1/6版 



   
雪化粧は薄いけれど、凍てついた境内    マウスを載せれば写真が変わります
 今朝、境内はまたうっすらと雪化粧をしました。この冬何回目の雪景色でしょう。
 各地から大雪のたより。4メートルもの積雪、交通の乱れ、積雪による家の倒壊、雪下ろしをしている時の事故など、雪国の大変さが切々と伝わってきます。
 12月は全国的に月初めから気温の低い日が続き、京都の月平均気温は平年より3度も低かったそうです。また、降雪の深さ合計は、平年は2センチしかないのに対して11センチ。本当に寒い12月でした。
 今朝の雪はお昼には消えましたが、また今夜から降って、京都市内でもまた積もるかも知れないとか。
 平安時代後期に書かれた『中右記』には「今朝白雪庭に積もること已に七八寸に及ぶ。近代の大雪なり。去夜、終夜降り積むなり」と記されています。1尺が平安時代の大雪の目安だったという記述もあります。今、そんなに雪が降ったら、京都の機能は止まってしまいます。
 平安時代でも、雪が積もったら出勤する公卿は少なかったようで、藤原道長も「参入の上卿数少なし。之を如何せんと」と悩んでいます。「欠けたることもなし」という道長にしても、雪の日の公卿は意のままにならなかったのですね。



         背  に  ひ  た  と  一  枚  の  寒  負  ふ  ご  と  し       原子公平



  
静かな雪の朝 / 露仏の御手にも白い華   マウスを載せれば写真が変わります
 4日から3日間、お正月に祈祷した護符を持って、年始のご挨拶に檀家の方々の家を回りました。毎年の恒例で、ボクはこれが済んだら、お正月の行事が終わったような気になります。
 市内をバイクや車で走っていると、同じく年頭回礼に回る僧侶たちに出会います。禅宗の僧堂の若い雲水さんたちは、下駄を履いて徒歩で回っていますが、あの姿を見ると、「1日に何軒回れるのだろう? 悠長だなぁ」といつも思います。
 ボクがこの3日間で回ったのは、京都市域にお住まいの檀家160軒ほど。雲水さんのように歩いていては、とても回り切れません。でも、雲水は歩いてくるからこそ、値打ちがあるのでしょう。
 かつては、年頭回礼の時に「初荷」というのぼりを立てたトラックをよく見かけましたが、今ではまったく見られなくなりました。礼服を着て得意先を回る人たちの姿も、すっかり減りました。
 お正月は、次第に普通の「連休」になりつつあるのでしょうか。歳神様も段々来にくくなってしまいます。

雪の消えた境内で、寒肥を施す作業をする植木屋さん マウスを載せれば写真が変わります
 6日は寒の入り、小寒でした。
 今日から植木屋さんが来て、境内のもみじや桜の根元に、寒肥を入れる作業を始めました。
 「もみじなんて、放っておいても紅葉する」と思っている方もおられるでしょう。でも、やはり少しでも綺麗に紅葉して貰うには、手を掛けてやらなければなりません。害虫を駆除する薬散や寒肥やり、枯れ枝の切り落としなど、それなりの手間がかかって、秋に“晴れ舞台”を迎えるわけです。
 植木屋さんは、境内の木々の根元を穴ぼこだらけにして、そこに有機肥料などを入れ、また土をかけていきます。
 通りがかりの人が、植木屋さんに何をしているのかと尋ねているようでした。植木屋さんの代わりにお答えしましょう。
 寒肥は、冬の間に油かすなどの有機肥料を与え、木々が芽吹く春頃にゆっくり効いていくようにするもので、木を充実させ成長させるためには大切な作業なのです。

   葉を落とした枝の造形美!/ 雪のアクセントを付けた枝  マウスを載せれば写真が変わります
 「ここまでやっているんだから、今年は綺麗に紅葉して!」と言いたくもなりますが、紅葉は木だけの責任ではなく、気温や雨などの条件が複雑に作用しあっての結果ですから、後は念ずるしかありません。やっただけのことがすぐに結果となって出てきては、人間はますます増上慢になってしまいますもの。
 葉を落とした今は、木々の枝振りを見るには絶好の季節です。真っ直ぐ延びる枝、ぎこちなく角張りながら四方に広がる枝、蜘蛛の巣のように張り巡らされた枝。それぞれ個性や主張があり、また齢もそこに表れていて、見ていても飽きるということがありません。冬の境内は、地味なパラダイスです。
 パラダイスを楽しんで冷え切ってしまい、ギリギリまで我慢して、慌ててトイレに向かいます。
 

  綿帽子をかぶった十月桜 / 紅い前掛けをした宝珠石   マウスを載せれば写真が変わります
 真如堂のお正月の行事も、7日の七草会ななくさえで終わります。
 7日は、五節句の一つ「人日じんじつ」の節句、また「七日正月」ですが、仏教にはこの日に法要をする根拠がありません。習俗的な影響なのか、ひょっとしたら善光寺の「七草会」を模したのかも知れません。
 人日は江戸時代には幕府の公式行事となって、将軍家や諸公が七草粥を食する儀礼などが行われ、幕末には京都の庶民にも七草を食べる風習が浸透していったようです。
 でも、その頃庶民が食べた七草粥は、1、2種類の菜が入っていた程度だったとか。今では七草の頃にスーパーに行けば、7種類の“草”をセットしたパックを手に入れることが出来ますが、少し前まではなかなか7種類は揃いませんでした。
 「欲しい!」と思ったら、外国まで行って調達してくる日本人の凄まじい物欲。まさか、七草まで中国産? ユニクロ野菜?
 七草を食べて無病息災を祈るのが本来ですが、今では「お正月の飲み過ぎ、食べ過ぎで疲れた胃腸を労わりましょう」というキャッチフレーズのほうが大きくなっている気もします。なんだか違うような・・・・・ 祈らなきゃ。
 寒に入り、寒さはますます厳しくなります。どうかご自愛ください。



        七  草  の  は  こ  べ  ら  つぼみ  も  ち  て  か  な  し      山口青邨