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新緑の木々の間を歩くと、このうえなく清々しく、樹下にしばらく立ち止まって、若い青葉が作ってくれた澄んだ酸素と体の中の澱んだ空気を入れ替えたくなります。 今日も、「この雰囲気は、とても写真には撮れないなぁ・・・」と思いつつ、何度も境内に繰り出して、たくさんの写真を撮りました。 まだ風雨の洗礼をあまり受けていない柔らかな若葉は、光に翻弄されがちです。日の光が新しい葉を透かすこともあれば、逆に跳ね返して自ら輝くこともあります。柔らかい光を返したかと思ったら強い光を返したり、濃い緑に見えた尻から黄がちになったりと、日の光と戯れているようにも見えます。 その戯れ様は、居合わせた者には見ることができても、写真におさめてお見せすることは到底できません。撮ってきた、万分の一の自然を捉えていない写真を見ては、ため息をつくばかりです。写真に捉えきれないという意味では、自然は幽霊といい勝負です。
桜の花は美しいですが、境内全体の色を変えることができません。紅葉は境内を紅く染めますが、清々しい“気”を発することはありません。樹下にたたずんで、目一杯空気を吸いたいと思う季節は、新緑をおいて他にはないのではないでしょうか。 そんな素晴らしい境内なのに、訪れる人はごくわずか。今日の拝観者はおそらく1桁だったでしょう。 「写真なんか撮ってないで、ベンチに座って、のんびりしていたいなぁ」と、今日の自分を因果に感じました。 新 緑 に 吹 き も ま れ ゐ る 日 ざ し か な 深見けん二
その翁は友禅染に携わって来られた方ですが、「萌黄」は日本の伝統色で、もちろん友禅でも使われ、さらに細かく 平安時代の大宮人たちは、今に生きる私たちよりも、ずっと多くの色の名前を知っていました。藤原摂関政治の頃は、まさしく色彩の黄金時代。女性は、実に様々な色の衣を重ね着しています。「 「桜萌黄」という色目は、山桜の萌黄色の若葉と、ほんのり紅味を含んだ花の色を表したもので、表が萌黄色、裏が赤花(紅花色)、春に若い女房の着るものでした。女房たちは唐衣・表着・五衣・単といったものをトータルコーディネイトしなければならず、失敗すれば「センスが悪い」と言われるわけですから、さぞかし毎日ストレスのたまったことでしょう。
色の名前も、四季折々に咲く花などの名前が多く使われています。私たちにも山吹や藤という色はわかりますが、 僧侶の衣の色は宗派によって違いますが、私ども天台宗の僧侶がいま僧階に応じて着用する衣にも「 色は権威や権力の象徴としても使われてきました。また、日本の伝統的な色彩には先人のすぐれた感覚やネーミングのセンスをうかがい知ることができる気がします。果たして、現代と平安朝、どちらが精神的には豊かなのだろうとという思いが、色の名前からも湧いてきます。
境内では、八重桜、白山吹、シャガ、椿などが咲いています。去年より少し遅れて藤やつつじも咲き始め、花に溢れています。 桜の花一色の頃よりも、今の境内はずっと色彩豊かです。新緑といっても、浅黄色もあれば、紅葉を思わせるように紅い葉もあります。そんな様々な色が混じり合って、境内はもみじの新緑の浅黄色を主体とした、複雑な色合いになっています。自然界の「重色目」です。 いよいよ明日から大型連休が始まります。海外に行かれる方もずいぶん多いようですが、いろいろなご都合で遠出ができない方は、ぜひともお近くの新緑や花々を訪ねてみられてはいかがでしょう。花や木の名前を一つでも覚えることができたら、大宮人の 29日は「みどりの日」、元「天皇誕生日」。新緑の時候に因んだものだと思っていましたが、正しくは昭和天皇が自然を愛されたことによるネーミングだとか。ところが、来年からは29日は「昭和の日」に、5月4日が「みどりの日」になるのだそうです。ご存じでしたか? “緑”は1週間先送り。「みどりの日」が終わったらすぐに立夏。緑も濃くなってしまいますね。 素晴らしい好季。どうかお楽しみください。 顔 じ ゅ う を
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