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雨に洗われた新緑は一層色鮮やかで、快晴の空からさしてくる陽の光が、新緑のフィルターを通して樹下の大地に降り注いできます。 やわらかな緑、その間を渡ってくる薫風、梢の間から見える青空。この空間にいれば 気温は平年より低く、今日の最高気温は20度ほどと、連休の頃と比べて季節が逆戻りしたかのようですが、今日は暑過ぎもせず爽やかで、散策するには最適です。 雨後の早朝には、雨が上がるのを待ちかねていた犬の散歩の人たちが入れ替わり訪れ、天気が回 復してからは新緑を楽しみながら歩く人たちの姿が普段より多くみられました。 毎朝、境内を通り抜けていく金髪の若い外国人の男性がおられます。今朝、ちょうど本堂の前で出
明らかに毎朝のお決まりの行動のように躊躇も滞りもなく、しかも誰に習ったのか拍掌2回、礼はごく浅め。何かを祈願するふうでもなく、さっさと去っていく。彼は仏教徒なのでしょうか? 少し違和感のある光景でした。 境内にある宿泊所には修学旅行の中学生が泊まっていたようで、同じ頃、徒歩で参道を降って行きました。哲学の道でも散策するのでしょう。 楽 し さ の 生 ま れ ゆ く 風 薫 る と き 稲畑汀子
4月下旬には、もみじの小さな芽が地面にいっぱい生えていましたが、あれは昨年落ちた種から発芽したものでしょうか? いつも見慣れている光景ですが、いざ考えてみると、どういうサイクルになっているのかわかりません。 園芸のマニュアルによると、もみじの種は9〜11月の落葉寸前に採取し、翌年2月中旬〜3月中旬に種まきをすると書かれています。 出来たばかりの新しい種は、今はまだ落ちるべき時ではないはず。いま落ちている種は、ひょっとしたら出来が悪いか、数が多すぎたかで、切り捨てて落とされたものかも知れません。梅の実も、今は生理落果のピークで、青く小さい梅がいっぱい落ちてきています。それと同じような現象でしょうか? じっと観察すればいいのですが、1週間も経たないうちにそんなことは忘れてしまいます。きっと来年の今頃も同じようなことを書いているでしょう。
前回の当ページにも書きましたが、この大つつじはボクが昨年の花後の剪定に失敗したため、ご覧のように下半分の花がごくわずか。今年は余計なことをしないように肝に銘じています。 それにしても大きな木でしょう。1株のように見えますが、実は2株なのです。 一番下の枝と地面の間には少し空間があり、子供の頃にはこの空間に隠れ家の“基地”を作ってよく遊びました。 今でも、このつつじの隣にある梅の実を拾う時にこの空間に入ることがありますが、ちょっと太くなったボクにはとても狭く、蛇でも出てきそうにジメジメしていて、一刻も早く這い出したいとしか思いません。 この空間に想像を膨らませていた少年は何処へ?
15センチほどの純白の柔らかそうな花が、やや下向きに咲く、清楚な花です。 この花に出会うために、深山に分け入る人もいると聞きますが、住職が買い求めて植えたのが環境が合ったのか、自坊の庭先で咲いてくれています。 大峯山や大台ケ原近くに自生し、花が蓮の花を連想させることからこの名があるそうです。目連の仲間で、とても芳しい香りがします。 花ももちろんいいのですが、この蕾のかわいいこと! 白い卵のような形をして、ボクには開いた花より蕾の方がなお一層清楚に見えます。 こうして花の写真を載せると、時々「あの花はどこにありますか?」とお訪ねくださる方がおられます。 大山蓮華は、吉祥院の門に向かって右に進んだ土塀の中にあります。4メートルほどの木ですから、塀の外からでも花をご覧いただけます(中からの方が見にくいです)。 でも、蕾はちょっと見つけにくいかも知れません。ボクは土塀の上に乗って写真を撮りましたが、皆さんはご遠慮下さい。
そんな時に更新作業を助けてくれるのは、野の花たちです。 先日から目を付けていたのはこの花。 実は、ボクは両方同じ花だと思っていましたが、違うのですね。 春紫苑は、4〜5月に咲き、蕾はちょっと下に垂れる。葉の付け根は細い茎を抱き、茎は空洞。姫女苑は、6月以降に咲き、蕾は上向き。葉は茎を抱かず、茎は詰まっていて中は白い。 何だか、違いを際だたそうとして、わざわざ反対のことをしているようにも思えて妙ですね。 15日は、京都三大祭の一つ、葵祭です。 地 に 落 し 葵 踏 み 行 く 祭 か な 正岡子規 |