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今日は穏やかな日でしたが、この雨がまた余寒をもたらしそうです。 今日は「雨水」。「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也 」(『暦便覧』)。今夜の雨が、草木の芽をまた大きく育ててくれるでしょう。今頃に降る雨は、春の準備をする木々の根をやさしく潤している実感がしてきます。 境内の様子も少し変わってきました。もみじの枝の先は赤く色が変わってきて、陽の当たっている枝は、キラキラ輝いて見えます。芽はまだ膨らみはしませんが、根から吸い上げた水分が幹から枝へと送られているバロメーターのようにも思える枝の赤さです。 そろそろオオイヌノフグリでも咲き出しただろうかと、下を向いて歩き回りましたが、1輪も見つけることはできませんでした。
はこべさえまだ萌えない今頃の季節に、じっと下を向いて逡巡しているかのようなボクの姿を遠目に見た人は、一体何する人ぞと思われたことでしょう。落としたお金を探していると思われたかも知れません。 雪国の人にとって、春は一層待ち遠しいでしょう。とりわけ、震災後の大雪という二重禍の中にある新潟の人たちにとって、雪解けと春の訪れは念じてやまないものでしょう。 昨日、雪がまだわずかに残る三千院門跡に伺いました。赤城おろしが吹くところで幼少期を過ごされた御門主は、「子供の頃は ♪ 春よ来い! 早く来い! という歌と同じような気持で、春が来るのが待ち遠しかったですよ」とおっしゃいました。 それぞれの場所、気持で、春を待っている人がいることに思いを至らせました。 春 待 つ や う わ ご と ま じ り の 子 守 唄 室生犀星
小さくあまり目立たない花ですが、鈴なりに花が咲く様が「盛り」を連想させたのでしょうか、万葉集などでは「栄え」「盛り」の枕詞のように使われました。 先日、滋賀県の長浜に盆梅展を見に行きました。 盆梅は、梅の古木を野山などから採って長い年月を丹精込めて育てあげた梅の盆栽で、2メートル以上の大きなものや樹齢400年を超す古木などがあり、それはもう神々しいともいえる域のものでした。 ついでに、その近くの寺で開かれていた「馬酔木展」に寄ってみました。馬酔木の盆栽展のようなものでしたが、盆梅展を見る前に見ておけばよかったと思いました。 会場で売っていたピンクの馬酔木の鉢植えを求めて帰り、部屋の中に置いていたら、買った時はまだ小さな蕾だったのが、あっという間に満開になってしまいました。そんなに早く咲いてはもったいないと思うほどのスピード。その時、「馬酔木って、気温に敏感なんだなぁ」と思いました。
馬酔木を買った時に「水を切らさないようにしてください」とアドバイスしていただき、育て方の説明書きにも「午後の強い日光を避け、保水力のある肥沃な腐食壌土を好む。乾燥地では生育が悪い」と書いてありました。 ボクは、これを見て、「な〜るほど」と大きく頷きました。 真如堂の馬酔木は本堂の北側に植わっていて、本堂の大屋根が昼の強い日差しを遮ってくれます。またその場所は肥沃とは言えませんが、粘土質で、絶えずジメジメしています。 この馬酔木がいつ植えられたかはわかりませんが、木の特性を考慮して、このふさわしい場所に植えられたのだろうと思うと、「な〜るほど。参りました!」と言いたくなりました。 例年ですと4月の中頃まで咲いていてくれますが、今年は・・・。
椿の花の美しさには、時々ドキッとさせられます。咲いてよし、落ちてよし、絵になる花です。 自坊の 侘助は椿と茶の木の雑種ですが、椿のように花弁が開きません。 秀吉が朝鮮出兵の時に連れ帰った人物の名前だとか、利休に仕えた下男の名前に因んだなどという説があり、寂びた趣の茶人好みの花です。 自坊には、白、ピンク、胡蝶の3本があって、白侘助は12月頃から咲いていましたが、白い花は写真に撮るのが難しく、毎週選外となっていました。ようやく、胡蝶が日の目を見ました。 椿のような“主張”が薄い、うっかりすると見落としてしまいそうな、控えめでかわいい花です。“控えめでかわいい”と聞いて、「あっ、私と同じだ」と思っておられる方はおられませんか? ・ ・ ・ ・ ・ インフルエンザ、風邪共に流行っています。ご自愛下さい。 侘 助 や 障 子 の 内 の 話 し 声 高浜虚子 |