吉祥院大屋根から見た快晴の境内。左奥の山は比叡山。塔の右、本堂の上に見えるのは大文字山。右端手前の建物が苦沙彌自室のある建物 11/23 |
今まで濁りがちだった紅葉の色が、ようやく少しずつ澄んできました。
でも、「今日は寒い!」と思った日が、今冬はまだありません。それもそのはず、京都市内ではまだ初霜がまだ観測されていません。平年は15日なので、「ひょっとして聞き漏らしたかな?」と思い、今朝、京都地方気象台に問い合わせてみましたが、やはりまだとのこと。
東京で13日に吹いた「木枯らし1号」も、近畿ではまだ吹いていません。ちなみに、この「木枯らし1号」を公式に発表しているのは東京(関東)と大阪(近畿)だけだそうです。
あたたかいためか、京都市内が濃い霧に覆われる日が、先日来数回ありました。
これでは紅葉の色が鮮やかにならないのもしかたありませんが、「もうこれ以上待っていては冬枯れしてしまうぞ」と木々たちが思ったのでしょうか、寒くならないのに綺麗になってきました。
フライング気味に紅葉したもみじは、気の毒に本当の美しい色が出る前に散り始めました。これからは、じっと我慢していたもみじ、“真打ち”の出番です。
真如堂で紅葉をご覧になるなら、朝8時頃〜10時過ぎ頃、夕方3時〜4時過ぎ頃が一番。朝や夕は、10分も経てばもう景色が変わり、綺麗に見える枝や葉が、隣の枝に移っていたりします。境内を1周回ったら、また微妙に様子が変化していたりして、写真を撮っていても、なかなか撮り終わりません。昼間の紅葉も綺麗ですが、全体的に紅くて、アクセントに欠けます。
もちろん、お天気がいいに越したことはありません。斜めに差してくる朝日や夕陽に透かされた紅葉には、感動のため息しか出ないような瞬間があります。ぜひとも、晴れた日の朝か夕方にお越し下さい。あたたかい日なら、お弁当やおやつを持って、ゆっくりお過ごしになってはいかがでしょう。
そして、お近くならば、2、3日おいてまたお越し下さい。きっと景色が変わっています。これから冬枯れまでの景色の移ろいの中で、たいそうかも知れませんが、「生きててよかったなぁ…」と思える光景に出会えるかも知れませんよ。
紺 青 の 空 と 触 れ ゐ て 日 向 ぼ こ 篠原鳳作
先週の土曜日から勤労感謝の日までが、紅葉の人出のピークでした。
どこへ行っても、人ばかり。「京都駅の人の数を見てビックリしました。あんな京都駅、今まで見たことありません!」「地下鉄の切符を買うのに苦労しました」「食べるところがどこもいっぱいで、お昼はコンビニのおにぎりでしたぁ」など、いろいろな話を聞かせていただきました。
ボクも、「ぜったいに京都駅に向かうバスに乗ったらダメですよ! 地下鉄に乗ってください」「いつもの京都と同じだと思っていては、ひどい目に遭いますよ」などと、ひたすら注意を喚起していました。
23日の本堂・庭園拝観者は1900人。そのうち1000人は団体だったそうです。一昨年の3000人から見ると少ないですが、普段、拝観者が1桁やゼロという日まであることを考えると、とてつもない人数です。職員は外の落ち葉掃除をする時間さえありません。
それも少しは峠を越したでしょうか。この土日が済めば、境内は日に日に静かになっていくでしょう。そんな普段の境内が戻ってくる日が待ち遠しいです。
でも……本当に紅葉が綺麗なのはこれからですよ! ……たぶん。
今年のもみじには、例年紅くなる木でさえ、黄葉しているものが多いように感じます。
紅葉のメカニズムはこうです。
秋から冬にかけて気温が下がるとともに、枝と葉の間にコルク状の膜ができて葉への栄養分の流れが遮断される。そのために栄養の流れが止まり、葉緑素の生成が押さえられて、葉の緑色がくすんでくる。
