10/4版
この1週間は晴れまたは快晴のお天気。秋の長雨は、どうやら空振りのまま過ぎていったようです。 境内の木々は、少しずつ紅葉の時期を迎える準備を始めたようです。 モミジはまだまだ青いですが、カエデは木の天辺のほうから色づきだしています。 「カエデとモミジはどう違うの?」と疑問に思われる方もあるでしょう。植物学的にはどちらもカエデ科で同じですが、園芸の世界では次のようにわけて考えられています。 モミジは葉が5つ以上に切れ込んで掌状のもの、カエデはそれ以外の切れ込みが3つのもの、ちょうどカナダの国旗の葉を思い浮かべていただければいいでしょう。 真如堂の紅葉は「花の木」などのカエデから始まり、モミジがそれに続きます。上の写真では、手前のモミジが青く、奥のカエデが紅葉し始めているのがわかります。 吉祥院の回りでは、真っ赤に色づく櫨、黄色一色になる無患子、南天や錦木などが、あと1ヶ月もすれば錦織なすでしょう。 櫨の木は、青い葉と赤い葉が混在していて、そのコントラストが実に綺麗です。実が房になって付いているのがわかりますか? この木は、ボクが櫨と知らずに植え替えて大変な目にあった“思い出”の木です。30年ほど前の冬のことでした。 回りには、そんな木がたくさんあります。自分が植えた木はもちろん、子供の時によく登った木、ターザンごっこをした木、クマ蝉がたくさんいる木、ゴム銃や“刀”を作る木……思い返せば、次々と出てきて、とても幸せな気持がします。 皆さんにも、思い出せば心が豊かで饒舌になるような木がありませんか? でも、どうして、菊のお酒なのでしょう? 『太平記』に次のような物語があります。 中国・周の穆王の寵愛を受けていた慈童は、ある日、王の枕をまたいだ罪で、鳥さえ鳴かず虎や狼がウロウロしているような深い山に流されました。穆王はそれを哀れに思い、法華経観世音菩薩普門品の「慈限視衆生 福聚海無量」という二句を密かに慈童に授け、毎朝唱えるように言いました。 慈童は言われた通りに唱えますが、忘れないようにと、この句を菊の葉に書きつけました。やがて、この菊の葉の露が、谷水に混ざり、天の霊薬となりました。慈童がこの水を飲むと大変甘く、どんな珍味にも勝っていたといいます。 その水を飲んだ慈童のもとに、天人が花を捧げに飛来し、鬼神は奉仕し、野獣の心配もなくなり、ついに慈童は仙人となります。また、下流でこの水を飲んでいた人々は、みな病気が治り不老不死の長寿を保ちました。 800年後、慈童は文帝に、法華経の二句を捧げましたが、その容貌は少年のままで、まったく衰い老えていませんでした。 これは、能の『菊慈童』『枕慈童』のもとにもなっている話です。 菊は、もともと邪気を払って血気を盛んにする不老長寿の薬草でした。このようなことから、重陽に菊酒を飲む風習ができたのでしょう。 また、重陽の節句の前夜、菊の花の蕾に綿をかぶせて菊の香りと夜露をしみこませたもの(菊の被綿)で、宮中の女官たちが身体を撫でる風習が日本でもあったといいます。 話は少しそれますが、そういえば「菊正宗」「菊姫」「菊水」など、「菊」が名前についているお酒が多いですね。調べてみました。お酒の名前に多く使われる漢字は、「山」「鶴」「正」「宗」「菊」の順。「正」と「宗」は、「正宗」と使われることも多いですが、これは「清酒」→「正宗」の語呂合わせ。結局、「菊」が多いのが、菊の不老長寿の薬効や重陽の行事などと関係があるのかどうかわかりませんでした。 「菊酒」は、お酒のなかに菊を浸す方法と、菊の花を集めて酒壷のなかに吊るし、菊の滴が酒のなかに落ちるのを待つ方法があるようです。早く呑めるのは前者ですね。 十三夜は「豆名月」ともいうのに因んで(こじつけて)、写真は藪豆の花です。 油断も隙もなく、どんなものにでも巻き付いて、どんどん蔓延っていきます。蔓と地中の両方に果実をつけて子孫を残し増やします。 そんな困った藪豆が、草ひきを怠っている間に花を咲かせました。初めて見ましたが、小さく可愛い、いかにも豆の花です。花が咲いている間は、引き抜くのを免じてやりましょう。 9日は、寒露。露が冷気にあって凍りかけ、24日の霜降に向かって、雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀などが鳴き止むと暦ではいいます。 京都でも、「もうこたつを出しました」という人がいました。かなり寒がりな人だと思いますが、お酒も冷酒より熱燗が欲しくなってきました。何よりお酒は、ボクの季節のバロメーターかも。 地域の運動会なども、ここしばらくがピークでしょうか? あまり張り切って走ったりして、転けないでくださいね。 |