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「春に3日の晴れなし」という言葉がありますが、2月は5日弱晴天が続くのに、3・4月は3日と続きません。 「養花天」という言葉は、花や木々の新芽を育てるそんな春の気候を、実にうまく表現したものだと思います。 今日はおだやかなお天気でしたが、それも明日の午後には崩れてくるようです。 今日から新年度。昨日と1日変わっただけですが、気分はずいぶん違います。 新入社員、新入生、新制度、新市町村・・・いろいろなものに「新」という字が付いています。新しい市の名前を言われてもどこかわからないように、様々な「新」に慣れるまで、しばらく時間がかかりそうです。 そういえば、今日はエイプリルフール。嘘をついても許される日として、かつては冗談を言って楽しみましたが、最近はそんな風習も影をひそめた気がします。時として、場が和む風習でしたが・・・。 万 愚 節 に 恋 う ち あ け し あ は れ さ よ 安住 敦 「万愚節」とは、エイプリルフールのことです
先週末頃から、京都には観光の人たちの姿が、急に目立つようになってきました。
明日から3日間はまた雨で、火曜日からお天気が回復してあたたかくなる予報ですが、境内の染井吉野の開花は、おそらく月曜日頃になるのではないでしょうか。 以前にも書いたかも知れませんが、染井吉野という桜の品種が、東京・染井を出て、日本全国に拡がったのは、幕末から明治初年と言われています。 今、東京の標準木となっている靖国神社の木でさえ、明治初期に初めて植えられ、同20年代頃から東京の各公園などに植栽され始めたそうです。大阪に染井吉野が植えられたのは日露戦争以後。京都はいつだったのでしょう? 染井吉野が流行する前に自生していた桜は、彼岸桜や山桜などで、それが次第に染井吉野に替えられていったわけです。 染井吉野が植えられる前の境内はどんな様子だったのだろうと、時々考えます。松食い虫によって松が壊滅する前の、おそらく50年ほど前の写真を見ると、境内には高い松の木が鬱そうと生えていて、今とはまったく違う寺かと思うほどです。
今、植わっている染井吉野はボクの幼い日の記憶と年齢から推測すると、樹齢70〜80年。染井吉野の寿命の定説よりは長寿だと思います。 樹齢70〜80年と染井吉野の普及などを併せ考えると、真如堂に初めて染井吉野が植えられた当時の木ということになるでしょう。誰がどういう思いで植えたのでしょう・・・植えたのはたぶん植木屋さんでしょうが。 以前、植木屋さんに「桜を植えてください」と頼んだ時、染井吉野にするか、他の種類にするかと聞かれたことがありました。最近は、染井吉野以外の桜を植えて欲しいという方も増えているそうです。面白い現象ですね。 本堂裏の 境内のあちらこちらで、赤・白・ピンク、一重、八重など、いろいろな種類の椿が咲いています。 先日からこの椿ばかりをスケッチしている人がおられたので、「椿がご専門なのですか?」と聞いたところ、「いや、そうじゃないのです。桜が咲かないので」と、花粉除けのマスクの下から、モゴモゴとお応えになりました。 一見しただけですが、素人技には思えない絵で、蘊蓄のまったくない無口な人でしたから、きっとプロでしょう。素人さんは語りたがりますから。 次回の更新は、きっと桜満載となるでしょう。でも、桜もいいけど、椿もいいですよ。 初 花 の 薄 べ に さ し て 咲 き に け り 村上鬼城 |