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桜の頃は、ぐずついたお天気になることが多いですが、京都の過去約20年の4月の晴天率をみると、80%の日が4日、60% 20日、40% 6日となっています。11月は、80% 10日、60% 19日、40% 1日ですから、やはりぐずつく日はかなり多いことになります。でも、それも含めて「春」。 お花見を予定されていた方には、無情の雨。花粉症の方には癒しの雨? この雨で桜が散ってしまうということはなく、黄砂や花粉が洗い流され、雨後の桜は一層きれいかも知れません。明日を楽しみにしましょう。 今日は二十四節気の「清明」。「万物ここに至りて皆潔斎にして清明なり」。冬に比べて太陽がだんだん高くなり、空気も清らかで、新緑も清々しく、生きとし生けるものに命が満ちてくるように感じられる頃です。 陽の当たるところを歩いていると、春独特の匂いが先週にも増して漂ってきます。土の中の微生物が活発に活動しているのでしょう。 もちろん、春になってじっとしていられないのは、人も一緒。雨にもかかわらず、境内は結構賑わっています。 紫外線は、4月から増えるとのこと。花曇りでも御用心。 お花見気分を打ち壊すかのように、無粋な連呼の声が折り重なるように聞こえてきます。4日、京都でも、府議選・市議選が告示され、お花見で賑わう観光地や繁華街近くには、“カンオケ”を載せた車が集まってきます。 政治家の堅実な仕事ぶりが見えず、うなずけるような主張も聞かれない中での名前ばかりの連呼。桜の花の魅力には、とても太刀打ちできません。 春日局が、父斎藤内蔵介利三の菩提を弔うために植えたものといわれ、樹皮が縦に走るところから(普通の桜の皮は横向け)、この名があります。 縦皮桜は、江戸彼岸桜の一種のようです。江戸彼岸は樹齢の長いことでも知られていて、その種には高神代桜(山梨県)や淡墨桜(岐阜県)など、樹齢千年と言われるものもあるようです。 ちなみに、江戸彼岸と大島桜の交配種である染井吉野の寿命は、50・60年〜80・90・100年程度と言われます。 縦皮桜は樹齢300年ほどですが、中が虚になってしまっていて、1959年の伊勢湾台風の強風に耐えきれず、一部の皮を残して折れてしまいました。 水上勉さんの小説『桜守』では、この桜を桜栽培の第一人者である宇多野礫平という人物が接ぎ木をして生き返られたことになっています。宇多野は、京の桜守・佐野藤衛門氏がモデルのようで、実際に佐野氏がこの縦皮桜に接ぎ木をされた事実もあるようですが、佐野氏の接ぎ木は失敗。今、活着しているのは、吉祥院の住職が接ぎ木したものです。佐野氏のためにも、ヒ・ミ・ツ。 染井吉野より小振りな花で、とても可愛いです。これを見ずして、「真如堂で桜を見た」と言わないでくださいね。 まさに、百花繚乱の季節ですね。 4月8日は「花祭り」、お釈迦さまの誕生日です(「灌仏会」「仏生会」)。 紀元前463〜383年頃、お釈迦さまは今のインド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、母マーヤが無憂樹の枝に手をさしのべたその右脇からお生まれになったと言い伝えられています。 そして、まわりを見渡された後、北に向かって7歩歩んで、「天上天下唯我独尊」とおっしゃったといわれています。 7歩というのは、六道を輪廻する存在から出る「六道出離」を意味しています。 花祭りの時に、右手を上に左手を下にした「誕生仏」に甘茶をかけますが、これは釈迦ご誕生の時、9体の龍神が天から降りてきて香湯を注いだという伝説に則っています。「灌仏会」と呼ぶのもそのためです。 甘茶を灌仏するようになったのは江戸時代で、他の国では例がないとか。甘茶はアジサイの一種で、この葉を乾かすとフィロズルチンという物質が生成されて甘くなります。自坊に生えていますから、花の時期にまたご紹介しましょう。 境内の染井吉野も、そろそろ満開。日曜日は晴れるようです。 春の一時、ぜひ、満喫なさってください。 今回の更新に使った写真は、4日に撮影したものです(桜の開花具合はほとんど変わりません)。 実は、その時、カメラを落としてしまい、レンズが脱落するという最悪の事態になってしまいました。カメラは今、修理センターに向かう小包の中で、今日の写真を撮ることができませんでした。サポートセンターには、「高くつきます」と言われました。買い換えた方が安いのかも… 来週の更新どうしよう…何とかしますから、またお越し下さい。 |