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昨日は最高気温が14.6度もあり、4月上旬の気温。今日も10度を超えましたが、昨日があたたかかっただけに、さほど有り難さを感じませんでした。 今日は気圧の谷が東へ移動して、関東の太平洋側で雨が降っているようですが、この時期の太平洋の雨は春の兆しとか。でも、また今夜あたりから冬型に逆戻り。週末が寒くなるのが最近の流行です。 今こそ「三寒四温」という言葉の使い時のようですが、この言葉の発祥地である中国の北東部では「いくら冬だといっても、3日寒かったら4日間ぐらいは暖かい日がある」という意味で、冬の天気をいうのだそうです。それを気候に敏感な日本人が取りいれ、日本流に使い出したというわけです。 少しでもあたたかい陽射しを見ると、家の中でじっとしていられませんね。土曜日を挟んだ連休は、まずまずのお天気になりそうです。 春 め き し 風 と 覚 え つ
真如堂のご本尊は慈覚大師円仁作と伝えられる阿弥陀如来ですが、この仏さまは最初、比叡山の常行堂のご本尊でした。 その仏さまが真如堂の開祖戒算上人と東三条院藤原詮子の夢枕に現れ、真如堂が生まれたと、『真如堂縁起』には記されています。 「上人の夢枕に立った常行堂から来たという老僧は、『神楽岡のあたりに、千本の桧が一夜のうちに生えた場所がある。そここそ仏法有縁の地、衆生済度のところ、末世にふさわし真正極楽の霊地である』と告げた。この夢に驚いて弟子を遣わしてみると、女院の離宮の中に、今まで見たこともないような桧が生えている場所があった。今の真如堂の敷地がそれである。 女院の夢にも一人の老僧が現れ、『私は比叡山の常行堂から来た。女人を済度する願いを持って聚楽に下る。まずは汝の宮中に行こう』と告げた。 如来は女院の宮中に遷座され、比叡山の多くの碩学たちを喚び、厳かな儀式が執り行われた。女人が済度されることは確かである」
この東三条院藤原詮子の菩提を弔う「女院忌」が、毎年2月12日、真如堂発祥の地である念仏堂(換骨堂、真如堂の東側)で執り行われます。 『大鏡』などによると、女院が亡くなったのは1001年の閏12月22日。鳥戸野において荼毘に付され、宇治木幡の宇治陵に葬られました。真如堂は新暦に換算して、2月にお勤めをしています。
藤原詮子(東三条院)も、ここに住んでおられました。どんな梅の花を見ながら過ごされたのでしょう。 「万葉集」の頃は白梅が好まれましたが、平安時代中頃よりは桜(山桜)が流行し、『源氏物語』にも紫の上が愛した花として桜が描かれています。詮子もひょっとしたら、梅より桜の方がお好きだったかも知れません。 自坊吉祥院前の白梅が満開になりました。境内の他の梅より早く、去年よりも1週間ほど早い満開です。この分だと、桜の見頃は4月2・3日頃か、その前か・・・? 京都の梅の名所といえば、北野の天神さん。梅苑の公開も2月5日から始まり、門内と梅苑合わせて50種約2千本の梅が愛でられます。この他、梅宮大社や京都御苑、二条城など、桜の季節と比べて、静かに楽しめます。見頃は3月上旬まで・・・今年は2月末頃までかも知れませんよ。 あたたかくなるのはいいですが、静かにしてくれ! 毎晩毎晩・・・。 う ら や ま し 思 ひ き る 時 猫 の 恋 越智越人 バ レ ン タ イ ン の 日 は 老 人 で あ り に け り 多田薙石 |