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  早朝の墓参の人々 / 実は、ただトイレに行っただけの女性  マウスを載せれば写真が変わります
 「暑い!」としか言いようのない日が続いています。
 この1週間の最高気温の平均は36.5度。子供の頃には32〜33度さえ滅多になかったように思いますが、今では京都も亜熱帯? 35度を下回った日には、「今日はちょっと涼しかったんだ」と思ってしまうほどになってしまいました。
 雨が多く、日照時間が少なかった7月。月末になってようやく梅雨が明けたと思ったら、今度は一転して1ミリの雨も降らず、地面は一気にカラカラ。京都市ではもう2週間、雨が観測されていません。
 今日のお昼頃には遠くでゴロゴロという雷鳴が聞こえ、うっすらと黒い雲が姿を見せましたが、結局、雨は降りませんでした。曇りがちだったので気温はそれほど上がらなかっただろうと思いきや、今日の最高気温は36.5度。またも、毎日慣れ親しんだ気温でした。


  ただいま準備中。早くから施餓鬼法要を待つ方 / 墓地に向かう人  マウスを載せれば写真が変わります
 10日、真如堂の本堂では、盂蘭盆うらぼんのお精霊迎えの施餓鬼せがき法要が営まれ、数百人の方々がお参りされました。
 お釈迦さまの弟子に、「神通第一」と言われた目連尊者もくれんそんじゃという方がおられます。目連尊者は、自分の母親が餓鬼道に堕ちて苦しんでいるのを神通力で知り、どうしたら母親を救うことができるかと、お釈迦さまに相談されました。
 お釈迦さまは、「90日間の雨季の修行が7月15日に終わるから、その時、大勢の僧たちに供養をしなさい」とおっしゃり、目連尊者がその通りにすると、母親は餓鬼の苦しみから救われたといいいます。
 「盂蘭盆」というのは古代インド語の「ウランバナ」の音訳で、「逆さまに吊されるような苦しみ」と意味。それを除くのが「盂蘭盆会」です。ご先祖さまや亡くなった人の霊を迎えて心から供養し、あわせて父母や先祖、人々の恩に感謝をします。
 東京などは新暦の7月にお盆の行事をしますが、京都などでは月遅れの8月にします。
 13日に「お精霊さんおしょらいさん」を家にお迎えし、いろいろとお持てなしをして、15日を迎えます。お精霊さんが家におられる間に棚経に来てもらって回向し、16日には精霊をお送りをするというのが、もともとの流れなのでしょう。
 「棚経」というのは、お盆にご先祖さまの霊を迎えるためにしつらえた「精霊棚(盆棚)」を回向することに由来しますが、京都では、今、特別に棚を作る家はほとんどありません。
   日を遮るもの一つない墓地 / 三界萬霊の石仏      マウスを載せれば写真が変わります
 13日に精霊を迎えていては、13〜15日の間しか精霊が家におられず、棚経の期間も限られてしまいます。そこで、真如堂では少し早めの10日にお迎えの法要をするようになったのかも知れません。
 京都では、お盆のお精霊迎えに、霊界の入り口である「六道の辻」にあるといわれる六道珍皇寺にお参りして、先祖の霊を呼び戻すという「迎え鐘」を突くという風習があります。この行事は7〜10日の4日間行われますが、これもずいぶん早いお精霊迎えの行事です。
 自坊では約200軒の家にお盆の棚経に伺います。8月にはいるとすぐ、西は神戸、東は琵琶湖の向こう側など遠方から回り始めて、10日頃以降はいよいよ京都の中心部を回り始めます。お迎えの法要は、8月初めにしておかないといけないかも知れません。
 お盆の様々な行事も、仏教だけではなく、中国の道教や日本の土着信仰などが混じったもので、なかなか説明がつかないところがたくさんあります。
 以前、「ご先祖が家に帰ってこられているのだったら、その間にお墓にお参りしてもしょうがないですなぁ」とおっしゃった方もおられました。掌を合わせて拝んだところにご先祖さまや精霊がおられる、そう思われたほうがいいいのでは?
 そうそう、16日の「五山の送り火」が、真如堂から全部見られるという情報が流れているようですが、東山の「大」と、松ヶ崎の「妙法」の「法」が見える程度とお考えください。意気込んでお越しになるとお気の毒ですので、あえて。
 棚経の間の暑さが厳しいかどうかは、体力の消耗を大きく左右します。今年は ・・・・・ かなり厳しいですねぇ。



