12/17版
過去30年間の統計によると、京都に初雪が降るのは12月14日。「雪が降ったら京都に行こう!」と意を決している方もおられるでしょう。 今日発表された近畿地方の1ヶ月予報では、これから先は平年に比べて晴れの日が少なく、雨や曇りの日が多いだろうとのこと。気温も来週は平年より高めで、その後は少し低いなり、また高くなるということ。まだまだ雪は望めそうにありません。 「午後から晴れる」という予報をたよりに写真を撮る算段をしましたが、昼からも時おり日がさす程度で、ほとんど曇り空。時雨れても不思議ではないような空模様でした。 日がどんどん短くなり、夏と比べるとずいぶん損をしている気がしますが、21日は冬至。東寺では「終い弘法」が催されます。いや、その“トウジ”ではなくて・・・。冬至を過ぎれば、また少しずつ日が長くなりますね。
「どこか、まだ紅葉が見られるところはありませんか?」などというお客さんの懇請で来ていたタクシーも見なくなりました。門前で客待ちをしていたタクシーも、「もういくら待てども客など来ない」と見限ったのでしょう、公道を占拠することもなくなりました。 本堂の拝観者は、10人台にまで下がってきました。これからは、休日でも大きく増えることはありません。 人影もなく、ガラーンとした本堂の中は、冷え冷えとしています。「凛としている」と言い替えれば、また受ける印象も違ってくるかも知れません。 ボクは、モノトーンに近づいていく冬の境内や身が締まるように冷えた静寂の本堂の雰囲気が、1年中で最も好きです。 冬 ざ れ や 石 に 腰 か け 我 孤 独 高浜虚子
人も少なくなって来ましたから、もうそろそろ毛糸の帽子をかぶって、境内に再デビューされるでしょう。 紅葉期に姿を見せなかった野良猫のミーコとも、最近やっと毎日出会うようになりました。野良犬も闊歩しています。いいのか、悪いのか・・・。 もうほとんど普段の姿に戻った境内です。 さて、境内の落ち葉の掃除も、9割方終わりました。 職員は、集めた落ち葉を「今日の昼から燃やします」などと一々消防署に電話をしてから焼却炉で燃やしたり、あるいは数人がかりで穴を掘って埋めたりして、その処理に追われてきました。 そんな中、「枯れ葉をください」と取りに来られる方もおられるそうです。きっと、堆肥にでもされるのでしょう。大助かりです。お礼に焼き芋を付けてあげたいぐらい・・・気持だけ。
でも、そんな木のために落ち葉掃除がなかなか完了しません。痛し痒しです。 自坊にもそんな木が数本あります。ボクはそれが散り切るまで、その付近の掃除をサボろうと決め込んでいます。 お越しになる方は、数日間放置して乾ききった枯れ葉をカサコソ踏みしめておいで下さい。落ち葉で階段が隠れていますので、くれぐれも踏み外されませんように。 わ が 歩 む 落 ち 葉 の 音 の あ る ば か り 杉田久女
真如堂〜黒谷本堂〜岡崎神社〜黒谷文殊塔〜紫雲石〜真如堂本堂を、写真を撮ったりしながらブラブラ歩く30分。すれ違う人は、たいてい顔なじみ。 日ざしや気温の高低、眺望の良し悪しなどは毎日変わりますが、咲いている花や葉を落とした木々の様子は、今はほとんど変わりません。落ち着いた雰囲気の冬の散歩です。 綺麗な紅葉に溢れんばかりの秋は、ただその景色の中に身を置くだけで充分楽しめます。冬は、「何か面白いことはないかなぁ」とこちらから積極的に動いて、「あれっ、こんなところに・・・」「霜柱見っけ!」「あの鳥は何だぁ!?」などと、何も変化がないように思える中から何かを見つけ出す喜びがあるように思います。それが冬の散歩を楽しくさせている要素の一つなのかも知れません。 今は、あちらこちらに、ドングリがいっぱい落ちています。その実は、場所によって少しずつ形が違います。 道一面に落ちている実を避けては通れないところもあり、「ザクッ ザクッ」とドングリの鈍い悲鳴を足の裏に聞きつつ、自分の身も傷むような思いがして、「あっ、ゴメン。悪いなぁ」と心の中で囁きながら歩きます。
それが原因なのか、菩提樹やサンシュユ、ニシキギやリュウノヒゲなどの実付きがよくありませんでした。一方、水仙や山茶花の花は、例年以上にたくさん咲いています。 今年の気象が得意な植物と苦手な植物があるようですね。 前述しましたが、21日は冬至です。冬至にはゆず湯に入ったり、かぼちゃを食べる風習があります。 年末、皆さまも忙しくお過ごしのことと思います。ゆず湯に入って、その香りをいっぱい吸い込んで、1年の疲れを少しでもお取りください。 入浴剤の“柚子湯”ではダメですよ! 1年間のご自分へのご褒美に、奮発して本物の柚子をお買い求め下さい。きっとリラックスできるでしょう。 さぁてぇー、年賀状、そろそろ取りかかるかなぁ。 遠 ざ か る 人 と 思 ひ つ 賀 状 書 く 八牧美喜子
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