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九州や四国など、雪に慣れていない土地では大変です。テレビには、山陰の街の、凍って滑り出したまま止まらない車や人の姿が映っていましたが、「♪ もう、どうにも止まらない!」といった感じでしたね。危ない、危ない。 京都も、22・23日、最低気温が−3℃を下回り、庭の蹲にも、今年初めて氷柱ができました。 今朝は寒さも一段落ですが、蹲は凍ったまま。明日からまた寒くなりそうです。 清少納言は、冬についてこんなふうに書いています。(『枕草子』) 「冬は、つとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし」
寒さが苦手な人には、冬の早朝がいいなんてとんでもないと思えるでしょうが、息も凍るような朝こそが冬の真骨頂と言えるのではないかと、ボクも同感です。 「春はあけぼの。夏は夜。秋は夕暮れ」と、清少納言は昼が嫌いだったのでしょうか。日焼けを気にしていた…などということはないでしょうが。 旅行に行くにも、寒い土地には寒い時に、暑いところには暑い時に行くのが一番趣があると思いますが、チャレンジャー過ぎるでしょうか?
この車椅子の方々は毎週境内に来られていますが、ヘルパーさんが介護されている方を連れてこられているのでしょう。 完全防寒の出で立ちですが、じっと座っていて、寒くないのでしょうか? ベンチも冷えて、お尻も冷たかろうに…。 カメラを持って変装姿で回りをウロウロしているボクを見て、先方も「今頃何も撮るものもないのに、何をしているんだろう」と思っておられるかも知れません。 防寒変装で正体がわかりにくいのも、冬の面白味かも知れません。 境内には10数本の梅の木がありますが、咲きだしたのはおそらく1本だけ。写真を撮ろうにも、まだ「絵」になりませんでした。 暖かい南向きの場所などの梅の木が、他の梅より一足先に咲くのを「早梅」といいますが、咲き出したその1本は「早梅」ではなく、少し早咲き種なのかも知れません。 今年の梅の開花は、全国的にみて、平年より4〜24日も早いとか。 「♪ 梅は咲い〜たか 桜はまだかいな〜 柳ゃ なよなよ風次第 山吹ゃ浮気で 色ばっかり しょんがいな〜」と鼻歌を歌いながらウロウロしていたら、墓地の中で樒の花を見つけました。 樒といえば、葬儀の際に使ったり墓前などに供えるものという印象が強いかも知れませんが、お寺では、特に密教系の寺院では様々な修法に使ったりする、欠くことのできない植物です。そのため、境内のどこかに必ず植えられています。 「樒の花」は春の季語ですが、この厳寒の中、咲き出しました。控えめで目立たない花です。 ゆ か し さ よ 樒 花 咲 く 雨 の 中 蕪 村 山 ゆ く と 山 の 樒 の 黄 の 花 の よ に つ つ ま し き 春 も 見 に け り 白 秋 幼くして逝った子を弔うため、多くのお地蔵さまが墓地にまつられていますが、明治の廃仏毀釈や悪戯で、お顔のない尊体も多いのが悲しいです。 今日24日はお地蔵さまの縁日。お地蔵さまをお祀りするお寺では、いろいろな行事が行われるでしょう。 ボクも午後、嵯峨野の愛宕念仏寺で行われる息災護摩供法要に出仕しますが、その法要では「愛宕本地仏 火除地蔵尊 火之要慎」というお札が参詣の方々に授与されます。 「火逎要慎」のお札と言えば、京都のあちこちで見かけるのが、愛宕神社の火伏札。全国各地に愛宕神社がありますが、その本源が京都・愛宕山の火之伽具土神を御祭神とする愛宕神社です。 この神さまの本地仏(本来の姿の仏様)がお地蔵さまであることから、愛宕念仏寺には火除地蔵菩薩がまつられ、火伏のお札が授与されるのです。 ちなみに、「愛宕念仏寺」の名は愛宕山の麓近くにあることから付いたのではなく、京都の旧地名「愛宕郡」に由来すると思われます。真如堂も「山城國愛宕郡浄土寺村」という地名でした。 余談ですが、樒は火伏の神花。愛宕山の裏街道には、「樒原」という、段々畑(「鎧田」)が広がる集落もあります。樒原は砥石の産地でもあり、この地出身の檀家のおばあさんに、重い砥石を持って山を行き来した苦労談を聞かせて貰ったこともありました。 話題が大きくそれてしまいました。 寒さ本番。外と建物の中の温度が大きく違います。お風邪を召されませんように。 手 水 鉢 凍 ら ぬ 日 な し 実 南 天 草 村 |