        炎  天  の  老  婆  に  無  事  を  祝  福  さ  れ         瀧 春一





     クマ蝉5匹。わかりますか? / 360度 蝉の声    マウスを載せれば写真が変わります
 暑い暑い夏ですが、今年の夏は案外短いような気がします。夏を迎えるのも遅かったですし、夏が終わるのも早いように感じます。
 蝉の‘アンカー’、ツクツクボウシがもう本格的に鳴き始めています。1週間ともいわれる羽化後の命を終えた蝉の亡骸が、あちこちで見られるようになってきました。
 毎日境内を歩いているボクには、どの木にどんな蝉がたくさんいるか、すべてお見通しです。それなのに、蝉取りに来る子がほとんどいないのが残念。‘秘密’を教えてあげるのに。
 本堂横の池の畔にある桜の木は、毎年、クマ蝉が鈴なりです。一瞥しただけで10匹は見つけられるでしょう。でも、皆ずいぶん高いところにいるので、子供が虫取り網で捕まえるのは難しいでしょう。そういう時は、竹を接いで長くするのです!
 自坊の門の前の左側にある桜の木も、クマ蝉やアブラ蝉の宝庫です。この木のほうが、蝉の位置が低いから、採りやすいかも知れません。
 たまに蝉取りに来る親子連れを見ていると、虫取り網の使い方がとても下手です。蝉の真上から網を被せようとしては、逃げられています。それはあまりにも真っ向勝負。もっと、蝉の視野に入らないように網を近づけて、蝉が飛んで逃げようとする方角まで予測して、その方向から一気に網を被せないといけません。
 ボクの子供の頃は、蝉取り網もほとんどが手作りで、今のように中がよく見えるメッシュ製ではなく、薄い化繊の布を針金の輪に通して竹竿に取り付けていました。あらかじめ中が見えないので、蝉を捕まえたと思って中を見たら、蜂まで入っていてビックリしたこともありました。虫籠も、木箱に古くなった網戸の網を張った、ずいぶん重たいものでした。
 今は道具はよくなっても、蝉取りの技術が後退しています。案外、こんなことから技術の空洞化が始まっているのかも知れません。まさか・・・。


 カラカラに乾いて裏向いた一つ葉 / 水をあげれば一晩で立ち直る!  マウスを載せれば写真が変わります
 今週の更新には花の写真がありません。
 今、境内でかろうじて咲いているのは、花数が少なく小輪の木槿むくげのみ。
 市内のあちこちで咲いている百日紅も、境内ではまだほとんど咲いていません。蕾もあまり見られませんから、この花も今年は不作なのかも知れません。
 境内の桜やもみじには、水切れからか、一度にたくさんの葉を落としてしまったものや立ち枯れ状態になってしまった木があります。見るからにかわいそうです。
 自坊の門内の石垣を「一つ葉」という常緑性のシダが覆っています。この一つ葉が、先日から身をよじらすように、葉を180度回転させて、葉の裏側を上にし始めました。
 「きっと、葉の表面から水分が蒸発するのを防ぐための自衛策なのだろう。水をあげたらどうなるだろう」と試してみました。夕方たっぷりの水を与え、翌朝になって葉を見てみると、ほとんどの葉がちゃんと表を上にして整列していました。自然の妙技を見た思いです。
 人の心が乾いた時も、水をかけただけで元に戻ってくれたら、どんなに簡単でいいでしょう。「自然は大きなホスピタル」というCMがありましたが、自然は人智を遙かに超えた存在であり、人間の愚かさを映し出してくれる‘鏡’でもあるように思えます。
 ボクも今、棚経で身体が乾いて、身がよじれかかっています。こういう時は、やはり‘おしめり’が必要ですね!  




      さ  び  し  さ  に  一  つ  葉  の  葉  の  よ  ぢ  れ  た  る     但馬美作





写真はすべて8月10日に撮したものです。