10/22版 


秋晴れの境内  マウスを載せれば写真が変わります
 今年10個目の上陸台風が去り、今朝は快晴。午後から、次第に薄曇りになってきました。
 台風は大きな爪痕を残し、全国では死者・行方不明者の数が90名ほど、京都府下でも10名以上の方が亡くなるなど、記録的な大被害となりました。
 野菜や果樹なども大きな被害を受け、生産者の方々の落胆の様子は見るにしのびません。
 被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。

 朝、散歩をした時には、木々の葉が夜露に濡れていました。昨日の午後が快晴だったため放射冷却が起きたのか、夜はかなり冷え込んで、今朝の最低気温は10度にまで下がりました。
 明日は「霜降」。10月は日本の南北での気温差が大きくなってくる月です。「霜が降る」といっても北や高地からの便りだろう、京都ではまだまだと思っていましたが、一番早い京都の初霜の記録は10月2日(1892年)だそうです。初氷も10月21日(1926年)。
 年々、温暖化傾向にはありますが、気温3℃くらいでも地面では氷点下に下がって霜が降りることがあるそうですから、そうこういっているうちに京都でも「霜降」を迎えるでしょう。


       霜   降   や   鳥   の   ね   ぐ   ら   を   身   に   近   く      手塚美佐


   焚き火の煙が漂う本堂前(犯人はボク) / 黒谷・文殊塔前の銀杏    マウスを載せれば写真が変わります
 嵐の後の散歩には、いろいろな発見があります。
 「この葉っぱは、どこから飛んできたんだろう?」と思わず回りの木々の種類を確かめたり、金木犀の花殻が、大雨が降った時の水の流れを雄弁に物語ってくれたりもしました。
 「こんなところから水が…」と、いつもは乾いているところから水が湧き続けている光景にも驚かされました。
 もちろん、団栗どんぐり銀杏ぎんなん、椿の実などがたくさん落ちていたり、使い終わってお払い箱になったと思われる鳥の巣が落ちていたりもしました。
 あちこち見ているうちに、思わぬところでムカゴを収穫しました。銀杏にムカゴ、今夜は秋の味で熱燗でも…。
 たくさんの枯れ枝も落ちていました。紅葉シーズン前のいいクリーンアップになったかも知れません。
    山茶花 / 散歩の途中で拾った椿の実とその皮、ムカゴ    マウスを載せれば写真が変わります
 山茶花が咲いているのを見つけました!
 山茶花というと、「 山茶花 山茶花 咲いた道 焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き ♪ 」という歌を思い浮かべる人も多いでしょう。
 まだまだ落ち葉の季節ではありませんし、山茶花には霜や身を縮めるような冷え込みが似合いそうな気がします。きっと、気の早い山茶花でしょうが、花の少ない時にハッとさせられる美しさでした。
 雨に洗われた緑が美しく、赤や黄色に色づいた桜の葉などが朝日に透かされてとても綺麗。清々しく、でも興味をそそられるものが多くて、暇のかかる今朝の散歩でした。
 26日は「十三夜」、「豆名月」です。お月さまは、これからゆっくりと大きくなっていきます。「中秋の名月」は、雲間に見え隠れしていましたが、今度は大丈夫でしょう。お楽しみ下さい。


       二  つ  づ  つ  ふ  ぐ  り  下  が  り  の  む  か  ご  か  な       宮部寸七翁

       野   菊   道    数   個   の   我   の    別   れ   行   く       永田耕衣




      「江戸時代婦人列」    マウスを載せれば写真が変わります

 さて、今日22日、京都では、昼間は「時代祭」が、夜は鞍馬の「火祭」が執り行われます。
 このページの更新ネタを得るために、平安神宮の近くへ「時代祭」を見に行ってきました。「時代祭」を見るのは、昨年に続いて2度目。今年、ボクは「葵祭」「祇園祭」と共に京都3大祭をすべてを見ました。「葵祭」「祇園祭」さえ、今年生まれて初めて見たボクが、3大祭をすべて見るなんて……あり得ないことです。
 「時代祭」は、平安遷都の行われた延暦時代から明治維新までの、京都に都があった各時代の扮装をして、京都御所から平安神宮まで練り歩く一大時代絵巻です。
 平安遷都千百年の明治28年、桓武天皇を祭神とする平安神宮が創建され、その祭りを盛大に行うために時代行列が行われたのですが、実は桓武天皇と孝明天皇の神霊が市内を巡行してその繁栄をご覧になる、その神幸列のお供をするというのが時代行列なのだそうです。
 行列は約2千人、牛馬7百頭以上で、全長約2kmにおよび、衣装や調度品、祭具は1万2千点にも上るそうです。
      「織田公上洛列」    マウスを載せれば写真が変わります
 時代行列というと、安っぽい服装であることが多いですが、時代祭は時代考証も厳格で、染め、織り、漆など、京都の伝統工芸品がふんだんに使われているそうです。
 2千人もの参加者をどうして集めるか? 実は、時代行列は「平安講社」という市民組織によって運営されています。平安講社は市内の旧学区単位で構成され、各講社が明治維新時代、江戸時代、安土桃山時代、吉野時代、鎌倉時代、藤原時代、延暦時代の7つの時代の行列をそれぞれが担当。参加者は、数カ月も前から各学区の小学校などで隊列や着付けの練習を始めるのだそうです。
 また、江戸時代婦人列、中世婦人列、平安時代婦人列は、京都の5花街が交代で奉仕されています。
 行列を見物していると、お目当ての行列が通りがかった時には、「○○さぁ〜ん、しっかりぃ〜!」などと声がかかったりします。学区の人たちが応援に駆けつけているのでしょう。観覧者の笑いを誘っていました。
 1輪車に「白菜」のダンボールを載せて、行列のお供をしている人たちもいます。どうやら、牛や馬の糞を拾って回る役目のようです。
 ボクは、今朝、この人たちがやはり馬や馬車の後を歩いているのを見かけました。その時のダンボールの中にはちゃんと白菜が入っていました。今は、馬のお腹の中?
      「城南流鏑馬やぶさめ列」  / 糞を拾う係の方 マウスを載せれば写真が変わります
 ところで、この行列には、いま大河ドラマで話題になっている「新選組」の姿はありません。
 桂小五郎・西郷吉之助・坂本龍馬・高杉晋作・吉田松陰など、勤王の志士はちゃんと行列に参加しているのに…。
 実は、かつて「京都新選組同好会」が行列に参加させて欲しいと願い出たらしいのですが、丁重に断られたそうです。
 「ピーヒャーラ ドンドンドン」と笛を吹き太鼓を叩きながら、華々しく時代祭行列の先頭を行く「維新勤王隊」は 、東北地方で幕府の遺臣が反乱を起こした時に官軍に加勢した丹波・山国村の有志。
 新選組は幕府方であり、朝敵であり、京都の人からは決して好かれていない人たち。桓武天皇が祭神である神社の祭りの行列に加えたら、ブーイングが起きるかも知れません。断られて当然でしょう。
 「京都新選組同好会」の面々は、断られて以来、「池田屋事変記念パレード」というのを行って、存在をアピールされているそうです。
 行列も、さすがに終点の平安神宮の前ではくたびれ気味でしたが、薄曇りの行列にはちょうどよい陽射しと、塗り替えられた大鳥居、それぞれの時代の扮装。ちょうどよい時代祭日和でした。

 北山通では、巨大カボチャ300個を彫り、通り一帯に並べてライトアップする「北山ハロウィン」が始まりました。
 火祭もハロウィンも行くのはやめて、今夜は銀杏ぎんなんで熱燗です。