10/15版
日なたにいると温かいのですが、日陰に入ると少し肌寒く、本堂の堂守さんは「本堂の中は寒いです」を連発されていました。 昨日、昼にはTシャツを着ている人を見かけ、夜にはフリースを着込んでいる人を見ました。昼と夜の温度差が大きく、そのせいか、風邪をひいている人も多いようです。 今朝の最低の気温は11.2度と、この秋一番の冷え込みでした。最高気温も20.5度。つい少し前まで、真夏日が話題でしたのに…。 都大路には観光バスが増えてきました。境内にも、観光の人の姿が少し増えてきました。秋の観光シーズンも、そろそろ本格始動のようです。 秋 風 に さ そ は れ た れ ば 道 に を り 今井杏太郎
紅葉にはまだまだ早く、もみじの葉は、“体調を壊している”木を除いては、まだ青々しています。 それでも、JRなどのCMで紅葉の京都の光景が流され始めると、すぐさま馳せ参じて来られる方がおられます。 「まだ10月ですよ。紅葉には1ヶ月早いですよ」と申し上げたら、「テレビで見たら綺麗だったもので来たのですが…」とガックリ肩を落とされる。毎年繰り返される場面です。 自坊では、毎年秋になるとたくさんの菊を並べるのですが、春や夏頃にチラッと門内を覗いて、「菊はまだみたいだなぁ」と言っておられる方もおられます。 季節オンチにも程があると言いたいところですが、自然の様子に興味のない人は、そんなものかも知れません。 このページに日参していただければ、無駄足を運ばれる心配はありませんよ。
「引声」とは、阿弥陀経などの経文・偈頌の1字1字を長く引き延ばすところから付けられたもので、1字を唱えるのに1分以上かかることも珍しくありません。 「引声」も声明の一種ですが、平安時代に慈覚大師円仁(794-864)が渡唐されたとき、中国仏教の聖地 五台山から伝えられたもので、一般の声明とは少し系譜を異にしています。 いつの頃から、この法要が真如堂で行われるようになったのでしょう? 慈覚大師作の真如堂ご本尊阿弥陀如来の胎内には、慈覚大師が唐からの帰りの船の中で引声の一節を忘れた時、それを教示したという小身の阿弥陀如来が収められています。この阿弥陀如来は、真如堂の開創と共に比叡山から当山に遷座されましたが、「引声」もその頃に伝えられたのでしょうか。今は比叡山では「引声」は伝承されていません。 浄土宗でも、この「引声阿弥陀経会」が勤められますが、これは清涼殿において光明寺貫主と真如堂の僧侶が「引声」を厳修した時、後土御門天皇がこれに感銘を受けて、光明寺でも勤めることを勅許されたためです。
参拝者もほとんどない本堂で、極楽世界の七宝の池に満ちているという「八功徳水(澄んでいて浄い、清く冷い、甘い、軽い、潤沢、安らぐ、飢渇などを除く、体を養う)」の波の音に唱和するようなゆるやかな節で、静かに朗々と詠じられる引声。 今は極略で約1時間余で勤められますが、そろ〜りそろりと行道しながらの法要は、実は結構 腰に堪えます。 金木犀の香りが、そこかしこから漂ってきます。「あっ、こんなところにも金木犀があったのだ」と匂いに教えられます。 秋が深まるにつれて、いろいろな実が落ちたり、色づいてきたりしています。境内を気をつけて歩いていると、どんぐり、椎、椿の実などが落ちていました。先日の風が強い日など、自坊では花梨の実が、小枝をへし折りながら落ちてきました。堅くて、大きく、重たい実です。あー、コワイ。 こんなにたくさんの実が落ちているのに、山は食糧不足とみえて、毎日「熊出没!」が報じられています。熊だって、食料さえあれば、人里に出てきたりはしないでしょう。熊もよほどクマっているのでしょう。射殺されてしまう熊が不憫に思えます。 「熊出没!」のニュースに、撃退スプレーや鈴はバカ売れ。京都のアウトドアショップでも、撃退スプレー在庫切れだそうです。どこで使うの?
それを待っていたかのように、ヒヨドリが急に姿を現しました。ヒヨドリは、京都では1年中いるはずですが、夏は酷暑を避けて山地に行くのか姿を見せることは少なく、今頃になって急に頻出するようになってきました。 ヒヨドリといえば、 いかにもヒヨドリが好んで食べそうだということからこの名前がついたのでしょうが、貪欲なヒヨドリでさえ、この実には毒があって食べられないということをよく知っていて、手も付けません。 今年は、桜をはじめとして狂い咲きが多いですが、鵯上戸も実が熟してきているのに、またたくさんの花を付けていました。 週末は絶好の秋晴れのようです。この日を待ちこがれていた方、今のうちに秋の佳日を十二分にお楽しみ下さい。 また大きな台風が近づいていますから。 木 犀 の 風 を ま と ひ て 逢 ひ に ゆ く 菅野奈都子 |