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本堂前は夏の陽射し
 また暑い日が戻ってきました。今日も夏日の予報。暑くなったり、またちょっと寒さが戻ったりの繰り返しですね。
 連休はいかがお過ごしでしたか? そろそろお疲れが出てくる頃ではないでしょうか? でも、また明日からお休みという方には、いい曜日配分ですね。
 連休中にも嵐のような天気に見舞われた地域がありましたが、9日の日曜日も荒れ模様の予報。「五月晴」という一方、「メイストーム」という言葉もあり、5月の天気は案外不順なのかも知れません。
 「メイストーム」は、時折南下する冬の寒気のなごりと暖まった南の空気が作り出す大きな温度差によって、低気圧が猛烈に発達する現象で、日本で作られた言葉。わざわざ英語を使わなくてもいいのに…。嵐だけではなく、雷が鳴ったりひょうを降らせることもあり、確率からいうと2年に1度程度発生するようですから、今年はその当たり年なのでしょうか。
 そんな荒れた日があるかと思うと、5月13日は全国的にも晴れる確率が高い「特異日

新緑も日に日に濃さをましてきました
」です (『気象年鑑2000年版』による)。「特異日」とは、過去の気象統計からみて、毎年決まって同じ現象が現れることが多い日のこと。
 来週15日は、京都3大祭の一つ「葵祭」ですが、お天気が崩れる確率が高い気がします。雨の特異日でもないようですが…。
 やっと北海道に桜前線が到達したかと思ったら、今度は沖縄が梅雨入り。日本は広いですね。
 体調不良の人や風邪をひいている人も多いようです。連休疲れや新生活に一段落した疲れが出てくる人もおられるでしょう。ご自愛下さい。

     あ  い  ま  い  な  空  に  不  満  の  五  月  か  な        中澤敬子




竹の井戸蓋と新緑と塔

 今の境内には新緑しかなくなってしまいました。そのやわらかく美味しい葉を狙って、毛虫なども発生し始めています。自然の営みに隙間はありません。
 本堂前の「花の木」の種がクルクル回転しながら落ちてくるのが面白く、何とか写真に収めようと木の下に陣取って風が吹くたびに文字通り七転八倒・右往左往しましたが、結局叶わず、ズボンは砂だらけ。
 他に何も特筆することも、更新ネタもなく、また苦悩の日々が始まりそうです。
 それを横目にボクと相性の悪い猫のミーコは、今日もまた「ニャァー ニャァー」と猫なで声を出しながら、餌をくれる人のあとをついて回っていました。


吉祥院前の大つつじ
 新緑の中で赤く目立っているのが、吉祥院門前の大つつじ。晩稲のつつじで、今年も他のつつじが終わりかけた端午の節句の頃に咲き出しました。
 2本の木を1つに見えるように剪定していますが、上の方まで丸くするのは一苦労。梅や桜の木が伸びて、つつじの日当たりが悪くなってしまい、昨年から花付きが芳しくありません。
 そういえば、同じく門前の藤は、今年は一房も花が咲きませんでした。もみじが覆い茂り、影になってしまうことが増えたためでしょう。
 梅や桜、もみじを切ればいいのですが、人情的になかなか切りがたく、あちらを立てればこちらが立たず、ボクの頭のように丸くはなかなかおさまりません。

吉田山から見た真如堂遠景/大文字山と浄土寺地区の町並み   5/5
 先日、カメラ片手に吉田山を散歩しました。すぐ近くに住みながら未体験ゾーンも多く、もし「へぇボタン」を持参していたら叩きっぱなしだったでししょう。
 吉田山から真如堂を眺めたことは今までにももちろんありましたが、写真のような角度で見るのは初めて。真如堂の本堂と三重塔の間に、黒谷の三重塔(文殊塔)が見えています。真如堂の塔の九輪あたりに都ホテルが、その上には将軍塚の山が見えています。
 平安時代頃から葬送の地として、あるいは藤原家一門と因縁が深いこの地ですが、、吉田山は「花折断層」の南端部にあって、はるか昔の活断層の運動のくり返しによって隆起した場所です。また、銀閣寺〜法然院〜永観堂の裏山あたりの地形も鹿ヶ谷断層の活動によって作られました。緩やかに見える写真の景色も、実は断層による隆起や落下を繰り返した末のものです。そして、真如堂もそんな断層によって作られた地形のまっただ中にあります。
 山肌に白っぽい木々が点在しているように見えます。椎の木が開花しているのです。今の時期、ちょっとした森に行って、甘いような生臭いような匂いがしてきたら、きっと椎の木の花でしょう。
 里山に人の手が入っていた頃はこんなに椎の木が生い茂ることはなかったのでしょうが、今は他の植物が育ちにくいほどの日陰を作っています。
 上の写真ではわかりませんが、大文字山の麓、法然院の北側あたりの森色がすこし黄色っぽく見えました。
黒谷の竹も「秋」
 「えーっと、あのあたりは・・・竹藪だったかなぁ・・・あっ、そうかぁ! 竹の秋だ!」と、今度は指を鳴らしました。
 「竹の秋」、単純だけど素敵なネーミング。
 竹は、旧暦の3月頃。ちょうど今頃、古い葉が黄金色に変わって落葉します。そのタイミングが、ちょうど筍がが大きくなってきた頃なので、親の竹が子供である筍を育てる大仕事を終えて枯れていくように見えます。
 枯れるだけでは葉がなくなってしまいますので、同時に枝の別の場所から小さな葉のついた小枝を伸ばします。新芽です。「秋」とはいいますが、古い葉と新しい葉を更新する作業をしているわけです。楠や樫なども、少し前にこの作業をしていました。逆に、春に生えた筍が一人前の竹になって生き生きと輝く時、それを「竹の春」といい、旧暦の8月、新暦では10月頃です。
 余談ですが、「竹」という字は幹の上から葉が垂れ下がっているのが2本並んだ形、「筍」は、「旬」つまり10日のうち大きくなって竹になる意味だそうです。なるほどぉ、「へぇ〜」。

しっとり落ち着いた色の桐の花
 最近、街角を車で走っていると、高い木に藤色の花が咲いているのを時々見かけます。桐の花です。
 昔は女の子が生まれた時に植え、嫁に行く時にはその木で箪笥を作ったなどといい、早く、かなり大きくなる木ですから、市井の庭にわざわざ植えたとは思えません。鳥が種を蒔いたのかも知れません。
 「五三の桐」というと、落語にも出てきますが、家紋がわからない人が使うものと大きな誤解をしていました。
 昔の中国では、桐の木は鳳凰が来て鳴くめでたい木とされ、聖天子のシンボルになっていたのが日本にも伝えられ、桐紋としてシンボル化されて皇室で使用されるようになったようです。「五七の桐」は菊と共に皇室の紋章として一般の使用が禁止されたものの、他のは使えたため、その権威やめでたさにあやかって、「五三の桐」が広く使われるようになったそうです。「へぇボタン」ものです。
 この桐の花は、真如堂と黒谷の境界近くに毎年咲きます。大柄な割に、繊細な色づかいです。

       桐   の   花   咲   く   や   都   の   古   屋   敷        子 規


 写真が多くなってしまいした。ナローバンドの人、重たくてすみません。