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桜前線が北上する中、24日、京都にも染井吉野の開花宣言が出されました。平年より1週間、去年より4日早いそうで、2月から平年より暖かい日が多かったために、開花が早まったようです。 いつもながらに実感の乏しい開花宣言ですが、宣言当日、気象台のある中京区で染井吉野がチラホラ咲いているの見かけました。都市型気候で、市街地の気温は郊外よりも少し高いのでしょう。 紅葉が段々遅くなるのとは反対に、桜の開花は年々早くなっているように思います。そのうち、桜は入学式の花ではなく、卒業式の花になってしまうかも知れません。 境内の染井吉野も、今日、気の早い枝から開花を始めました。でも、ほとんどの木は、まだ蕾です。境内の開花宣言は土曜日になるでしょうか。 この桜は正面参道からは見えにくいので、塔の反対側へお回り下さい。せっかくですから。 【 LiveCamera 】を、当期限定のしだれ桜バーションにしました。鮮明な画像ではありませんが、咲いているのがおわかりいただけると思います。 本堂右側(南側)の「たて皮桜」も、上の方から咲き出しました。 この桜は、江戸彼岸桜の一種。徳川家光公の乳母春日局が、父斎藤内蔵介利三の菩提を弔うためにお植えになったもので、松の皮のように縦に樹皮が走ることからこの名があります。 もともとは直径1メートル余の巨木でしたが、昭和33年(1958)伊勢湾台風で折れ、枯れる寸前に若芽を接ぎ木し、今では毎春、清楚な花を咲かせています。 水上勉氏は、小説『桜守』の中で、この桜のことを次のように記しておられます。 「昭和二十四年の九月だったが、真如堂の巨桜が風で倒れた際、宇多野が折れた巨桜の地上十尺にみたない空洞の樹幹をみて、まだ活力をみせているのに哀れをおぼえ、冒険的に若木の枝をさし接いだ。 もちろん創作ですが、ここに出てくる「宇多野」は京都の桜守・佐野藤衛門氏のことのようで、佐野氏も実際に接ぎ木されたようですが、いま活着して大きくなっているのはその穂木ではありません。 この頃、琵琶湖では冷たく強い季節風が吹いたり、京都でも寒の戻りがあったりします。「比良の八講荒れじまい」で、これを過ぎると京都にも本当の春がやってくると言われます。 昔、比叡山の若い修行僧と村の娘とが恋仲となりましたが、もとより許されぬ仲、修行僧は心を入れ替えて修行に励みました。しかし、娘は諦めら切れず、僧に逢おうと、たらい船に乗って、比良浜の常夜灯を頼りに漕ぎ出しましたが、折からの強風と荒波に、娘はたらい船もろとも波間に沈んでしまいました。 以後、毎年3月下旬になると、強い風が吹いて、琵琶湖が大荒れになるといいます。 延暦寺の僧と琵琶湖をうまく盛り合わせた湖国ならではの物語ですが、修行に励むなら、娘さんを納得させてからにすればよかっったのに…ちょっと身勝手ですよね。 今日は風は強かったものの快晴。たまたま山越えで大津まで行きましたが、綺麗な琵琶湖が眺められました。 卒業・入学、就職など、大きな動きのある季節です。まわりがざわめいて、落ち着かない方も多いでしょう。 「春だから…」と、何かをしないといけないような気分に襲われて、かえって自分を苦しめてしまったり、気候も不順で体のバランスを崩しやすい季節でもあります。 3月から4月にかけての桜の花の咲く頃は、菜種梅雨の季節でもあります。 時には冷たい春の雨ですが、木々の芽吹きを促し育む、恵みの雨です。 春雨・春時雨・春驟雨・菜種梅雨・春霖・梅若の涙雨・木の芽雨・花の雨・桜ながし・催花雨・卯の花腐し・万糸雨・育花雨・桜ながし…春の雨に付けられた名前の多いこと。そんな名前を知っているだけでも、あるいはその雨が大地を潤して緑を育てていく様子を想像するだけでも、豊かで清々しい気分になれます。 桜の名所に行かずとも、コンビニでチョコでも買って、人知れず咲いているような桜の下で、「綺麗だね。今年も咲いたね」と愛でてやるのも、冬の寒さを越えてやっと咲いた桜にはうれしいことかも知れません。 花と折々の雨をも楽しみながら、春の1日をゆっくりお過ごし下さい。 さ ま ざ ま の 事 思 ひ 出 す 桜 か な 芭 蕉 |