遮断されている葉の水分が蒸発して、葉の細胞液中の糖濃度が上昇し、そこに太陽光が当たることで葉緑素が破壊され、逆に糖とタンパク質が反応してアントシアニンという赤い色素ができる。これが紅葉の赤い色の正体。
この時、葉の中にもともとカロチンという黄色の色素があれば、葉は緑から黄色に変化する。
例年は紅くなるもみじでさえ黄色くなるのは、アントシアニンが充分生成されていないということなのでしょうか。
紅葉の3大要素は、「寒さ」「乾燥」「晴天」ですが、今年は先ず「寒さ」が足りません。という
ことは、コルク状の膜がちゃんと出来ず、紅くなりにくいということでしょう。
「乾燥」という点からも、今年の10月の京都は平年の2倍以上の雨が降りました。葉はたっぷりと水分を蓄えているでしょう。長雨が続いた年には、鮮やかな紅葉は見られないといいます。
11月になってからは晴れている日が多かったように思いますが、ただ、今夏は真夏日が平年を大きく上回り、暑さで葉もダメージを受けているでしょう。
そう考えると、透き通ったように紅くならなくて当たり前、葉先が縮れたり枯れ込むのも仕方なし。黄色くなるのは、もみじの苦肉の策という気がしてきます。
紅葉が鮮やかになって行くのと同時に、早く紅葉してしまったもみじの葉や縮れて枯れてしまった葉がたくさん落ちてくるようになりました。これからは、毎朝の落ち葉掃除が大変になってきます。
でも、楽しみもあります。焼き芋で〜す! 落ち葉でじっくり時間をかけて焼くお芋は、しっとりホカホカ、とても甘くて、絶品なることこの上なし。
今週土曜日には、当ページにお越しになる方のオフ会を開催します。「せっかくだから、焼き芋した〜い!」という人も多いので、まだ焼き芋をするのに充分な落ち葉が確保しにくいのですが、夕方から何とか焼き芋をしようと思っています。でも、天気予報はあいにく雨。あーー。
もし、吉祥院の前でたき火をしている人がいたら、焼き芋が欲しいと伝えてみてください。「苦沙彌3回」と言われたら、返す言葉は、元気よく、「ギャグ3回!」。それが焼き芋をGETするための合言葉、2004年バージョンです。
これからの境内、紅葉もよし、カサコソと音がする落ち葉を踏みしめて歩くのもよし、もちろん焼き芋もよし。なかなかのパラダイスですよ。
し ば ら く は 土 の 匂 ひ の 焚 火 か な 山田弘子
前回は黒谷を抜けて丸太町通に至る散歩道をご紹介しましたが、今回は吉田山を散策して、お茶でも飲んで、今出川に抜ける道をご紹介しましょう。
真如堂の赤い総門を出て真っ直ぐ西へ向かうと、すぐに右手に御陵が現れます。「陽成天皇神楽岡東陵」です。
陽成天皇は清和天皇の皇子で、藤原高子を母として貞観10年(868)に生まれ、わずか9才で即位しました。しかし、暴虐な行動が絶えず、17歳の時に引き起こした殺人事件を契機に皇位を退かされ、以後65年の長きに渡って上皇の地位にありました。
「清和源氏」の祖はこの陽成天皇で、本来なら「陽成源氏」とすべきところですが、暴虐の祖を恥じた頼朝によって1代繰り上げられ、清和天皇が祖とされました。
陽成天皇は亡くなった後、この辺りに葬られましたが、それはこの一帯が藤原氏ゆかりの地だったからでしょう。母 藤原高子の発願した東光寺(廃寺)がこの近くにあったという理由もあったでしょう。吉田神社も藤原山蔭ゆかりの神社、真如堂も東三条女院藤原詮子の離宮の地に建てられました。きっと、この辺りは藤原氏一色だったのでしょう。
ところが、陽成天皇陵は後世になって、どこにあるのかわからなくなり、結局、真如堂門前にあった酒店の後の竹林の小丘がそうだろうということになったそうです。江戸後期頃の話です。なんだか曖昧な話です。
