12/10版
境内を訪れる人もまばらになり、一時の喧噪は嘘のよう。大声で談笑するご婦人グループの声が、時折、境内をすり抜けていきます。 あるいは、落ち葉を満載して走る軽トラックのエンジン音や、落ち葉を掃除する機械の音が、遠くで、近くで聞こえます。 雑踏に紛れていた音たちが、静かに姿を現した感じです。 境内の落ち葉掃除も、ピークを越しました。まだたくさんの紅い葉を付けている木もありますが、それぐらいの落ち葉は余力で掃除ができそうです。 「今日は(軽トラ)5杯運んだ」「もうあそこはいっぱいで捨てられない」などと、落ち葉の処遇を語る職員たちの声も、境内の静寂に吸い込まれ、日々静かになってきました。
拝観者が一番多かったのは、11月23日の1946人。一昨年、JR東海の「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンに取り上げられた時は、拝観者が3000人を超えた日があり、1000人以上の日も何日もありました。今年は団体が減り、1000人を超えた日はわずかだったようです。 今月に入ってから、拝観者はあれよあれよと減り続け、ここ数日は50〜60人。11・12日の土日で少し盛り返すかも知れませんが、その後は一気に1桁と2桁を行き来する状態になるでしょう。普段の真如堂です。 いよいよ紅葉シーズンは完全に閉幕。冬枯れの境内がやってきます。 老 木 の ふ っ と 木 の 葉 を 離 し け り 大串 章
ピーク時を「豪華」と言うとすれば、今は「清貧」という言葉が当てはまる気がします。 人も少なくのんびりした境内を、「どこが綺麗かなぁ…」と、陽の光が当たって透き通っているようなもみじを探して何周か巡ります。 夕方などは、刻々と陽の当たる枝が変わり、そのうち写真を撮るのを諦めなければならない時間がやってきます。朝日の頃は、太陽が上がりきってしまうまでがタイムリミット。 その切迫感の中の、今しかない紅葉との一期一会。それは人の多い頃ではなく、多少の寂寥感の漂う今ならではの醍醐味です。 早春に野山に出て梅を探す「探梅」という季語があります。今は言うなれば「探紅」の頃。真っ赤に燃える名残の紅葉を探して歩くのです。 最後の真っ赤な一枝のイメージを、頭の中でうまく膨らませることが出来ると、「わぁー、極楽の世界ってこんな感じかなぁ…」と、その光景に包まれて体が温かくなり、心の中が透き通っていくのを実感できることがあります。幸せな瞬間です。
緑・黄・紅の入り交じった美しさが、次第に黄と赤へ移り、枝に付いた葉も少なくなって、残る葉も少しずつ輝きを失って来ました。 掃除をするのが勿体ないほど美しかった散り紅葉も、徐々に乾いて反り返るようになってきました。土日にお越しになる人に楽しんでいただいたら、そろそろ掃除しようと思います。 春は新緑、夏には日陰を作り、そして秋には真っ赤に染まって訪れた人々を魅了し、散っても美味しい焼き芋をプレゼントしてくれた木々の葉たち。今年も本当にありがとう……。しばらくは、ゆっくり休んでください。 昨 日 よ り 深 き 音 し て 落 葉 踏 む 中村菊一郎
また、同じ日、北野の天神さんでは、元旦の朝に茶の中に入れて飲むと無病息災の御利益があるといわれる「大福梅」が授与されます。これも京の師走の歳時記の定番。ところが、天神さんでは、早くも梅が咲き出したとか。こちらは番狂わせ。 15日からは、年賀状の受付が始まります。まだ何も手を付けていないので、そんな焦らせるようなニュースは流して欲しくありません。 お寺も、これからすす払いや新年を迎える準備が、日に日に忙しくなってきます。こんなにあたたかいと雑巾掛けも楽でしょうが、その頃には本格的に寒くなって来るかも知れません。 今年もあと20日。「あれもしていない。これもやり残している」ということが山ほどあり、新年が来るのをあと10日だけでも余分に延ばして欲しいと思います。でも、その分ホッとしてしまって、結局出来ないでしょうか。 年末にならないと自覚できない、なってもまだお尻に火が点かない性分を悔い改めたい……いつか。 犬 が も の を 言 つ て 来 さ う な 日 向 ぼ こ 京極杞陽
[付録] 更新用に撮った写真のうち、不採用となったものを、紅葉同様「名残の写真」としてアップさせていただきます。 |