3/17版 



           
今週も、ピ−チクパーチク / 黄八丈の女性    マウスを載せれば写真が変わります
 春の天気は「ふく・ふる・どん(雨が降る・風が吹く・曇天)」。昨日から天気が荒れ気味です。雨がザーッと強く降ったかと思えば、急に小雨になったり、突風が吹いて雷が鳴ったりと、定まりませんでした。今日は午後からは晴れる予報でしたが、青空が見えてきたのは夕方でした。
 新しい気象衛星が不調なのか、予報官のスキルが落ちたのか、最近は本当に天気予報があてにならなくなりました。
 春は冬の北風と夏の南風が日本の上でぶつかり、強い前線が出来て嵐になりやすいのだそうです。そういえば「春疾風」という季語があります。旧暦の涅槃会(今年は3月14日)の頃に吹く「涅槃西風」、彼岸の頃に吹く「彼岸西風」という呼び名もあります。雨の日も多く、「彼岸時化しけ」という言葉もあります。
 涅槃か彼岸か? そう、明日はもう彼岸の入りです。

         おばあちゃんに引かれて / 苔の色もあざやかに    マウスを載せれば写真が変わります
 気象庁は15日に3回目の染井吉野の開花予想を発表し、「平年より早め」とした当初の予想をさらに早めた地点もありました。そして、15日には高知で、17日には静岡で開花宣言が出されました。
 3/3版のこのページで、気象庁とウェザーニュースの開花予想が数日違うことを書きましたが、ウェザーニュースは気象庁の開花宣言を“徹底検証”するページをホームページに掲載しました。面白くなってきたぞぉー。
 ウェザーニュースは、気象庁が15日の3時に開花予想を発表し、高知の開花日15日に修正したわずか1時間後、高知の開花宣言を出したことを、「一人時間差式 開花宣言」と皮肉っています。さらに、「自らが運命をコントロールできる結果に対して、そもそも“予報”という表現が適切なのか?」と手厳しく続けています。
 これまで、「気象庁は自分が出した開花予想日に合わせて開花宣言を出す」と言ってきた私も、まさに意を得た感がしています。
 高知に開花宣言が出ても、高知城ではぜんぜん咲いてないということで、咲いているのは気象台の中の標準木だけなのかも知れません。“クローン”の染井吉野は同じ気候条件ならみな同時期に開花するという特性を活かしての開花予想ですが、実際は気象台の“塀の中”だけずれていることも多いのではないでしょうか。
 京都の開花予想日は28日。きっとその日に開花宣言が出ることでしょう。いけません、ちょっと熱くなってしまいました。



        鳴  る  も  の  は  み  な  鳴  ら  し  来  て  涅  槃  西  風       松井鴉城夫




  もうすぐ芽吹くカエデと大文字山 / 夕暮れのカエデの花  マウスを載せれば写真が変わります
 境内を訪れる人も増えてきました。
 「30人は超えましたか?」と本堂の堂守さんを冷やかしてみたら、「いや、もっともっとですよ。50人はお越しになっています」と、拝観者の増えたことを喜んでおられました。
 少し寒さが戻ったようなこの頃ですが、確実に春の盛りに向かっています。苔の色がますます鮮やかな緑になり、カエデの新芽などが顔を出し始めました。本堂前の「花の木」が真っ赤な芽を吹くのも間近です。
 梅、馬酔木あせび山茱萸さんしゅゆ、椿なども見頃です。
 馬酔木の花付きがよくないと前回書きましたが、山茱萸は昨年の実付きも悪かったですし、今春の花付きもあまりよくありません。昨年、南天や千両、万両などの実は豊作で、いつもはもうとっくに鳥に食べ尽くされている頃ですが、今年はまだたわわに付いています。鳥たちも、冬の間の食べ物に不自由しなかったのでしょう。
 暑い寒い、雨の多少などの変化が、いい結果として表れる草木もあれば、花付きが悪い、実が付かないなどの悪い結果をもたらすこともあって、一概には善悪は決められませんね。アメリカの審判のミス・ジャッジが、アメリカにはよくて、日本には悪かったように。


            山茱萸の黄 / 菫の紫       マウスを載せれば写真が変わります
 さて、明日から春のお彼岸です。「暑さ寒さも彼岸まで」とはいうものの、京都・滋賀あたりでは、本格的な春の訪れは26日の「比良八講」を待たないといけないでしょう。
 「彼岸」というのは煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこちら側の岸を「此岸」といいます。
 ご存じの方も多い『般若心経』に出てくる「波羅蜜多」は、サンスクリット語の「パーラミター」の音写で、彼岸に到るという意味です。ついでに、『摩訶般若波羅蜜多心経』の「摩訶」とは摩訶不思議のそれで、サンスクリット語の「マハー(偉大な)」の音写、「般若」は「智慧」、「心」は「真髄」、「経」は縦糸で、転じて「教えの基本線」ということです。『摩訶般若波羅蜜多心経』は、「偉大なる彼岸に到る智慧の完成の真髄の教え」ということです。
 話が逸れますが、春のお彼岸といえば牡丹餅ぼたもち。この名前の由来には、春のお彼岸の頃には牡丹の花が咲くから(秋は萩の花)とか、牡丹の花に似ているから、小豆餡の様子を牡丹の花に見立てたなどと、諸説あります。
 牡丹餅が牡丹の花に似ている? ボクにはどうしてもそうは思えません。ハンバーグのほうが似ていると思うのですが。
 「牡丹餅の塩の過ぎたのと、女の口の過ぎたのは取り返しがつかない」というそうです。ドキッとされている方はおられませんか? ボクも書き過ぎに注意しなくてはいけません。


つくばいに落ちた梅の花 / 11月から咲き続ける「十月桜」  マウスを載せれば写真が変わります
 「京都・東山花灯路」に、意を決して行ってきました。観光などという、普段しないことをしたものですから、雨風に加えて雷鳴までとどろき、大変な目に遭いました。
 花灯路のコース外の、三条通の北のほうまでも、人知れず行灯が置かれていました。行灯が余ったのでしょうか?
 御池通の堀川〜千本通の間にも足下灯が置かれ、日没から明かりがともされているとか。
 近ごろ都で流行るもの・・・ライトアップに行灯、派手な柄の足袋に着崩れした着物姿、食べ物屋の行列。桜の咲く頃には、ますます大流行でしょう。
 「春に三日の晴れなし」。やっと夕方から晴れたかと思ったら、また明日明後日の土日は雨の予報です。
 10日前に鶯の初鳴きを聞いて以来、声が途絶えていましたが、今日、梅の木の枝にその姿を見つけました。「梅に鶯」、何だか目出度い気分になってまいりました。
 ♪  梅は咲いたか 桜はまだかいな  柳やなよなよ 風しだい  山吹や浮気で色ばっかり しょんがいな〜 ♪



        春  灯  の  一  つ   一  つ  に  迎  へ  ら  れ       深見けん二