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桜もモミジもまだ芽は堅く
 立春を前に、少し寒さがゆるんでいます。
 朝は少し時雨れていましたが、次第に晴れ間が見えるようになってきました。
 1月も今日で終わり。あっという間に、行ってしまいます。
 2月は「如月きさらぎ」。如月とは、萌揺月きさゆらぎづき、草木の芽生えの気配を感じる月という意味です。
 でも、『早春賦』の「春は名のみの風の寒さや」の歌詞ように、まだまだ寒さは厳しく、京都では立春の頃に雪が降ることも多くて、気温的に一番寒いのはこれからです。
 「春と聞かねば知らでありしを 聞けば急かるる胸の思いを」。そうですね、「春」が来るよと聞いてしまったからには、「早く来て!」と言いたくなってしまいます。「いかにせよとのこの頃か」、そうそう、辛抱たまらなくなって、「どうしたらええの!」と地団駄踏みそうになります。でも、「さては時ぞと思うあやにく 今日もきのうも雪の空」。あーーーー。
 去年の夏、ボクは安曇野の穂高川の堤防に建つ早春賦の碑を訪れました。作詞家 吉丸一昌は、穂高川沿いを歩きながらこの歌詞を書いたと言われています。安曇野はまだまだ雪の中でしょうね。
 境内の木々も、「あやにく(あいにく)」、まだまだ萌え出ずる気配は感じられません。やっと立春を迎えるというのに、「早春」の話題は早すぎましたね。


    携帯メールをする女性と園児の列    1/30撮影
 境内には、気のせいかも知れませんが、少し人が増えてきたように感じます。
 入試はこれからが本番でしょうけれど、大学などは後期の試験も終わり、卒業旅行などに出かける人も多いのでしょう。比較的若い人の姿を見かけます。
 写真の人たちは若すぎますが、ちょっと寒さが揺るんだ日の散歩は、子供たちだけではなく、保育士の人たちにも楽しい一時でしょう。
 オシッコを漏らして、下半身ヌードになって着替えさせてもらっている子がいました。遊びに夢中になっていたのでしょう。


本堂の手前の杉の木からドラミングが聞こえてきます
 本堂横の杉の木の高いところから、時々、鳥のドラミングが聞こえてきます。音を頼りに姿を求めても、なかなか見つかりません。
 昨日、自坊の前の低いもみじの木の枝を叩く鳥と遭遇しました。
 鳥にはまったく詳しくないのですが、コケラでしょうか。「ギーッ、ギーッ」と鳴きながら、飛んでいます。
 朝起きて外を見たら、必ず銀杏の木に留まっている鳥がいます。エナガでしょうか、ジュウビタキでしょうか? 朝日の中のシルエットなので、なおさらわかりません。
 今朝は、ヒヨドリのつがいが、つくばいで水浴びをしていました。メジロもたくさん飛び交っています。
 冬の鳥は何だか嬉しそうに見えます。食べ物も少なくて、困るでしょうに。
 これから、南天や千両などの実が、どんどん無くなっていきます。食べ物に窮した鳥たちが食べ始めるのです。南天の実、千両、万両、青木の実、みな冬の季語です。


葉陰に光る龍の玉
 そんな赤い実とは違って、鳥に見つからないように草むらに隠れ、光を浴びればコバルト色にキラキラ光る実があります。龍の髭(別名ジャノヒゲ)の実、「龍の玉」。これも冬の季語です。
 子供の頃、よく篠竹で豆鉄砲を作り、この実を弾にしたものでした。龍や蛇の髭に似ているという細い葉をかき分けて、キラッと青い実が見えたら嬉しく、全部とってポケットに入れて、撃ち合いをしました。
 竹の内径と実の大きさが合わず、無理矢理詰めて竹が裂けたり、小さすぎてポーンと飛ばなかったりということも多かったです。

       蛇 の 髭 に 実 の な つ て ゐ し 子 供 か な       草田男

 龍(蛇)の髭の実を見つけて、「なっていたよ!」と喜ぶ幼き日の自分の姿が目に浮かぶようです。

 「鳩が豆鉄砲をくらったような顔」といいますが、庭に糞をしにやって来る猫に豆鉄砲を命中させたら、どんな顔をするでしょう。ドキドキ。
 節分に吉田神社の参道にならぶ数百軒の露店を、今から楽しみにしています。ウキウキ。