8/16版
涼しくて、雨の多いお盆でした。雨には困りましたが、涼しいのは大歓迎。棚経での体力の消耗も、例年より少なくて済んだ気がします。 今日は、いよいよ「五山の送り火」。お盆に帰って来られた精霊の帰り道を照らす、お盆の締めくくりの行事です。 8時の東山の「大」文字の点火に続き、同10分 松ヶ崎「妙法」、15分 西賀茂「船」形万燈籠と金閣寺近くの左「大」文字、20分 北嵯峨「鳥居」と、順番に点火されていきます。 ある鉄道会社のパンフレットに、真如堂から五山すべてが見えると書いてあったそうですが、これはまず不可能。境内を必死で走り回れば見られないこともないでしょうが、見える場所はそれぞれ違い、しかも「左大文字は、墓地のここからこの角度で、鳥居はあっちで」というように見える場所も角度もごくごく限られています。送り火なのですから、走り回ってすべてを見るより、静かに精霊を送りたいものです 。 盆踊りは、もともとお盆に帰ってこられた祖先の霊を迎え慰めるための行事で、古来から行われていたようです。その他のお盆の行事も、日本古来の祖先崇拝のさまざまな行事や農耕儀礼と仏教の行事などが融合したものです。 丁寧な方は、お盆になるとお墓に精霊を迎えに行かれ、家に連れ帰って精一杯のご接待をし、またお送りするということをされます。 先日、棚経に行ったお家で、「今、ホトケさんは家に来られてるんでしたら、お墓にお参りしても誰もいはらへんですね?」と聞かれました。おっしゃるとおり…? 仏教行事といっても、前述の通り、土着信仰や習俗などと渾然一体としていて、中には仏教思想とそぐわない、相反するものまであります。永遠に存在するものなどないと説く仏教からすると、精霊がいつまでも存在して、あっち行ったりこっち行ったりするというのも随分おかしなことですし、供養しないとご先祖がたたるなどというのもあり得ない話です。 供養というのは、どこにおられようと、おられようとおられまいと、私たちをこの世に送ってくださった多くの祖先への感謝の念を込めて行うものではないかと思います。 今日の更新は、ずいぶん抹香臭いですか? 先日、このホームページがNHKの教育テレビで紹介されましたが(注1)、その折、「苦沙彌さまは、本当に和尚さんなのですねぇ」という感想が「落書き by 訪問者」に多かったもので……今日はお坊さんらしく。 紅白を枝で咲き分ける吉祥院の百日紅は、今年はまだほとんど咲いていません。 小さな蕾を抱えていますから、まだこれから咲くのかも知れませんが、境内の他の百日紅も花付きが悪く、暑い夏が好きな百日紅にとって、今年は不得意な年だったのかも知れません。 また、例年、風船のような実をたくさん付けるモクゲンジ(02/8/24版参照)も、今年はほとんど実の姿が見えません。 このHPを訪れて下さる方々から、秋の紅葉を心配するメールが届くようになりました。10年に1度と思えるほど美しかった去年並を望むのは無理でしょうけれど、せめて、せっかく来て下さる方を失望させない程度に色づいて欲しいものです。 さ か り と て 寂 か に 照 る や 水 引 草 水 巴
この写真は、墓地から撮ったもので、「大」の真下左に鐘楼の屋根が、写真の左端に本堂の屋根が見えています。 真如堂から見る大文字は、大の火床の手前にある法然院の山で、「大」の足の部分が蹴られてしまいます。 今年の大文字は一気に燃えたのか、10分過ぎにはすでに火の勢いがなく、なんとなくあっけなかったような気がしました。 ボクの部屋からは、左大文字と鳥居も見えました。 大文字の起こりには諸説ありますが、最近になって、大文字山が銀閣寺領であった文書が発見されたことから、「室町中期、足利義政が近江の合戦で死亡した実子・義尚の冥福を祈るために、家臣に命じ始めた。大の字形は山の斜面に白布を添え付け、その様子を銀閣寺から相国寺の僧侶・横川景三が眺め定めた」という説が有力視されているようです。 有縁無縁のあらゆる精霊が、この火に送られて、御仏の浄土に帰られますことを。 南無阿弥陀仏 京都のお盆も、これで終わりです。 (注1)再放送は、8月19日(火) 高校野球中継がある場合は、午後3時30分〜。中止の場合は、午後0時30分〜、午後3時30分〜の2回。NHK教育テレビ「趣味悠々 中高年のためのパソコン講座 第7回 ホームページで趣味を広げよう」です。 |