10/21版 



          朝の間はこんな秋晴れでした!    マウスを載せれば写真が変わります
 午前中はいいお天気でしたが、午後からすっかり曇ってしまいました。
 朝、写真を撮りに境内に出かけたら、息が少し白く見えました。今年初めてのことです。
 今朝の最低気温は、市街地にある気象台で10.9度。境内では10度を下回っていたでしょう。この秋一番の冷え込みでした。
 つい1週間ほど前まで「暑い、暑い」と汗をぬぐい、最低気温も17〜18度、日によっては20度もあったのに、ずいぶん急な変わりようです。着る物や夜具も、「今日は暑いかな? 肌寒いかな?」と、その日の様子を伺って選ばなければなりません。
 境内の紅葉は、ほとんど進んでいません。
 「紅葉にはまだまだ早いです! 今年は11月末かも知れません」と何度も申し上げていますが、「紅葉を見に来ました」とおっしゃる方が後を絶ちません。テレビや雑誌で紅葉の景色を見た方が、「遅れを取るまじ」と来られるのでしょうが、境内はまだ緑です。
 「まだなのですね・・・」と残念そうな顔をされても困ってしまいます。「当たり前でしょ! まだ10月ですよ!」と喉まで出てきた言葉を、幾度となく飲み込んでいる毎日です。
   朝日を受ける色づき始めたカエデ / もみじはこんなに緑です   マウスを載せれば写真が変わります
 昨日乗ったタクシーの運転手さんに、「今年は(紅葉は)どうですか?」と、尋ねられました。「あー、ダメですね。よくないですよ」と即答しなければいけないのも、辛いものです。「今年は任しておいてください!」と、たまには胸を張っていいたいものです。
 今日は境内を訪れる人が、ずいぶん多い気がしました。22日の時代祭、鞍馬の火祭の影響でしょうか。市内のホテルも満室のようです。
 今日は、境内でお弁当を食べたり、ミカンやおやつを食べている人をよく見かけました。外で食べるには絶好の季節でしょうね。
 また、タクシーの運転手がお客さんに説明しているのを、それとなく聞いてズッコケました。「ここは天台宗のお寺です。真言宗の御本尊は大日如来で、天台宗の御本尊は薬師如来です。」「あ、また嘘言ってる・・・。」
 いろいろな教えを包括する天台宗のお寺の御本尊は、釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩、観世音菩薩、不動明王など、そのお寺によってまちまちで、決まっていません。お客さんもお気の毒。
 でも、「また、そういう季節が来るんだなぁ」と、変なことから季節を感じました。タクシーの運転手さんの“独自の解釈”も、紅葉期がピークです。


        セ  ー  タ  ー  の  始  め  て  の  赤   灯  に  揺  れ  て       夏目雅子



 今日、お披露目の石灯籠1対 / 正面参道に建つまだ白い石灯籠 マウスを載せれば写真が変わります
 今日、真如堂に新しい石灯籠が1対寄進されました。
 学生の頃、真如堂の塔頭に下宿し、その頃から歌舞伎に傾倒して、歌舞伎の興行や映画会社の経営者になられた方が御寄進くださったものです。
 その方は、京都に来られることがあればよく真如堂を散策されるそうです。また、真如堂は牧野省三氏が初の監督作品の撮影に使った、映画との繋がりの深い場所でもあります。
 当時、西陣千本座の座主だった牧野省三氏は映画に転じ、1907年、真如堂を本能寺に見立てた作品『本能寺合戦』を制作しました。牧野氏の第一回監督作品です。
 かつては、境内で時代劇のロケが頻繁に行われていて、古い映画を見ていると、見慣れた境内が出てきてビックリすることがあります。映画会社が同じかどうか知りませんが、少し前には、『鬼平犯科帳』などのロケもよく行われていました。今、公開されている『蝉しぐれ』のロケも行われました。
 ただ、ずっと以前は忍者の格好で屋根の上を走って瓦を傷めたりということもありましたし、建物に釘を打ったり、木の枝を折ったり、参拝を妨げるなどということもあって、段々ロケを断るようになりました。
 話を元に戻して、この石灯籠は、京の伝統工芸士の石工さんが、石の荒取りから、表面の荒仕上げ、仕上げに至るまで、“小さなことからコツコツと”手作業で作られたものだそうです。
 京都の石工芸は、都の造営や寺社の建立、茶道の影響などによって高度な技術が求められたこと、良質の花崗岩が比叡山山麓や北白川辺りから産したことなどから、高度に発達しました。今でも、昔ながらの伝統的な技法で様々な石工芸品が作り出されています。
 まだ真っ新な石灯籠も、齢を重ねて、段々と境内の風景に溶け込んでいくでしょう。


   そろそろ落ち始める菩提樹の実(菩提子) / サンシュユの実  マウスを載せれば写真が変わります
 23日は「霜降」。秋が一段と深まって、霜が降りるような寒さを覚える頃という意味です。京都に初霜が降りるのは平年並だと11月半ばですので、少しそぐわない気がします。
 それもそのはず、24節気は中国の漢(紀元前約200年)の時代に黄河流域で作られたもので、日本の東北地方の季節感と一番合っているのだそうです。
 時代祭が10月22日に行われるのは、延暦13年(794)のこの日、桓武天皇が長岡京から山背国葛城郡宇太村の新京に都を遷したことに由来します。翌月、「この国山河襟帯、自然に城をなす。この形勝により、新号を制すべし。よろしく山背国を改めて山城国となすべし」と国名を改め、平安京と命名されました。
 旧暦の10月22日は、新暦では11月下旬、「小雪」の頃にあたります。平安時代の建物は、夏向きに立てられ、板敷きに裸足。遷都して初めて迎えた底冷えする京都の冬は、さぞかし寒かったでしょう。
 日本人は、南アジアから日本列島にやってきた縄文人とアジア大陸からやってきた渡来人が、ゆっくりと混血をくりかえしながら出来上がったと言われています。桓武天皇も渡来人とのクォーターだったと言われ、平安遷都の立役者秦氏も寒さに強い渡来人系。だからこそ、寒い時期に遷都をしても平気だったのかも知れません。
 風邪を引いている方も多いようです。ご自分が南アジアから日本列島にやってきた縄文人系だと思われる方は、特にご用心下さい。


          菩  提  子  の  とりこ   と  な  り  し  女  人  か  な       原山英士