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夕べ、除夜の鐘の帰りには雪もかなり融けてきていたので、元旦の朝は雪の心配をしなくてもいいだろうと思っていましたのに・・・「ドーン」という音は、水気をたっぷり含んだ雪が上層の屋根から下層の屋根に落ちる音でした。 重たい雪に下駄の歯を詰まらせながら本堂へたどり着いた時には、すでに足袋の先は濡れ、寒さが軽い痛みに変わってきていました。 1年の最初、元旦のお勤めである「 「1年の最初の声は、御本尊へのお勤めの時に出す」という暗黙の取り決めに従って、誰も口を開こうとはしません。沈黙が寒さをいや増します。 短い読経の中、法会に先立って御本尊の御扉が開けられた後、修正会のお勤めが進みました。元旦の法会ならではの凛とした空気と、背中からじわじわ忍び込んでくる寒さに包み込まれるようにして、約1時間半のお勤めが終わります。場所を開祖や願主、歴代がまつってある仏殿に移して、また読経。 その後は、赤毛氈が敷かれた部屋での年賀式。お屠蘇を貫主より受け、花びら餅にお抹茶、昆布茶をいただいて、元旦の一山行事は終わりました。
本堂の前で元旦更新用に使えそうな写真を数枚撮り、雪がみぞれ状になっている道や、雪がボタボタと落ちてくるような木の枝の下を避けて、自坊に帰ってきました。 自坊でのお勤めを済ませ、おせちをいただき終わるやいなや、真っ先にした作業は雪かきでした。 最初は箒で雪を除けるだけでしたがラチがあかず、そのうち毛糸の帽子と作業着に長靴姿でスコップを持ち、参道の水はけがよくなるように地面を掘ったり、砂利を撒いたり。まさか、坊さんが元旦早々土方作業をしているとは、誰も思いますまい。ボクの“変装”に気づく人はおられませんでした。 次第に墓参が増え、境内は賑やかになってきました。ボクも僧衣に戻り、お越しになった方とお話をしてみると、「私のところは、こんなに雪が積もっていません。ビックリしました」と口々におっしゃいました。大阪や神戸の方ならまだしも、わずか数キロしか離れていない京都市内の方にそういわれると、なんだかここが辺境の地のように思えてきます。この雪はゲリラ雪だったようです。 雪が積もっているなどと思っておられなかったのでしょう。着物姿の女性もおられ、足袋の汚れが人ごととは思えませんでした。 元旦の境内が雪で覆われているなんて、何年ぶりでしょう。今年、何かよいことが起きる前兆だといいですね。 新 し き 年 の 初 め の 初 春 の 今 日 降 る 雪 の い や 重 け 吉 事 大伴宿禰家持
「足下も悪いので、鐘を撞きに来る方はさほど多くないだろう」と思っていましたが、さにあらず。鐘を撞く希望者の列は、ピーク時には鐘楼堂を一回りして石段を下がり、50メートルほど離れた手水舎の前にまで達していました。 重たい雪は時に強く降り、地面はぬかるんで、頭の先からでも靴の底からでも経路を問わず、寒さが伝わってきます。そんな中でおそらく小一時間待ち、やっと鐘を撞かれた方もおられたでしょう。 “鐘撞きチーム”を組み立てていた僧はその人数の多さを見て、最初4〜5人で1撞きだったのを、6〜7人で1撞きに変更。それから推し量るに、撞きに来られたかたはおそらく600人を切る程だったのでしょう。 京都は外国人学生などが多く住む街です。撞きに来られた方の中には外国人も多く、飛び交う言葉も、英語はもちろん、フランス語、ドイツ語、ロシア語?など。でも、そんな肌や髪、眸の色、宗教が違う人々も、自然と除夜の景色の中に溶け込んでおられました。
第2次世界対戦の時には供出対象になり、材質を調べるため開けられた直径1センチほどの穴が、今も鐘の上下部に4つ残っています。戦後、岡山県三菱精練所で無事発見され、戦争の道具になることなく寺に返されました。 そんな運命を持つ鐘の下で、今いろいろな国の人たちが集まって、1年を省み、あるいは願いを込めて、等しく鐘を撞いている姿が、とても有り難いものに思えました。 今年が、どうかいい年になりますように・・・。 |