲弊し、もともと弱っていた木の中には、耐えきれずに枯れ始めてしまったものもあります。
 自然が自らを淘汰していく一つのプロセスですが、今春せっかく広げた葉が、黄色く、赤く、やがて茶色く変わっていく、一枝の枯れ込みがやがて樹全体に広がっていくのを見ると、何とも哀れでなりません。

  犬の散歩も陽が陰ってから / 緑陰で何をしゃべっているの?  マウスを載せれば写真が変わります
 人や犬猫は、暑ければ移動したり水を飲んだりもできますが、根っこを生やして居場所を決めてしまった植物は、実に不自由な身の上。あとは運を天に任せるよりしかたがありません。
 大きな木にバケツで水をやろうとしたら、いったい何杯の水が必要でしょう。たくさんやったと思っても、濡れているのは地表からせいぜい10センチほど。その点、雨はわずかしか降ってないと思っても、確実に地面にしみ込んで、木々を潤してくれます。
 19・20日の土・日、京都の多くの町内では「地蔵盆」が催されます。地蔵盆は子供のための祭とも言え、おやつをもらったり、様々なイベントなどが、洗い清めてお化粧をされたお地蔵様の前で朝な夕なに繰り広げられます。
 実は、石のお地蔵様を縛り上げたり水を掛けて、雨が降ってくれるようにと強請をする雨乞い方法があるそうです。あるいは、鉦や太鼓を鳴らして大騒ぎするという雨乞いも知られています。
 京都の各町内こぞってお地蔵様に縄をかけ、鉦や太鼓で大騒ぎをしてみたら、雨が降ってくれるかも知れません。ただし、降らせてくださるのなら、地蔵盆の行事が終わってからお願いします。



      遠  く  で  ジ  ャ  ズ    老  婆  の  唱  う  雨  乞  い  唄       大森繁利




 墓地から拝む大文字と本堂・鐘楼堂の屋根 / 墓所に転がる鬼灯 マウスを載せれば写真が変わります
 暑かった今年のお盆も、16日の「五山の送り火」で精霊をお送りして終わりました。送り火が終わると、いよいよ盛夏が終わり、残暑の日々が始まる実感が湧いてきます。
 送り火を見に境内に来る人が、年々増えています。‘秘密のスポット’だった墓所でも、今年は黄色い歓声が其処彼処で聞かれました。
 送り火はあくまでも宗教的な行事であって、単なるイベントではありませんが、京都観光の軽薄化が進むにつれて、ライトアップと同様に勘違いして、騒ぐ人が増えていることは残念なことです。
 墓参の方を見ていても、まず‘遊ぶ’日程を最優先し、その合間を縫ってお墓参りをされる方が増えています。それでも、まだ来られないよりましなのでしょう。ぼちぼち来てくだされば結構です。
 今日、墓地の中を歩いてみました。ほとんどのお墓の供花は晴天続きでカラカラに干からび、カラスが突いて遊んだ鬼灯ほおずきや、風でひっくり返ったビールの缶などが散乱していました。
 そんな中、ポツン、ポツンと、お花も水塔婆もあがっていない、まったく誰もお参りされた形跡のないお墓がありました。遠方の方でもなく、子孫の絶えた家のお墓ばかりでもありません。そういうお墓を見ると、「子供のしつけを失敗されたのではないですか?」と、そこに眠っておられる故人に苦言を呈したくなってきます。
 お盆は、親から子へ、祖父母から孫へ、いのちの繋がりを感じ、教える、大きなチャンスだろうと思います。来年は家族揃ってお参りできるよう、今から心のご準備をなさってみてはいかがでしょう。


水気の多いところで咲いた健全な萩/閉じている水引の花。咲いた写真は来週? マウスを載せれば写真が変わります
 萩の花がわずかに咲き出しました。
 萩はお日様を好む質ですが、水も大好き。さすがにこの日照りが堪えたのか、水分の乏しい場所に植わっている株は、花芽が少し傷んでいます。
 水引の小さな花も、咲き出しそうです。
 4つある萼片の上側3つは赤く、下側は白いところから、祝儀袋の水引に見立ててこの名が付いたそうですが、はたしてボクの裸眼でわかるかどうか・・・。視力には自信があったのですが、最近はカメラのマクロ撮影に負けたと実感しています。
 少しずつ秋の花が咲いてきたのは嬉しいのですが、盛夏の象徴のような百日紅の花が、今頃になって順繰りに咲き出してきました。遅いにも程があろうかと思いますが、果たしてちゃんと咲きそろってくれるのやら。秋のもみじの紅葉も、心配になってきています。
 夜になって、大粒の雨がバラッ、バラバラ。「おお、来たかぁ!」と窓を開けて歓迎しましたが、それだけでお仕舞い。漫才師に、「中途半端やなぁ〜」「往生しまっせぇ〜」と、ぼやいてもらいたいです。
 わぁー、悪口書いていたら、嵐になってきました!  



         秋  が  来  る   美  し  い  ノ  ー  ト  な  ど  そ  ろ  え  る       阪口涯子