11/2版 
真如堂 NOW !!



塔南側のカエデ(墓所よりのぞむ)。今、境内で一番きれい

 今日から、人によっては3連休。
 北海道や東北からは、初雪や積雪の便りが聞こえてきます。
 京都もこの3日間は冷え込む予報で、今日も冷たい北西の風が吹き、晴れたかと思ったら、また時雨れる。朝からそんな繰り返しです。

 境内にも朝からたくさんの方が来られていますが、リュックを背負っている方を多く見かけます。
 これからは紅葉シーズンたけなわ。慣れた人は、渋滞で動けなくなってしまいがちが車などを使わず、ひたすら自分の足を頼りに、東へ西へ。もっとも確実で、しかもいろいろな風景を楽しめる手段です。
 境内の紅葉は、まだまだ足踏み状態。連休の冷え込みで少しは加速するでしょうか。
 一方、もみじより紅葉が早いカエデは、少しずつ見頃を迎えつつあります。木によってはご覧のように美しい赤や黄を見せてくれています。
 不思議なもので、同じ種類の木でも、場所によって、さらには枝によって、紅葉の進み具合が違います。日当たりの影響でしょうか。


平均的な境内の紅葉の様子。まだまだ少し緑がくすんできた程度です
 紅葉はどうして起きるかご存じですか?
 受け売りですが、朝の冷え込みが10度を下回るようになると、植物は葉を落とす準備を始め、葉の付け根に薄い膜のようなものが作られて、葉と幹との間で栄養分のやり取りが出来なくなります。そのため、光合成で作られた糖分が葉に蓄積され、これが赤い色素に変わっていくということなのです。
 葉にもともとあった緑の色素は、葉の老化に伴って壊れていくため、赤い色と残された緑の色のバランスで、きれいな赤になったり、くすんだ赤になったりします。
 ということで、きれいな紅葉の条件は、1.昼と夜の気温差が大きい(緑の色素の分解が促進される) 2. 十分な日照時間(たっぷり糖分が蓄積されて赤くなりやすい) 3.適度な雨(ある程度水分が供給されないと葉は枯れてしまいます)。
 さて、今年の紅葉はいかがなりますやら。
 ピークは、たぶん、次の連休頃でしょう。


小石?ドングリ?
   真如堂に来られた多くの人は、その後、永観堂や銀閣寺に行かれたり、車で移動されますが、ボクのオススメコースがありますので、ご紹介します。
 たいてい毎朝、歩くコースでもあり、地元の方などしかあまり通られない道です。

 本堂の右に「縦皮さくら」がありますが、そこをさらに右奥に進んでいきます。左側には三井家墓所の土塀、右側の生け垣の中もお墓です。
 今朝は、ドングリがいっぱい落ちていました。「リスが見たら喜びそう」と思いつつ…。
 30mほど行って、少し崩れたような階段を3段ほど上ると、舗装された道が右側から延びてきます。この市道が、お隣の黒谷さん(金戒光明寺)との境界です。

木立の上に大文字
 目を左に転じると、木立の上に大文字山が顔を出しているのが見えます。ここは地元の人が「五山の送り火」を拝む時のビュー・スポット。右側の真如堂の墓所からは、左大文字や鳥居・舟形も見えます。

 黒谷さん(金戒光明寺)は、比叡山から下りた法然上人が草庵を結んだのに始まる浄土宗七本山の一つ。
 文久2年(1862)12月、京都守護職の命が下った会津藩主松平肥後守容保が、藩兵千人を率いて上洛し、その本陣となったのが黒谷金戒光明寺でした。

 もう20mほど歩を進めると、左側の石碑に「会津藩殉難者墓地所」「会津墓地」の文字。蛤御門の変の戦死者32名と鳥羽伏見の戦死者など、会津藩の京都での死者の墓碑があります。
 また、新撰組と共に池田屋の残党狩をしていて、謝って土佐藩士を切傷し、切腹した会津藩士柴司もここに眠っています。

ゆかりのある人も少なくなったであろう会津墓地
 お寺の境内なのに、なぜかお墓は神式。
 初代会津藩主保科正之は、神道の信仰が篤く、最高の霊号「土津はにつ霊神」を贈られていたことと、維新の神道興隆の気運から、会津藩では戦死者を神式で葬ったそうです。
 慰霊碑には、会津若松「鶴ヶ城」の写真や絵葉書が飾られてあります。
 悲惨な歴史いっぱいの会津墓地。春には桜がきれいに咲いて、死者たちの霊を慰めています。

