7/1版 



         雨の合間の暗い境内   マウスを載せれば写真が変わります
 朝から雨。午後からも降ったりやんだり。
 つい先日まで、週間天気予報は晴れマークが続いてカラカラ天気の連続でしたのに、今度は一転して雨マークだらけ。下駄の表裏で予報しているのかな?
 梅雨前線は東西に横たわりながら南北に動くため、予報が難しく、少し離れると晴れ、少し接近すると雨になって、気象予報士泣かせなのだそうです。
 この雨は、水不足に悩む地方にとって、少しは恵みの雨となってくれたのでしょうか? 地震の爪痕も癒えぬ新潟に、また新たな被害をもたらしてしまいました。お見舞い申し上げます。
 6月の真夏日数を更新したところも多いようですが、向こう1ヶ月も平年よりも暑いとか。そういえば、去年の夏も暑かったでしょうか? ・・・忘れてしまいました。

     木下闇から光を見る / 本堂前の薄闇の中の自転車  マウスを載せれば写真が変わります
 境内は雨の重みで木々の枝が垂れ下がり、木の下に入るとかなり薄暗くて、まるで夕暮れ時のようです。
 濡れた石畳はよく滑るので、そろりそろり歩かないといけません。でも、歩みを止めると、蚊がラブコールを送ってきます。
 カラカラ天気の時はさほど多くなかった蚊ですが、つい3日ほど前に夕立などが降り出してからは、一気に蚊の数も増えました。
 これから草引きをする時には、渦巻きの両側から火を点けた蚊取り線香をぶら下げることが必須条件になります。
 お天気がよくないわりには、境内には時おり人影が見えます。観光でもなさそうですし、散歩とも思えません。何をしに来られたのだろうと観察していたら、いきなり、電動自転車に乗った初老の女性が本堂前の白砂を横切って、“愛車”を本堂前に横付けし、急いで本堂に上がって、またすぐに降りてきて、“愛車”にまたがって本堂の裏の方へ走り去って行かれました。
 何だったのでしょう・・・ 本堂の裏から境外へ抜ける道には階段があるので、自転車は無理・・・。本堂前の空気や時間の流れが、この一瞬だけ変わった気がしました。


         も  の  の  音   木  下  闇  ま  で  来  て  消  ゆ  る      後藤比奈夫



       最後のご褒美、紫陽花の雨 / まだ色浅い木槿  マウスを載せれば写真が変わります
 境内の紫陽花は日に日に色褪せてきました。終焉を迎える前、ようやくたっぷり降った雨に精気を取り戻し、喜々としているように見えます。
 代わって咲くのはむく槿。まだ、限られた木にしか花が咲いていませんが、これから9月半ばまでの長きにわたって境内に彩りを添えてくれる、夏には貴重な花です。
 さて、1年の半分が終わり、今日から後半が始まりました。
 昨日、神社では夏越しの大祓えの神事が行われ、入り口には茅の輪が建てられていました。
 茅の輪をくぐると、疫病や罪が祓われるといわれ、またその茅を抜き取って持ち帰り、輪にして戸口にかけると疫病除けになるとされています。
 先日テレビで見た茅の輪は、参詣人に次々と茅を抜かれ、見るも無惨に骨組みだけが残っていました。茅のない“茅の輪”でも効き目があるのでしょうか?
 ほとんどの人はただ真っ直ぐ輪をくぐっておられますが、本当はまず輪をくぐって左に回って正面に戻り、次に輪をくぐって右に回ってもう一度正面に戻り、最後にもう一度輪をくぐって直進する。この時、「みな月のなごしの祓いする人は千歳の命のぶるといふなり・・・思ふ事みなつきねとて麻の葉をきりにきりても祓ひつるかな・・・蘇民将来そみんしょうらい、蘇民将来・・・」とお唱えする。これが正しい茅の輪のくぐり方です。
 お唱えする文句がなかなか難しくて、憶えられそうにありません。

千両の花 / 龍の髭の花  マウスを載せれば写真が変わります
 今日から祇園祭の諸行事が始まり、祭の安全を祈願して、長刀鉾の稚児が八坂神社本殿の周りを歩く「お千度」の神事が行われました。
 また、各山鉾町では、町会所に祭壇を設け、八坂神社の神職がお祓いをして祭の無事を祈願したり、祭りの段取りを打ち合わせする「吉符入」も行われました。これからは各山鉾町を歩くと、祇園囃子の音が聞こえてくることでしょう。
 大祓えに祇園祭、なんだか神社の話題ばかりのようですが、実は八坂神社は、平安時代から明治の神仏分離令まで、「祇園感神院」という比叡山延暦寺の別院でした。
 そもそも「祇園」という名前は、平家物語でも有名なように、インドの祇園精舎に由来しています。インドの祇園精舎はお釈迦さまが覚りを開かれた後、最も長く滞在して説法された場所で、土地や建物を寄進した人の名前をとって「樹給孤独園精舎」と呼ばれました。
 このインドの祇園精舎の守護神が牛頭天王ごづてんのうであるところから、祇園社(八坂神社)も牛頭天王(=素戔嗚尊すなのおのみこと)を祀るようになったのです。素戔嗚尊を祀る神社を「天王さま」などと呼ぶことがあるのも、ここに由来しているのでしょうか。
 古来、日本人は神道、仏教、中国の道教などを習合させて独自の神仏観を生み出してきました。神道と仏教とを別々に考えてしまうと、かえって本来の姿が見えなくなってしまいます。
 祇園祭自体も、いろいろな宗教・習俗面から見てみると、新たな発見がいっぱいあるかも知れません。
 2日は、「半夏生はんげしょう」です。



          薄   墨   の   滲   む   速   さ   や   半   夏   生       石田文子