11/15版 



写真上部中央の赤い葉が櫨。もうほとんど残っていません。その他の木はもみじですが…
 進みません、紅葉。枝や木によっては赤くなっていますが、境内全体でみると、紅葉しているとはまだまだ言い難い状態です。
 先週のこのページで、最低気温が8℃を下回るようになるのが紅葉のバロメーターと書きましたが、やっと昨日7.2℃を記録。でも、来週の予報では、8℃を下回る日は2日しかありません。
 例年の紅葉のピークは勤労感謝の日の頃で、それまでにはまだ1週間ありますが、この様子ではさらに遅れそうです。
 年によっては、紅葉せずに、枝に付いたまま枯れてしまう葉が多い年もあります。そんなことになりませんように。
 もみじはまだまだですが、はぜ無患子むくろじ木患子もくげんじなどの紅葉は、もう終わりです。桜も枝に残っている葉のほうが少なくなってきました。


11月半ばの境内とは思えませんね
 境内はここ数日のうちに、訪れる人がどんどん増えてきました。
 近くの道路で観光バスから降りた、胸にツアー会社のマークをつけた人たちが、ぞろぞろと歩いて来られる姿を見かけるようにもなりました。
 総門の前には、和菓子の売り子、客待ちタクシーの列、正面の階段にはどこかのツアー専属の写真屋さん。何だかずいぶん騒々しくなってきました。
 それぞれが「紅葉評論家」で、「今年の紅葉は悪いなぁ」「○○の紅葉がピークだ」「いや。まだだ」などと話しておられます。
 皆さん楽しそうですが、「これぞ紅葉!」というような綺麗な紅葉を見せてあげたい気がしてなりません。せっかく来ていただいているのに残念です。


   賑わう境内。お練り法要の行列は人垣の中の朱傘の向こう   (Photo: Y.T)
 さて、今日は「お十夜」の結願大法要。境内のお稚児さんや僧侶などのお練りが行われます。
 お十夜は、「十日十夜別時念仏会」というのが正式な名前です。
 その昔、足利義教公の執権職をしていた伊勢守貞経の弟、平貞国は無常を感じて、自分は仏道に生きようと真如堂にこもって念仏の行をしました(1430年頃)。時代は、応仁の乱に向かう不穏な社会情勢でした。
 3日3夜のお勤めが済んだら髪を落として出家しようと決意していた3日目の明け方、貞国の夢枕にお坊さんが現れて、「阿弥陀さまを信じる気持が本当なら、出家するしないは関係ないではないか。出家するのは待ちなさい」とお告げをされ、「心だにたてし誓ひにかなひなば 世のいとなみはとにもかくにも」という歌を下さったといいます。
 貞国が出家を思いとどまって家に帰ってみると、兄は上意に背き吉野に謹慎処分。代わりに貞国が家督を継ぐようにという命令が下っていました。

       「法裳七條」をつけたお練り法要の僧侶    (Photo: Nana T.)
 貞国は、「兄は謹慎だし、自分も出家をしていたら家督を継ぐ者がいなくなって、執権職を受けるどころか、家も断絶していただろう。これは阿弥陀さまのお陰だ」と感激し、あと7日7夜、合計10日10夜の念仏をしました。
 これがお十夜の始まりで、「この世で10日10夜善いことをすれば、仏国土で千年善いことをしたことに勝る」という教え(『無量寿経』)を根拠に、阿弥陀如来の法恩に対する感謝のための法要です。
 後に後土御門天皇(1464〜1500在位)の勅命により鎌倉光明寺でも行われ、全国の浄土宗寺院に広まりました。
 この頃の真如堂は、応仁の乱を避けて比叡山、穴太(大津市)、京都一条町と遷座し、義政公によって現在の地に復座、また義輝公の菩提所として義輝公邸宅跡(室町勘解由小路)に移転と、本当にめまぐるしい時代でした。
 お十夜法要も、その都度、それぞれの土地で勤められたのでしょうか。
 境内では、タレコ止め(中風よけ)の小豆粥の接待もあります。一説によると、粥を「おじや」というのは「おじゅうや」がなまったものだとも?
 かつてはお参りの人出を目当てに、近隣に露店が出たりして、ずいぶん賑わったと聞きます。ボクも子どもの頃は、「あてもん」や綿菓子、たこ焼きなどの店が楽しみで、学校から急いで走って帰ったものでした。
 近年は、紅葉目当ての人がいっぱい。そのうち、たこ焼きなどの露店がまた姿を見せるようになるのでしょうか。

        わ す れ 得 ぬ 空 も 十 夜 の 泪か な        去来

        眞 如 堂 に 知 る 僧 の あ る 十 夜 か な     虚子



落ち葉を燃やす煙の中に差し込む朝日
 もみじはまだまだですが、自坊前のはぜくろ木患子もくげんじなどの紅葉は、もう終わりです。桜も枝に残っている葉のほうが少なくなってきました。
 紅葉のピークさえまだなのに、落ち葉の話も変ですが、ここ1週間ほどは、櫨や木患子の落ち葉掃除に追われました。無患子は、まだしばらく掃除の仕事を与えてくれます。
 朝一番、枯れ葉を集めて燃やしていると、そこに朝の斜めの光が差し込んで、とても幻想的な光景になりました。
 焼き芋をするほどの落ち葉は、まだまだ集まりませんが、葉は散った後もいろいろな楽しみを与えてくれます。
 でも、今月後半頃になると、毎日大量の枯れ葉を掃除しなければなりません。「雨が降ってくれないかなぁ」と、正直思います。掃除をさぼれるので。


吉祥院の枝垂れ菊
 もみじも不調なら、菊も不調のようです(住職談)。
 それでも、時期的にはお十夜の結願法要を迎える今日あたりがちょうど見頃です。
 きっと菊の香りが漂っているのでしょうけれど、慣れてしまって、あまり感じなくなってしまっています。
 お線香でも、ずっと同じものを使っていると香りがしないように感じるものらしく、お香屋さんには「最近、このお線香、においがしなくなった」というクレームが寄せられることもあるようです。
 慣れというものは、「もったいない」ものですね。普段見慣れている光景にも、それは言えると思います。
 京都にいると、大きな神社仏閣などは当たり前で、すっかり慣れてしまいます。わざわざ行こうとは思わず、ボクなど、ほとんどの名所旧跡が未踏です。これももったいないことです。

 紅葉にもそれは言えるのですが、慣れた目にも去年の紅葉はきれいでした(去年お越しになれなかった方、残念でした)。今年も、“それなり”にさえなってくれればいいのですが…。枝に付いたまま枯れてしまうケースも無きにしもあらず…。
 見頃は、今月末だと思います。
 「今年は行けないなぁ」と一度は諦められた方、もう一度再検討されてはいかがでしょう。

        藪 寺 や 十 夜 の に は の 菊 紅 葉         几菫

写真の一部は14日午後に撮影したものです