3/10版
あたたかい日が3日ほど続きましたが、今日は少し肌寒さを感じました。 今日は、旧暦では2月11日。2月を あたたかくなったり、寒さが戻ったりの繰り返しに、「今日はどんな服を着たらいいのだろう」と思案する時があります。まさに「 旧暦の2月は「 今日の雨は木の芽雨に違いありません。木の芽や花を育ててくれているのが、実感としてわかる気がします。
最近は、本堂で特別公開中の大涅槃図を目当てに来られる方がおられるため、拝観者は普段よりもわずかに多めですが、何もない時のこんな雨の日なら、人影を見ることはほとんどないでしょう。 しばらく待って、やっと来られたのは、女性ばかりのグループと大学の入学手続きと下宿探しに来られたと思われる母娘連れだけでした。 野良猫のミーコも、本堂前で大あくび。温かい日向もおやつをくれる人もなく、雨の日の気怠さを満面に表していました。 下 萌 え て 土 中 に 楽 の お こ り た る 星野立子
今年の馬酔木は花が少なく、“鈴なり”のように咲いた去年と比べたら、かなり見劣りします。去年に勢力を使いすぎたのかも知れません。 山茱萸は、満開までにはまだ1週間ほどかかりそうです。先日、マンサクの花が咲いていると勘違いして来られた方がおられたそうです。同じ時期に咲く黄色い花ではありますが、山茱萸ですのでお間違えなく。 もみじの枝はますます紅くなってきて、遠目にも景色が変わってきたことがわかります。あたかも、枝先に発芽パワーが充填されて溜まっているかのようです。 ふと目を足元に転じると、小さな双葉が其処彼処に生えていました。「えっ、もみじ?」と目を凝らしてみましたが間違いありません。石畳の間から小さいもみじの双葉が顔を出していました。中には、まだ茶色い種を頭に付けたままの芽もありました。おそらく、今日の雨に目覚めて芽を吹いたのでしょう。
境内には、去年の種をまだ枝先に付けたままのもみじの木がたくさんあります。葉を落とすという、かなりエネルギーのいる作業を全うできなかった木や枝もあります。 そんな木々の下では、次の世代を担おうとする芽たちが、もう次々と姿を現しているのです。 残念ながら、これらの芽は、移植でもしない限り、すべて枯れてしまう運命にあります。それでも毎年こうして生命を受け継いでいこうとする営みを止めない植物たち。それを見ているだけでも、大きな力を貰えそうです。 雨の中、寝転がって写真を撮っていたら、膝や肘がドロドロになりました。 新芽の観察をされる方には、晴天の日の、石もあたたまる昼過ぎをお勧めします。
行灯に照らされた石畳は情緒があってなかなか素敵ですが、花冷えの季節よりもさらに早い時期の夜ですから、日によってはかなり寒く、ボクなどは行灯などより赤提灯のほうへと足が向いてしまいます。 新しい取り組みが効を奏して、京都に観光に来られる方は増えています。でも、一方では中身のない、外面だけ“京都”を装ったものが、これまで培われてきた京都の文化を駆逐しつつあるのも事実です。色が薄いだけの京料理、中身は別物に改装された京町屋・・・・・。それは“進化”ではなく、ただの“張りぼて”化でしょう。 京都が“春”の嵐に、風前の灯火となりませんように・・・・・。 春 の 夜 の わ れ を よ ろ こ び 歩 き け り 日野草城 |