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墓参をされた方の墓前回向をするため、1日中、墓地と自坊の間を行ったり来たりしていました。強い日射しがないだけ、まだ暑さもましでしたが、絞れるほどの汗をかきました。 境内にはひっきりなしに墓参の方々がお見えになるのに、その間隙をぬって植木屋さんが毛虫退治の薬散をしていました。 「なにも墓参の方の多いこんな日にしなくてもいいのに・・・」と思いましたが、この植木屋さんが薬散をすると必ずといっていいほど雨が降り出すというジンクスがあるので、「降られてはたまらない。なんでこんな日に」と心配でした。 午後から西の空に薄黒い雲が出てました。「やっぱり来たか・・・植木屋さん」と諦めかけましたが、幸い今日は降らずに保ってくれました。植木屋さんが薬を撒いても雨が降らなかった、近年稀なケースでした。 23日はお彼岸のお中日。墓地では、新しい花が供えられた墓石が日一日と増えています。
冬の訪れは遅く、訪れてもあまり寒くはなく、春の訪れは早い。この予報から見る限り、今年はあまり綺麗な紅葉は期待できないかも知れません。 10月下旬になると、気象庁から紅葉情報が発表になるそうですが、ボクは見たことがありません。それもそのはず。この紅葉の見頃予想は、関東地方向けの限定サービスなのです。 イロハカエデの標準木を決めて全国的にやっていただければ、「紅葉の見頃はいつですか?」という問い合わせ電話も減るのですが・・・これから次第にそんな問い合わせが増えてきます。 紅葉の見頃予想は、気象庁には「なじまない」仕事なのだそうです。NHKじゃあるまいし、そんなつれないことこと言わないで。 曼 珠 沙 華 浄 土 の 雲 に 紅 移 す 平畑静塔
社寺の庭園などの紅葉のことではありません。京都を取り巻く東・西・北の三山のモミジやコナラなどの紅葉が、常緑樹の この異変は特に東山で顕著です。椎が増えたことは、秋よりむしろ5月頃のほうがよくわかります。 真如堂から見える法然院の裏山や大文字山あたりでも、5月頃になるとカリフラワーのようなクリーム色のモコモコとした塊が山肌に目立ちます。椎の新芽です。椎は成長が速いうえ、日陰でもよく育って、大木となります。 かつては椎の木は薪に利用されていました。法然院の裏山や大文字山などは生活圏に隣接する里山で、薪の供給地でした。化石燃料が使われて薪の利用が減った頃の1961年と昨年を比べると、椎の分布は約3倍にも広がっているそうです。椎が増えたのは、ある意味では“自然の姿”だと言えないこともありませんが。
京都の紅葉の真骨頂は、社寺の庭だけに留まらず、回りを取り囲む三山も共々に紅葉するところにあります。庭も、その借景の山々も赤や黄色に染まる、そんな光景が失われつつあるのですから大変です。 真如堂の境内でも椎の木が樹勢を伸ばし、他の木々を陰の中に押しやっています。高くて太い椎の枝を打つ作業は専門家でも大変ですが、それを山中で行うのはなおさら困難で費用がかかります。 “森林ファンド”のような形で全国の人々に協力していただき、伐採した椎の木で栽培した椎茸をお送りする?などしてはいかがなものでしょうね。 拾 ひ た る 椎 の 実 の あ る 読 書 か な 千葉皓史
苦しみや煩悩に満ちたこちら側の世界「 そして、この 「布施」−すべての人に惜しみなく施すこと 「 「今日は“忍辱”の日にしよう」などと、1日1〜2つの実践目標を心に掲げ、彼岸の期間を過ごすことができれば、彼岸が終わる頃にはきっと清らかな気持になっているでしょう。
『 彼岸中のとある日の夕方、お隣の黒谷の山門の高みに登って掌を合わせている青年僧たちを見たことがあります。きっと、真西に沈む太陽を見て、「日想観」を修しているのでしょう。 いつかボクも槍ヶ岳の頂上に独座して「日想観」を修してみたいと思っています。槍がダメなら大文字で・・・。でも、彼岸中は墓回向でクタクタで、夕焼けを見ていたら心地よくなって眠ってしまうかも知れません。これではいつまで経っても煩悩まみれの生活から離れられそうにありません。 定例の更新日が彼岸の中日となったため、1日繰り上げて更新させていただきました。写真を撮っている時間があまりなく、“萩づくし”になりました。 手 に し た る 赤 の ま ん ま を 手 向 草 富安風生 |