12/27版
今朝は、先週に続いての雪。 陽が昇る頃には、枝についていた雪がボタボタと落ちだし、地面はみぞれ状の雪に覆われて、場所によっては長靴が欲しいぐらい。 境内の木々の下は、落ちてくる半かたまりの雪がしきりに落ちてきて、足元とカメラを守るのに気が抜けませんでした。 今朝は境内に写真を撮る人を見かけません。 先週より雪が少なくて質も悪く、雪景色を狙うには今ひとつ。大掃除や迎春準備に忙しくて、これぐらいの雪では出かけるわけにはいかないのかなぁと思っていました。 ところが、お昼頃、市街地に出かけたらまったく雪がありません。痕跡すら…。「積もっているのはうちだけ?」。また、田舎と言われてしまいそうです。 京都駅の最上階から北の方を眺めたら、西山から北山、比叡山あたりだけが雪雲に覆われていました。雪が積もっていると知っている人はごく限られていたので、写真を撮りに来る人もおられなかったのですね。 境内にはまだ若干の紅葉が残っていて、冬枯れの境内に色を添えています。そんな写真も用意していたのですが……。 更新ネタが少なくなるこれから、更新作業をするにはありがたい雪ですが、2週続けて降られたのでは、うれしさ半分。かえって、先週と違う景色を探すのに苦労しました。 濡れたカメラも干さなければいけませんし…ブツブツ 年末の大掃除。お寺は建物も大きく敷地も広いですから、大掃除も大変。おまけに、いろいろな仏具など、普通の家庭にはないようなものもたくさんあります。 お寺によっては、新年に授与するものを作る作業などもあります。 そういうことがすべて終わって、大晦日の除夜の鐘。 真如堂では、参拝に来られる方々に鐘を撞いていただきますが、たくさんの方がお越しになるので、鐘を撞く綱を数本に分けて、4〜5人で1撞きしていただいています。 「本当に108つですか?」とよく聞かれます。本当に108つです。それを数珠で数えます。 数珠にもいろいろありますが、天台宗の僧侶向けの数珠の玉は108つあります。鐘を撞くたびに数珠玉を1つ進め、それが一回りしたら自ずから108つになります。数珠というものは良くできていて、30周まで数えることができますが、そんなに鐘を撞くわけにもいきません。 鐘を撞く合間に、東山界隈の寺々からも、鐘の音が聞こえてきます。 「ゴォ〜ン」と地を這うような低い音は知恩院の大鐘です。大きくて撞くのに時間がかかりますから、一番最後まで鳴っています。「コーン」と高い音色。どこのお寺から聞こえてくるのでしょう。 大晦日の夜、様々な“仏法の音”が京の街にこだまします。 終わってしばらくすると、お煮染めやお雑煮をゆっくり食べている間もなく、年の初めにご先祖のお墓をお参りされる方々が絶え間なくお越しになるようになります。 そんなこんなで年が暮れ、年が明けていきます。 子供の頃にはお正月が来るのが嬉しかったですが、今は「あー、正月かぁ」といった感じです。 年々、生活から季節感がなくなっていきますが、いろいろな行事をうまく使って、生活を豊かに楽しみたいですね。 京都のお雑煮といえば、丸餅に白味噌仕立てで、大根、金時人参、頭芋などを入れるものと、京都のすべての家庭がそれを食べるようにマスコミは伝えます。 「京都の人」といっても、もちろんずっと昔から京都に住んでいる人ばかりではありません。当然、故郷の味にもいろいろなバリエーションがあります。 お雑煮の定番は丸餅に白味噌仕立てですが、丸餅・角餅、白味噌・おすましなど様々な組み合わせが実際には用いられています。 新嫁さんが嫁いできて、最初はその家に伝わるお雑煮が食べられるものの、子供ができて次第に世代交代していく中で、お雑煮もそのお嫁さんの故郷で食べられていたものが幅をきかすようになる。その時が、主婦の世代交代でもあるという話を聞いたことがあります。 ちなみに自坊は、先代は群馬、現住職は千葉。祖母は丹後、母は京都。そしてお雑煮は、丸餅におすましです。 旅 館 の 寒 灯 独 り 眠 ら ず 客 心 何 事 ぞ 転 凄 然 故 郷 今 夜 千 里 を 思 わ ん 霜 鬢 明 朝 又 一 年 高適という盛唐の詩人の漢詩です。 旅先の旅館の寒々とした灯火のもとで、眠れない夜を過ごしながら、故郷への思いがこみ上げてくる。白髪の増えた鬢も、明日の朝になればまた一つ年を重ねる、そんな大晦日の心情を歌っています。 年末押し迫って、イラク派兵が決まり、先遣隊が派遣されました。 内心は是としなくても赴かざるを得ない立場ゆえに派兵される一員となり、異境の地で大晦日を迎える人々の心境はいかなるものでしょう。そんなことを考えて、この詩を思い出しました。 イラク人・日本人などという区別なく、どうか無事な時を過ごしていただきたいと念じます。
今年1年、「苦沙彌のIternet僧坊」をお訪ねいただきありがとうざいました。 |