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最高気温は昨日より9度ほど低く、連休中の30度近い気温に慣れてきた体には、少し肌寒く感じました。 北海道からは積雪のたより。せっかく、札幌近くまで桜前線が北上していきましたのに、お気の毒です。一方、沖縄はもう梅雨入りとか。日本の北と南ではずいぶん違うことを、改めて実感しました。 近畿地方の1ヶ月予報では、今後1週間は平年より気温が低く、次の週は逆に高く、あとは平年並とか。暑かったり、少し肌寒かったりを繰り返しながら、梅雨へと向かっていくのでしょう。 春から初夏へ、その区切りのような今日のプチ嵐でした。
それどころか、楓の実はすでに落ち始め、実に付いた2センチほどの羽根を使って風に乗って、少し離れたところまで飛んでいます。 去年落ちたもみじの種が芽を出し、あちらこちらに双葉のあかちゃんもみじが生えています。でも、不思議と楓の種が芽を出したのを見たことがありません。あれだけ散らばっているのに。 境内に咲く花は、つつじ。藤も八重桜も、馬酔木も 今年のつつじの開花は、春先の冷え込みの影響で、例年より少し遅かったようです。 吉祥院前の大つつじは、今年は花が少なめ。特に簡単に手が届く部分の花付きが悪いのは、ボクが気まぐれに時季はずれの剪定をしたからです。余計なことをしなければよかったと、深く反省しています。 雨 重 き 葉 の 重 な り や 若 か へ で 炭 太 祇
三井高利氏は、「現金掛け値なし」で呉服の廉価販売を始め、また呉服は反物単位で売るという当時の常識を覆して切り売りをし、庶民の大人気を集めました。越後屋呉服店、今の三越です。 念仏信者であった高利氏は、自らの墓所を真如堂に設けたいと願い、元禄6年(1693)に病床についてからの遺言に「墓地を真如堂に定めるよう」にと記したといいます。 病がいよいよ重くなった翌7年の4月、高利氏の六男は真如堂やそれまでの菩提寺と墓所について話し合いをして承諾を得ました。事が叶ったことを聞いた高利氏は、311年前の今日、念仏を称えながら73才の生涯を終えました。 折しも、真如堂は元禄6年、東山天皇の勅により現在の寺地に復すことが許され、本堂をはじめとする伽藍を再建する途中でした。三井家はこの大事業にも尽力してくださいました。
高利氏をはじめとする三井家の方々の墓石は、本堂右の墓地の中に並んでいます。 その一角に、「総墓」と呼ばれる大きな墓石があります。三井の呉服店と両替店では、亡くなった奉公人の供養のために、戒名を彫った石塔を建てました。それが総墓です。真如堂には、亨保6年(1711)から文久3年(1863)の間に建てられたものまで、合計8基が並んでいます。 今日の法要は、「
なりすぎた実を調整するための生理落果かと思っていたら、見る見る赤くなって、すっかり美味しそうになりました。 それを鳥が見逃すわけがありません。早速、ヒヨドリがやって来て、サクランボを一気飲みしていました。 今日は嵐のようなお天気だったからか、食べに来たヒヨドリも少なかったのですが、明日には団体で押しかけて来るでしょう。 小さいですが甘く、木に登って、手一杯に採って食べるのは何とも言えない、猿にでもなった気分です。10日からは「愛鳥週間」ですが、ヒヨドリにサクランボを盗られてたまるか! 暑くなったり、涼しくなったり、気温差の大きい日が続きそうです。どうかご自愛下さい。 方 丈 に 今 と ど き た る 新 茶 か な 高浜虚子 システム変更に伴い、5/10午後より数日間、[ LiveCamera ]が停止します
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