6/25版 



雨にうっすら煙る正面階段
 やっと梅雨らしいお天気になりました。待っていたわけではありませんが、どうせ梅雨が明ければ暑い夏がやってくるわけですから、梅雨もあったほうがメリハリがあります。ちゃんと降ってくれないと、農作物などへの影響も心配です。
 今日は、雨はよく降っていますが、気温はさほど上がっていません。屋内にいると、わりと過ごしやすい日です。
 真夏日の気温に、まとわりつくような湿気。そんな京都の本格的な梅雨は、これからが本番です。
 来週は、曇りがちで、降水確率30〜40%、気温も30度を超える日が続くようです。
 24日、気象庁は3ヶ月予報を発表しました。それによると、今年の夏は暑く、9月は残暑が厳しいそうです。あくまでも、長期予報。当たるも八卦…。

 境内では木槿むくげの花が咲き出しました。でも、木槿の花には、雨や曇りの日より快晴の空が似合います。花の少ない時に度々ここにも登場して貰わなければなりませんので、今日は選外となりました。
半夏生(片白草)の花  (ドクダミ科)     (OnMouse)
 6月もあと数日。30日は夏越大祓、半年の締めくくりです。7月1日は、暦の七十二候の一つ 「半夏生はんげしょう」。
 半夏は、もともと仏教で行われる90日間の「夏安居げあんご」の真ん中45日目のこと。
 この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防ぎ、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたそうです。雨の多い時期、水などが濁ったり汚れたりして、体長を壊す人が多かったのでしょうか? 食中毒などを防ぐための注意喚起の意味があったのでしょうか。
 農家ではこの日までに農作業を終え、この日から5日間は作業を休むところもあったとか。地方によっては、この日に蛸やうどんを食べたり、霊山に登ったりする風習もあったようです。
   また、またこの日の雨は大雨になるといわれ、その頃の豪雨を「半夏雨」と呼ぶそうです。
 ところで、半夏生というのは「半夏」という草が生える頃という意味ですが、「半夏生」という草と聞いて思い浮かぶのは、この写真の草ではないでしょうか? テレビでもそう伝えている番組があります。
 名前の由来となった「半夏」は、烏柄杓からすびしゃくというサトイモ科の植物で、この写真の花とは別物。烏柄杓は、マムシ草やウラシマ草に少し似た形で、緑色の小さな仏炎苞ぶつえんほうから蛇の舌のように細いものがスルッと長く出ています。仏炎苞をカラスの柄杓に譬えて命名されたとか。蛇嫌いのボクは、蛇が舌を出すのを連想させるこの花が好きではありません。
 写真の半夏生(片白草)もこの頃に花を付け、花に近い葉っぱの一部が白く化粧をしたみたいになるので「半化粧」。なんだか、駄洒落っぽい命名ですね。
 自坊にある半夏生は、いつまで経ってもスッピン。白塗りをしないので、朝の散歩道に咲いていた花を撮ってきました。

     蔓   草   も   窓   を   塞   い   で   半   夏   雨        加藤幸雄



龍の髭(蛇の髭)の花
 今日は更新のための写真を撮るのに苦労をしました。雨からカメラを守らなければなりませんし、暗いために早いシャッタースピードが選べません。
 龍の髭は、どうして木陰の暗いところばかりに生えているのでしょう。撮るのに一苦労です。シャッター・スピードは1/4秒。雨で濡れた石段に、膝と肘を着け、息を殺して カシャッ!
 淡い紫のかわいい花でしょう。
 いま、万両や千両なども花を咲かせようとしています。目立たない色の、小さな小さな花ですが、よく見るとかわいいものです。
 「龍の髭」…「虎の尾」という植物もありますね。「子」はどうでしょう…「鼠の尾」、「丑」−?、「卯」−「卯の花」、「辰」−「竜胆りんどう」、「巳」−「蛇苺」、「午」−「馬肥やし」「馬酔木」、「未」−?、「申」−「百日紅」、「酉」−「鶏頭」、「戌」−「大犬のふぐり」、「亥」−? こうして考えると面白いですね。昔の人は、動物をよく知っていましたし、想像力も豊かだったようです。
 「ゲンノショウコ(現の証拠)」は草の薬効を熟知して使っていたということでしょうし、「ショカッサイ(諸葛菜)」は中国の故事を、「スミレ(菫)」や「ホトケノザ(仏の座)」、「オドリコソウ(踊子草)」などは花の形から想像力たくましく付けたものでしょう。
 かわいそうなのは、「ハキダメギク(掃溜菊)」「ヘクソカズラ(屁糞葛)」「ワルナスビ(悪茄子)」など。これでもかというほどの命名です。何の因果か…。


薮萓草の花
 参議院選挙が始まりました。先の選挙イメージビデオで、某与党の党首が、「そうはいかんざき!」と緊張した面持ちで言っていましたが、境内の野でこの花を見つけた時、「そうはいかんぞう!」と頭に浮かびました。いつもギャグばかり考えているわけではないのですが。
 カンゾウの花が咲いていました。梅雨の薄暗さに負けることのない色鮮やかな薮萓草やぶかんぞうの花。たくさんの雨粒がのって、それがまた綺麗でした。
 萓草かんぞうは、「わすれぐさ」ともいい、日本でも万葉の時代から親しまれてきた花です。
 中国の『詩経』には、「王のために矛を取って遠征に出かけたあなたのことを思って、私は疲れてしまいました。どこかで萓草を手に入ることができれば、それを私の寝室に植えて、憂いを忘れることができますのに」というくだりがあります。また、『文選』には、「豆は人をして重からしめ、楡は人をしてねむらしめ、合歓は忿いかりを除き、萱草は憂いを忘れしむるは、愚智の共に知る所なり」とあります。
 「わすれぐさ」は、辛いことを忘れさせてくれる草だったのです。あなたも、欲しいですか?
 調べていたら、萱草(忘憂草)の配合された、「ストレスで神経をすり減らしている人々に、心のやすらぎを与えてくれます」という「忘憂歓」なる機能性食品まで出てきました。すごい草だったのですね。お見それしました。
 ボクが若い頃に好きだった立原道造(1914-57)という詩人に、『萱草わすれぐさに寄す』という処女詩集があります。萱草が、この花のことだったということを、今日初めて知りました…立原は苦しかったのでしょう。
 「三十六計逃げるにしかず」 闘っても仕方がない辛さは忘れるに限りますが、中途半端に逃げても尾を引くだけのこともあります。生きるって難しいですね。みんなで萱草を身につけましょうか。

   萱 草わすれぐさ   わ が 紐 に 付 く 香 具 山 の    り に し 里 を 忘 れ ぬ が た め    大伴旅人

萱 草 を 着 物 の ひ も に つ け て お こ う  故 郷 の こ と を 忘 れ て し ま う た め に


   輝 き て  庭 に 咲 き つ ぐ 萱 草 の  一 日 一 日 の 花 う れ い な し        由谷一郎