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境内では、萩の花が咲き始めました。まだ、気の早い株だけで、この暑さの中では少々場違いの感じもしないではないですが、逆に「萩も咲きだした」と思うことで、多少の涼しさをイメージすることができるかも知れません。 この春、萩の新芽が50センチほど延びた頃、お隣の「萩の寺」と呼ばれる寺のご住職が、新芽の先を摘んでおられるのを目にしました。「萩の寺」と呼ばれるだけあって、その寺の土塀沿いに咲く紅白の萩は、背丈も揃っていて茎が暴れて広がることもなく、実に綺麗なのです。 真如堂の萩はあまり手入れが行き届かず、秋になると倒れたり広がったりすることが多いので、「萩の寺」に習って、ボクと職員さんで境内の萩の新芽の先をすべて摘んで回りました。 結果は如何に! 今、比べてみると、「萩の寺」の萩は背丈もちょうどよく、お行儀よい姿になっています。さすがです。一方、真如堂境内の萩は、日なたの株は人の背よりはるかに高く3メールほどにも伸び、日陰のものはしょぼくれています。真似をして同じように摘んだつもりなのに、どこが違うのでしょう。 来年こそ、隣寺の技をしっかり学んで、リベンジです。 抱 き 起 す 萩 と 吹 か る る 野 分 か な 河東碧梧桐
前回のこのページでも書きましたが、今度の台風が上陸すれば今年6つ目になり、今までの最高記録と並びます。まだこれで終わりにはならないでしょうから、嬉しくない記録を更新することは、ほぼ確実でしょう。 31日は「二百十日」です。立春の日から数えて210日目で、「八朔」「二百二十日」と共に「三大厄日」とされ、嵐の来襲する確率の高い日として、昔の人たちは恐れていました。 現在のように気象衛星などがない時代、台風は突如として襲来してきて、人身や農作物に大きな被害をもたらす、避けようのない存在だったでしょう。人々が畏れるのは当然のことです。 自ずと、風の害から農作物などを守ってくださいと、神仏に祈ることになったのでしょう。二百十日の前後には、風神のお祭が全国各地で行われます。
胡弓の音と独特の謡に合わせ、深く編笠をかぶった踊り手が、静かに舞いつつ町を練り歩く……なんとも幻想的な光景でしょうね。 でも、『越中おわら節』の歌詞は、風神様にお祈りするどころか何とも艶っぽい。風神を踊りにあわせて送り出してしまうのだそうです。 石川さゆりさんの『風の盆恋歌』は、若い頃恋心を抱きつつも言い出せず、その後別々の家庭を持った今は中年となった男女が、この祭の間だけ越中・八尾で過ごすという設定。 ♪ 蚊帳の中から花を見る 咲いてはかない酔芙蓉 若い日の美しい私を抱いてほしかった しのび逢う恋 風の盆 ♪ …… 行ってみたいなぁ 「風の盆」。風神様そっちのけ、二百十日の話から大きくそれてしまいました。 今度の台風が、風神様の手を煩わさずに、てるてる坊主に頼むぐらいで済みますように。 秋 あ つ き 日 を 追 う て 咲 く 木 槿 か な 高井几董 先週は「地蔵盆」、今日明日は「大日さん」。大日如来の縁日28日に因んで行われる行事で、内容は地蔵盆と同じです。 京都の街には約1万体の石の地蔵尊があると言われ、その中には「大日さん」が含まれています。お姿だけでは地蔵尊か大日如来か判別できない石像が多いのですが、おそらくは「うちは大日さんやで」というような町内の言い伝えが判別の唯一の根拠なのだと思われます。 ボクも2つの町内の「大日さん」のお勤めに伺いました。マンションのある町内は子供が多かったものの、そうでない方は年輩の女性ばかり7〜8人が参列されただけ。ちょっと淋しかったです。 夏休みもあと4日ほど。子供たちには、夏休み最後のイベントです。 毎週書いているようですが、くれぐれも台風には御用心下さい。 |