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明日は「絶好の行楽日和になります」と予告されていますが、あまり今のうちに“お天気マーク”を使い果たすと、連休の頃に足りなくなるのではないかとも案じられます。 常照皇寺や仁和寺の御室桜をのぞいて、桜の観光シーズンもほぼ終わり、今はその余薫。満開の桜はありませんが、人や車も多すぎず、ゆったりと春のそぞろ歩きが楽しめます。 ターミナル近くでは、リュックを背負った10人以上の方々がぞろぞろと歩いておられる姿をよく見かけます。団体でぞろぞろ歩く人のほとんどは50〜60才以上。もちろん、若者の好むスタイルではありませんが、お天気さえよければ、年齢にかかわらず、とても気持がいいでしょう。 全国各地の春祭の話題もにぎやかになってきました。京都の地元紙にも5月に行われる葵祭の話題が載るようになってきました。桜、新緑、祭と、季節の移ろいが、一気に加速したように思います。このまま暑くならずに、時間が止まってくれればありがたいのですが・・・。
あと数日のいのちの桜の花の色、もみじの新緑の色、もみじやカエデの花の赤。それらのいずれかが特に勝っているというわけではなく、それぞれが同じようなバランスで入り乱れ、まるでパレットをひっくり返して色が混じったような景色です。 それにしても、われわれが桜に気をひかれているうちに、もみじはさっさと葉を出し、木によってはもう一人前に葉を広げきろうとしています。春は、木々や花々が我先に花を咲かせ、芽を吹こうとするので、交通整理が必要です。 さらに、もみじは新しい葉を出したと思ったら、すぐさま花を咲かせ、樹下にとめてある車のフロントガラスがその蜜で汚れるようになってきました。おまけに、花粉や黄砂がその蜜に引き寄せられ、そのうち蟻もやってくるようになってきます。春は青空駐車をする車の受難の季節でもあります。
今日、写真を撮っていたら、「チューリップも咲いてますから、撮ってください」と職員に自分の育てた花を売り込まれました。ちょっと不似合いですが、「チューリップも咲いています」。これで義理が果たせました。 花々の写真を撮っていたらきりがなく、朝昼晩と表情も変わるので、何時間も費やしてしまいそうです。つい3週間ほど前には、撮るものがなくて困っていましたのに・・・。今はうれしい悲鳴です。 何 が 何 や ら み ん な 咲 い て ゐ る 種田山頭火
「桜標本木、世代交代へ準備着々 京都地方気象台 『テスト』続ける」という見出しのその記事は、 「京都地方気象台にある京都のサクラの標本木は樹齢60年以上の老木で、いつ枯れても不思議ではないため、樹齢20〜30年の若い木の中から新しい標本木の候補を1本に絞り、95年から開花日を比較観測している。 今の標準木と候補の木の開花日がぴったり合ったのは、この10年間で2回だけ。気象台は『あまりずれが大きいようだと、標本木として“落第”するかもしれない』と、若いサクラに健闘を促している」という内容でした。 以前にも書きましたが、染井吉野は大島桜と江戸彼岸桜の雑種で、種子ができないため、もっぱら接ぎ木で増やされています。全国津々浦々の染井吉野は、江戸時代に東京・染井村の1本の木から接ぎ木を繰り返して増やされた“クローン”で、理屈の上ではすべて同じ性質を受け継いでいるといえます。だから、「桜前線」という考え方も成り立つわけです。
ボクはいつも、京都の気象台の染井吉野の標準木は市井の染井吉野とずれているのではないか、開花予想日にあわせて開花宣言をしているのではないかなどと悪口を言っていますが、そんな疑惑?の木がどうして“標準”で、新しい候補の木がそれと違うからといって“落第”だと言われるのでしょう・・・。 世間とずれた深窓の現標準木より、街角の十把一絡げの染井吉野を“標準”としてはいかがでしょうね。しまいに気象台から怒られそう・・・。 「春山淡 野山に分け入って歩き回りたい衝動が、新しい葉のように、一気に拡がっていきます。一っ走り、大文字山に登ってこようかな! う ら ら か や 行 く 山 |