御陵と反対側はかなり低くなっていますが、ここは江戸時代までは沼地で、ここから川が流れ出していたようです。
突き当たりに鳥居が見え、石段の参道が続いています。黒住教の教祖 黒住宗忠を祀った「宗忠神社」です。
鳥居の前の両側に、エンジ色をした、備前焼の狛犬がいます。よくご覧下さい。逆立ちしています。
京阪神にお住まいのある程度の年令の方にしかわからないでしょうが、昔、テレビで「まんまん満月 十三の まんまん真ん中、サロンマン」というCMがあって、仲居さんが三点倒立していました。あんな感じの狛犬です。
石段を登っていくと、背後に、ほとんど葉を落とした桜の枝の間から真如堂の伽藍が見えます。春、この道は桜のトンネルになります。人も多くなく、オススメの花見スポットです。
登り切ったところの少し高みに拝殿が見えます。階段を4、5段上がって拝殿の前の石畳を右に進み、なだらかな石段を下りると、アスファルトの道に出ます。それを左へ下がり、鳥居の下をくぐると、右側に鳥居と玉垣で囲まれた社殿が見えます。吉田神社「斎場所大元宮」です。
吉田神社は、清和天皇貞観元年(859)、藤原山蔭が春日の四神を平安京の鎮護神として吉田山に勧請されたもので、室町時代には吉田兼倶により吉田神道が大成されました。「大元宮」はその根本殿堂で、日本国中の神々が祀られています。普段は閉まっていますが、毎月1日や節分の頃に中に入って参拝できます。
さて、今来た道を戻ると、先ほどくぐってきた鳥居の額に「竹中稲荷大神」と書かれているのがご覧になれるでしょう。
坂を登り切ったところの左側に、赤い鳥居が続く道が見えますので、そちらへ進んでください。竹中稲荷の参道です。道の右側は駐車場。ちょっと情趣に欠けますが、その向こうには東山の山並みがチラチラ見えます。
左側の広場にブランコやジャングルジムなどの遊具などが見えます。遊びたい方はどうぞ。さらに参道を真っ直ぐ進むと、竹中稲荷の拝殿が見えてきます。この辺りの紅葉も綺麗ですよ。
竹中稲荷は、宇賀御魂神、つまり「お稲荷さん」を祀ってある神社で、天長年間(824-833)にはすでに社殿があったと駒札に記されています。
拝殿の左の鬱そうとした林の中の石段に進み、登り切ってすぐの枯れ葉の中を右に進んでください。少し向こうに「業平塚」と記された白い札が見え、石柱で囲まれた中央に、五輪塔の頭やいくつかの石が無造作に置いてあります。
「これが、あのプレーボーイ 在原業平のお墓なの!?」とビックリされるでしょう。
業平は、西山十輪寺に隠棲しその地で歿したとも言われていますが、先ほどの竹中稲荷の駒札には「古記に『在原業平の居を神楽岡の稲荷神社の傍らの卜す云々』とあり」と書いてあります。江戸期の『榻鴫暁筆』には、吉田山に御廟が築かれ、縁があった地に分骨され、かつてはそれが16ヶ所もあったが、今は11ヶ所が残っていると記されています。
業平は高貴な家柄に生まれましたが、藤原氏によって出世を阻まれ、不本意な地位に終わりました。その業平が敵地ともいえる藤原氏ゆかりの場所に眠るとは…。
陽成天皇のことを思い出してください。陽成天皇の母高子は、若き日、在原業平との恋を引き裂かれます。業平は、高子と清和天皇の結婚の直前に、高子を背負って逃避行を企てましたが、藤原一族によって捕まえられ、高子は清和天皇への入内を強いられたのです。当時高子は18才、清和天皇は9才、業平は35〜36才の男盛りでした。
高子が産んだ陽成天皇は、高子の実兄関白藤原基経によって廃位に追い込まれ、さらに高子自身も
晩年に皇太后の尊号を剥奪されます。その高子が晩年を送ったのが、このすぐ近くの東光寺、高子が建立した寺でした。当時50才を過ぎていた高子は、彼女より10才近く年下の東光寺座主の善祐と恋に落ちたといわれています。