 会津墓地の向かいは、西雲院。ここは、通称「紫雲石」。境内の小堂に半畳ほどの石と法然上人の絵がまつられています。
 承安5年(1175)の春、法然上人は比叡山を下り、真如堂に詣でた後、この石に腰をかけられました。そして、念仏を称えられると、にわかに紫色の雲たなびき、光が満ちたといいます。
 法然上人はこの地を念仏の道場と定め、白河の禅房(金戒光明寺)を結ばれたといいます。その座られた石が、「紫雲石」なのです。

儒式のお墓。古来、中国には死者の霊は崑崙山上に鎮まるのを理想とす
る考えがあり、それを龍・獅子・亀などが手伝ってくれると信じられていた
 京都って、数百年間の歴史に因んだ史跡などが混在しているでしょう。

 ボクが、この道で一番楽しみにしているのは、「墓石巡り」。
 黒谷の墓地は、東大谷・西大谷と共に「京都三大墓地」といわれるほど大規模。熊谷直実、平敦盛、春日の局、竹内栖鳳など、有名人のお墓は枚挙にいとまがないほど。
 墓所は、手入れが行き届かないため、少し荒れ気味で、傾いて倒れそうな墓石もありますが、その間を墓碑銘を見ながら歩くと、古人の匂いがしてきそうな気になります。
 パチンコ玉の形をした慰霊碑、亀の背に仏石を祀ったお墓、今は参る人もない貴族やたぶん偉い人のお墓…。
 そういうのを見ていると、どんな有名人でも、あるいはどんなにお墓に凝っても、しばらくすると傾き崩れ、草木の間に隠れていく。
 「果ては、嵐に咽びし松も千年を待たで薪に摧かれ、古き墳は犂かれて田となりぬ」(『徒然草』)。
 宇宙から見れば、人の一生なんて何ほどのものだろう。つまらぬことに四苦八苦していてもはじまらない…。そういう前向きの無常観? いい意味での吹っ切れを与えてくれるお墓めぐりです。
 連休中の大混雑のお寺に行って、トコロテン式に押し出され、何を見たかもわからないより、よほどオススメです。

黒谷文殊塔(重文)

 さて、解説が長くて、ぜんぜん足取りが快調ではありませんが…。
 京都の街からは、真如堂〜黒谷の丘の上に、2つの三重塔が見えます。一つは真如堂の法華塔、もう一つが黒谷の文殊塔です。
 蹴上や南禅寺あたりから見て、「真如堂の塔だ」と思っておられるのは、黒谷の塔。今は名前が変わりましたが、都ホテルの風景の説明板も間違っていました。
 真如堂の塔は低い位置に建っているので、西側ぐらいからしか見えないのです。
 文殊塔というように、この塔の第一層目には大きな文殊菩薩がまつられています。天橋立の切戸文殊、奈良の阿部文殊と共に、日本三大文殊に数えられているとか。
 残念なことに、普段は扉も閉まり、おまけに鉄柵があるため、中を覗くこともできませんが、18日だけご開扉されます。その威厳には圧倒されますよ。
 この塔の裏側あたりには、八橋検校やフランス文学の桑原武雄さんのお墓もあります。

 さて、目を反対に転じると、ところどころを木に遮られながらも、京都市内の絶景が待っています。
 近いところでは、平安神宮の鳥居や緑色の屋根、国立・市立美術館、京大病院や府立大学病院、御所、京都ホテル、京都タワー、知恩院の大屋根、西山や大阪に通じる淀の遠景…。
 お墓巡りとは違った爽快感が味わえます。

黒谷文殊塔前の石段。以前はよく撮影に使われていました

 文殊塔前の長い石段を下がっていく途中も、京都市内の景色が楽しめます。
 階段を下りきったすぐ右側には、春日局など、徳川家関係の大きな墓石が見えます。左側の道は、岡崎神社横と岡崎別院の間の丸太町通に通じます。永観堂に行くにはこの道がいいでしょう。
 真っ直ぐ行って左右どちらへ行っても、広々とした境内に出ます。御影堂大殿(本堂)、三門、阿弥陀堂などが並んでいます。
 真如堂は木々の間に諸堂がある感じですが、黒谷境内はあまり木がなく、どちらかといえば閑散としています。拝観などはできません。
 境内を西の方に進み、火矢や鉄砲の玉があたっても跳ね返すことのできるかのように銅板が張られた門を出てしばらく進み、左に折れると丸太町。平安神宮の裏側です。折れずに真っ直ぐ進むと聖護院。平安神宮から青蓮院〜知恩院〜円山公園と進むもよし、聖護院から鴨川に出るのもよし。

 長〜いページになってしまいました。でも、道の混む連休だからこそオススメしたい散策コースです。
 紅葉にはまだまだ早いけど、連休をお楽しみ下さい。