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門番をするミーコ / 狛猫のつもり? マウスを載せれば写真が変わります
 1年で一番寒い1週間を迎えようとしていますが、今日は薄曇りの、まずまずのお天気でした。
 日が少しずつ長くなってきました。元旦と比べると、京都では日の出は5分ほど早くなり、日の入りは24分遅くなりました。日の入りが24分遅くなっただけでも、ずいぶん1日が長くなった気がします。
 日射しの色も少し春めいてきたような気がしますが、春を待つ気持がそう錯覚させているだけでしょうか?
 動物は日が長くなってきたことに敏感です。人影の少ない境内のどこからともなく、「ギャァオーン〜 ギャァオーン〜」という野良猫のラブコールが聞こえてきます。
 猫の恋は日照時間に関係するそうです。日が段々長くなってきた2月〜3月がそのシーズンらしいですが、境内の猫は少し気が早いのかも知れません。感受性が豊かなのかな?
 境内を縄張りの一部にしている野良猫は、今4〜5匹います。早朝の散歩の時、猫たちにキャットフードをやっている人たちもいて、結構満ち足りたような、福々しい顔つきをしています。
    
ここが猫の集会所? / 繋がれた犬はこわくないぞ!   マウスを載せれば写真が変わります
 猫は夜更け頃に集会を開いているといいますが、境内の猫たちも、本堂の影やベンチなどの猫共有スペースに集まって、恋愛談義に花を咲かせているのかも知れません。
 「静かに集会してよ!」と言いたいところですが、本当は、集会といっても喧嘩をするわけでも鳴き合うわけでもなく、互いに間隔をあけてじっと座り、1時間ほどで静かに解散していくのだそうです。中年女性の範になるような集会ですね。
 面白そうですから、あたたかくなったら、こっそり見に行ってみたいものです。



         猫  の  恋  声   ま  ね  を  れ  ば   切  な  く  な  る       加藤楸邨



      くねくね百日紅の冬枝 / 冬の桜並木     マウスを載せれば写真が変わります
 昨日26日は、天台宗が開かれて1200年目になる記念日でした。
 1200年前の延暦25年(806)1月26日、桓武天皇は伝教大師の奏上に応えて、年分度者2人を勅許されました。当時、僧侶になることは国家公務員になることに等しく、得度には国の許可が必要でした。年分度者が割り当てられ、天台宗が国に認められました。
 今日27日は、真如堂を開かれた戒算上人(963?−1054)の954回忌でした。
 戒算上人についてはあまり詳しいことがわかっていません。「出身については不明。長い間比叡山で天台の教えを学び、実践・理論に通じる。後半はもっぱら浄土教を学ぶ。(中略)天喜元年正月27日老衰により臨終正念しながら遷化する。享年91才」(『本朝高僧伝』苦沙彌意訳)。
 私は、戒算上人は藤原詮子に近い藤原北家の出身の人物ではないかと大胆に推理していますが、大きな声では言えません。
 戒算上人は、慈覚大師作の比叡山常行堂の阿弥陀如来を都に下りていただき、真如堂の御本尊としたとされています。
 阿弥陀如来に下山していただくに当たって、比叡山の僧侶に異論を唱える者が多い中を、上人が見た瑞夢と阿弥陀如来の由来に一致する部分があるということで反対意見を抑え、下山を許されたようです。
 そして、真如堂が開創されたのは永観2年(984)。計算すると戒算上人が21才の時です。
 ガイドブックなどには、真如堂の「御本尊は慈覚大師円仁作と伝えられる阿弥陀如来」と記されています。大きな声では言えませんが、私は常々、21才の僧侶の瑞夢に従って、比叡山の重要な仏像を下山させることがあるのだろうかと思っています。
 慈覚大師がその阿弥陀如来を彫られたのは、入唐求法から帰国された847年(大中1)以後頃のことと、『真如堂縁起』から推測できますが、美術的にはそれより時代を下ること約140年、真如堂開創(984)の頃に彫られたもので、作者は康尚だろうと考えられています。
 康尚は定朝の父で、記録の上では990年から1024年の間の活躍が知られています。天皇の外戚となって絶大な権力を誇った藤原道長の知遇を得て、皇室や藤原氏一門の造仏に多く携わり、仏師界の頂点に昇りました。