吉田神社は、業平は自身の遺言によって吉田山に葬られたとしています。業平があえてこの地に埋葬して欲しいと言い遺したのは、忘れられない高子ゆかりの地だったからでしょうか。
それにしても、高子も業平も陽成帝も、激しいですねぇ。
さて、もとの道を反対側に突っ切ると、林の中に自然石の歌碑が建っています。石には「紅もゆる 丘の花」と刻まれています。旧制三高(現京都大学)の「逍遥の歌」歌碑です。
また、その近くには、「標高105.12メートル」と記されたステンレス製の吉田山三等三角点が建っています。
歩を進めましょう。遊具がある方角とは反対側に進むと、「今出川通り・便所・山頂休憩広場」という道標が建っています。「山頂休憩広場」側の1メートルほど脇に「茂庵」と記された小さな道しるべがありますので、そちらに進みましょう。すぐに林に囲まれた建物が見えます。「茂庵」です。
「茂庵」は、大正時代に建てられた茶室、月見台、楼閣など広大な森の茶苑の食堂棟を、数十年ぶりにカフェとして復活させたものです。
ボクは何回も前を通っていますが、入ったことはありません。話によると、軽食もでき、器もステキだそうですよ。
さらに進むと、「あずま屋」があり、大文字山が正面に見えます。近くの石が並んだ「休憩広場」も紅葉が綺麗でしたよ。
道標の「今出川通り」の方へ林の中を進むと、やがて右側のフェンス越しに民家や町並みが見える急な地道の階段が続きます。降りたところに鳥居があり、石柱には「吉田神社北参道」と彫られています。
今出川通がすぐ前を通り、「北白川」のバス停が正面に見えます。今までの林の中の道が嘘のよう。いきなり車の騒音の喧噪の洗礼を受けます。
白川通や銀閣寺へ行くには、今出川通を右に折れます。
少し寄り道をしましょう。次の信号で、白川通の反対側へ渡ってください。角に大きな石仏が鎮座されています。
立て札には、「子安観音」と由緒が記されています。それによると、この石仏は鎌倉期のもので、白川女は今でも必ずここに花を供えてから商いに出るのだとのことでした。
ボクは今までこの石仏はお地蔵さまだと思っていました。何尊かよくわからないほど、お顔なども風化が進んでいますが、とてもユーモラスな、親しみやすいお姿です。
石仏前の斜めの坂道「志賀越道」を進みましょう。この道は比叡山の峠を越えて、大津へ通じます。
100メートルも進むと水の音が聞こえて、左側にどぶ川のような水路が見えると思います。右手の数段の階段を登ると、先ほどより広い水路が見えるでしょう。明治時代に作られた、琵琶湖から京都に通じる「琵琶湖疏水」の分線で、蹴上から南禅寺、哲学の道を経て、ここまで流れてきています。北の方が標高が高い京都で、南から北へ水を流すのは、当時では大変な技術だったでしょう。桜の
頃は実に美し疏水べりです。
水路の両側には民家が迫り、すぐに今出川通と並行するようになります。小さな橋を越えると、左側に行列の出来るラーメン屋さんがあり、やがて白川通と今出川通の交差点に出ます。
ブラブラゆっくり歩いて約1時間。もちろん、業平塚の前で想いにふけったり、お茶したり、はたまたラーメンを食べていたら、半日でもつぶせます。
市街地にこんな散歩道があるというのは、とても豊かな気がします。また、歴史に興味がある人にとっても、とても興味深い場所ではないでしょうか。
お時間があって、多少のアップダウンは大丈夫という方、ぜひお試しください。ただ、鬱そうとした林の中を進むこともありますので、薄暗くなってからの女性の一人歩きは、いくら腕っ節に自身のある方でもダメですよ。 <案内MAP>
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