2/13版 



塔と飛行機雲
 今日も快晴。ここ数日、お天気のいい日が続いています。
 京都も一番寒い時期を抜け出し、これからは春に向かって一日一日あたたかくなっていきます。
 来週19日は「雨水」。春の実感はますます強くなっていくでしょう。

 今朝の境内は、朝日の中、うっすら霞んでいました。
 これは、「霧」? それとも「もや」?「かすみ」?
 気象学上では、水平視界が1q未満のものを「霧」、1q以上のものを「靄」と呼び、「霞」は気象学上の用語にはなってないようです。
 同じぼんやりした状態でも、使い分けをする日本語の美しさ。俳句の世界では、春に立つものを「霞」、秋のものを「霧」と呼んでいるようです。

    少し霞んだ境内にさす朝の光
 地表近くは霞んでいましたが、空は抜けるように青く、幾筋もの白い雲が南西〜北東にかけて走っていました。
 どれもみな飛行機雲です。
 京都の上空は、飛行機の通り道。空を見ていると、たくさんの飛行機がひっきりなしに行き来しているのがわかります。
 航空路は航空保安無線施設などを結んで設定されていて、大文字山の奥に「大津VOR」と呼ばれる飛行機に方位情報を提供する施設があるため、多くの飛行機が京都上空を通るのです。
 細かった飛行機雲は、時間が経つに連れてだんだん広がり、最後は青空に吸い込まれていきました。
 ひょっとして、ボクは口をポカーンと開けて眺めていたかも知れません。鳥の糞でも落ちてきたら悲惨な目にあっているところでした。


わずかに咲き出した馬酔木の花
 本堂北側の馬酔木が、わずかに咲き出しました。去年より1週間ばかり遅い開花。花付きも、去年に比べて悪い気がします。
 咲き出したといっても、よほど探さないと花を見つけることはできません。見頃までには、まだ1ヶ月ほどかかります。
 他に新しい動きはありません。咲いているのは早咲きの梅だけ。新芽もまだまだ動き出しません。
 でも、春が近づいているなぁと感じるのはなぜでしょう。光? 気温? 気配?
 鴬の影でも見えて、恋猫の声でも聞こえれば、もっと春の兆しを実感できるでしょう。

     月  よ  り  も  く  ら  き  と  も  し  び  花  馬  酔  木      青 邨
 


あたたかい光をあびるスミレの花
 かなり以前からスミレが咲いていましたが、今日のあたたかい陽射しの中では、一際元気そうに見えました。
 先日、琵琶湖の畔に早咲きの菜の花を見に行ってきました。菜の花の黄色と、湖の紺、空の青。とても綺麗でした。
 昨日、12日は「菜の花忌」、司馬遼太郎氏の命日です。
 司馬遼太郎氏といえば、ボクは『峠』という小説のある一文を思い出します。
 その小説の主人公は、伝教大師最澄のことを「一隅を照らす人間を愛した、尻の穴の小さな小器量者だ」と言い放ちます。
 「一隅を照らす」という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか? 伝教大師最澄が国の宝となるような人材養成を願って記された基本理念『山家学生式』の一句です。
 司馬氏は文字面だけを見て誤って解釈されたようですが、原典とみられる『史記』などには次のような故事が載っています。
 ある時、魏の国王と斉の国王が会談した。魏王は「魏の国宝はよく光る十枚の玉です」と自慢し、「大国の斉国なら、さぞかし大きな珠玉をお持ちでしょう」と尋ねた。

弓張月(屋根の右)と宝珠
 斉王は、「私の宝は、国境の一隅を守り、千里の彼方までにらみをきかせる良将です。珠玉はせいぜい周りの一隅しか照らしませんが、良将の光は遠く千里の彼方まで照らしてくれるからです」と応えました。魏王は、それを聞いて恥じて去りました。
 伝教大師はこの故事を踏まえて『山家学生式』を記されました。「珠玉が十枚集まってもそれは国宝ではない。一隅を守って千里を照らす、そういう者こそが国の宝である」である。そういう意味だったのです。
 「一隅を守って千里を照らす」、いい言葉ですね。
 たまーにお坊さんらしい話、いかがでしたか? 初めての金曜日更新。ゆっくり作業ができました。

    一  箱  は  頑  張  る  自  分  に  贈  る  チ  ョ  コ       好造