12/13版 



種がいっぱいついているもみじの梢
 「寒ぅー」と思わず口にすることが時々あるようになりました。12月も、もう半ば。
 テレビのニュースでは、祇園の花街で芸妓や舞妓が今年1年のお礼と新年の挨拶に師匠宅を回る「事始め」の光景やすす払いをしたり門松をたてる社寺の様子などが写っていました。
 もうそんな時期なのですね。

 境内は11月の喧噪がまるで嘘のように静まりかえっています。
 時折、観光客らしい姿が見られますが、今となってはそれも少し場違いな感じ。紅葉の時期以外の真如堂は、本当に静かなお寺です。やっとそういう本来の姿に戻って来たような感じが、数日前からしています。


苔の緑と枯れ葉の赤
 今年の紅葉はほぼ終わりました。
 それでも、まだ鮮やかな赤い葉をつけているもみじや、赤く敷き詰められた落ち葉が、人影の消えた境内でゆっくり楽しめます。
 境内全体の色調が、フルカラーからモノトーンに徐々に移行していく中、紅葉に出遅れた真っ赤なもみじ葉がかえって目立ち、とても美しく感じられます。
 確かに今年の紅葉はよくありませんでした。
 でも、自然の妙か、紅葉の良かった年も悪かった年も、今頃の季節になると差別なく同じような光景になり、また同じスタートラインに立って春を迎えるように思えます。


テカテカ光る地面
 落ち葉も大半が落ち尽くし、その掃除も先が見えてきました。
 掃除をして落ち葉を取り除くと、カメラのレンズキャップや他のお寺の拝観券など、‘夢の跡’を見つけることがあります。
 心が痛むのは、踏み固められた地面、はげてしまった苔、踏みつぶされた萩の株など。
 境内の地面がテカテカと光っている光景は、いかに多くの方がこの地面を通られたかを容易に想像させると共に、はたしてもみじなどの木々の根がちゃんと呼吸ができているだろうかという不安を呼び起こします。
 来年の紅葉期までの長い時間と訪れる人の少なさが、このテカテカ光る地面を、また木々の根が呼吸しやすい地面にやわらげてくれる気がします。
 私たちを楽しませてくれた木々たちよ、どうかゆっくり休んでください。


わずかに残る菩提樹の実
 ここ数日、毎日時雨れています。
 山に囲まれた地形の京都は、特に時雨が多いところです。
 晴れているのに、にわかに重そうな雲がかかってきて、雨がぱらつく。そんな時によく見られるのが虹です。
 先日来、京都でも虹を見たという声をよく聞き、ボク自身も12日の午後に出会いました。虹を見るのって、何だか幸せな気分ですね。
 二条城の南に「神泉苑」というところがあり、平安京造営の時に風水的な見地から、ここに池が造られました。
 虹のいったんはどうやらその辺り、もう一端は妙心寺か法金剛院辺り。車を走らせながら、ビルの狭間に両端を見ました。

     時 雨 れ た る あ と の 日 ざ し の 移 り ゐ し     夜 半

     水 に ま だ あ を ぞ ら の こ る し ぐ れ か な     万太郎



掃除のご褒美の焼き芋を食べる人たち
 今日、当ホームページの「落書きby訪問者」での呼びかけで集まってくださった方々と、どっさりあるモミジの落ち葉で焼き芋をしました。
 箒やブロアを手に、山のような落ち葉の掃除をしつつ焚き火をして、その中に約20個のサツマイモを投入。
 和服で来られた方、食べることに専念されている方、遠くから新幹線で駆けつけて下さった方など、煙に巻かれながらも楽しくて美味しい時を過ごしました。

 ところが、今、野焼きは「廃掃法」の「野外焼却等の規制」では原則的には禁止されています。認められるのは、「どんど焼き」のような慣習や宗教行事によるものや、たき火その他日常生活を営むために通常行われる焼却で軽微なもの(庭先での落ち葉たきなど)。
 煙や匂いで近隣に迷惑をかけることもあり、産廃の野焼きなどの問題もあって規制が厳

枯れ葉も自然の恵み
しくなったようで、当然とも言えるでしょうが、庭先での落ち葉の焚き火すら全面禁止されたら大騒動。できるだけ腐らせたりしていますが、とてもそれだけで処理しきれる量ではありません。
 焚き火でする焼き芋は、紅葉に対する‘感謝祭’。そう考えるのは手前勝手でしょうか? 得をするのは紅葉を見せてくれた木々ではなく、見せて貰った私たち。2重取りでしょうか。
 「枯れ木に花を咲かせましょう!」
 燃やした灰を木々の根元に撒いて、お礼の印とさせて貰いましょう。