   先日から始まった塔頭の屋根吹き替え作業  マウスを載せれば写真が変わります

 真如堂開創の願主は、道長の姉 藤原詮子(東三条女院、一条天皇母)ですが、道長の繁栄はこの詮子なくしてはあり得なかったといわれています。
 皇室や藤原道長などとも繋がりの深かった仏師康尚が、詮子が願主となった真如堂の本尊を造立したことは、ごく自然な流れでしょう。
 また、真如堂は天台浄土信仰の流れを汲む寺ですが、その源流をたどれば『往生要集』を著した恵心僧都源信に行き当たります。
 末法思想のまっただ中、恵心僧都当時の比叡山においては、「霊山院釈迦堂毎日作法」および「霊山院式」という、お釈迦に弟子たちが仕えたのと同じように等身の釈迦像を毎日供養する作法が重要な位置を占めていたといいます。
 その作法が行われた霊山院釈迦堂の本尊釈迦如来像の造立を任されたのは、康尚であったといいます。康尚は、当時の比叡山の主力仏師であったのみならず、浄土信仰が広まりつつあった平安京においても仏師界の主導的立場にあったのです。
 さらに、恵心僧都の浄土教は、慈覚大師円仁が開いた常行三昧堂に根源を持ちます。常行三昧堂の四方の壁には極楽浄土の光景が描かれていて、修行者は、心に阿弥陀仏を念じ、口に念仏を唱えて行道しました。この念仏や読経には節がついていて、人々を極楽浄土への思慕にかりたてたといいます。
 真如堂の阿弥陀如来は、比叡山にあってはこの常行三昧堂の御本尊だったとされています。また、節がついた念仏というのは、まさしく慈覚大師が唐より招来され、今も毎年10月に真如堂で行われている「引声念仏」ではないでしょうか。
 こうして見ると、慈覚大師、詮子、康尚、浄土教などがすべて繋がってきます。大きな声では言えませんが、都における藤原氏の浄土教信仰の寺の一つとして、康尚作の阿弥陀如来を御本尊として寺を建立したのが真如堂の始まりで、これらの要素を実に巧みに取りいれて、霊験溢れる御本尊の物語を語ってくれているのが『真如堂縁起』ではないかと思います。
 ただ残念なのは、今日ご命日を迎えられた戒算上人のことが、ほとんどわからないことです。大きな声では言えませんが、ひょっとしたら天皇家と藤原氏に関係する人かも知れません。

  白梅も紅梅もまだもうひと息 / 馬酔木もまだまだ   マウスを載せれば写真が変わります
 蝋梅の花はようやく咲いてきましたが、梅の花はまだ一輪も開いていません。
 梅の名所 北野天満宮の「寒紅梅」など早咲きの梅がようやくちらほら開花し出したそうですが、年末年始の厳しい冷え込みの影響で、開花は例年より約1か月も遅いといいます。
 一方、和歌山の梅の名所 南部などでは、開花時期は平年並みで、「2月中旬ごろに開花、満開は2月下旬から3月初めごろ」と発表しています。
 各地で盆梅展が始まっていますが、一体いつ頃が見頃なのでしょう?
 嵐山に、小倉百人一首をテーマの文化観光施設「時雨殿」がオープンしました。理事長が某ゲームメーカーの相談役とあって、「デジタル百人一首」の世界が体験できるそうです。何だか楽しそうな施設です。梅が咲き出したら、いろいろ回ってみようっと! いつが満開?
 厳寒まっただ中、どうかお風邪を召されませんように。



        探  梅  の  へそ  に   かい    の  火  の  一  点        伊丹三樹彦