10/6版
真如堂 NOW !! |
今日から3連休という方もあるのではないでしょうか? お天気もなんとか保ちそうですし、気候の良い時期の休日は嬉しいですね。
先週、金木犀が咲き出したと書きましたが、アッという間に散ってしまいました。
自坊の前庭では、貴船菊が咲いています。一般には「秋明菊」と呼ばれますが、京都の貴船に多かったことから「貴船菊」とも呼ばれます。「菊」というものの、アネモネと同属の花です。赤紫やピンクのものもありますが、白が清楚で一番きれいな気がします。
この花、陽の光が好きなようで、モミジの枝などが伸びて日陰になること多くなった途端、急に株の数が減ってしまいました。来年はもっと増やしたいと思わせる、秋の名花です。
さて、「真如堂NOW!!」のコーナーにはマッチしない「苦沙彌NOW!!」になってしまいますが、10月1日から5日まで、私は中国に行って来ましたので、そのご報告を。
10/1 | 成田・関空−<空路>−上海。上海−<バス>−杭州 |
10/2 | 杭州−<バス>−天台山。国清寺表敬訪問の後、天台山の諸寺を参拝。智者大師説法処跡で日中合同記念法要。国清寺の招待で夕食 |
10/3 | 天台山−<バス>−杭州〜上海。上海−<空路>−宜昌 |
10/4 | 三峡ダム建設の遠景を見学後、玉泉寺参拝。宜昌−<空路>−武漢−<空路>−上海 |
10/5 | 上海観光−<空路>−成田・関空 |
1日は仲秋の名月。しかも、中国建国52年の記念日と重なり、1〜7日までは全国的に休日となって、国をあげてのお祭り気分。どこもかしこも大変な賑わいでした。
京都では曇天でお月見が出来なかったようですが、私は幸いかな、中国の7大古都のひとつ、杭州 西湖の畔で最高の名月を堪能しました。
「天に極楽があるように、地に蘇州・杭州あり」といわれ、この西湖ではたくさんの漢詩が詠まれています。
飲湖上初晴後雨詩 蘇 軾 (東玻)
水光 瀲艶として 晴れて方に好く
山色 空濛として 雨も亦た奇なり
西湖を把って西子に比せんと欲すれば
淡粧 濃抹 総て相宜し
この地の美女 西施が、厚化粧の時も薄化粧の時も美しかったように、西湖は晴れても雨でも変わりなく美しい…。どんな美女だったのか会ってみたいですが、晴れても雨でも、まして仲秋の名月なのですから、西湖が美しくないはずありません。ロケーションは最高、忘れ得ぬ思い出となりました。
中国の人の仲秋の名月を楽しむ風習は、今も日本人の比ではなく、湖畔は大勢の人で大混乱。挨拶には「仲秋名月で、建国記念日のめでたい日に」という枕言葉がつき、料理にも必ず月餅が添えてありました。日本人よりよほど豊だなぁとも思いました。
さて、今旅行の主目的である法要は、2日目に執り行われました。
天台智者大師が天台山で修行をされた時の中心地は、山中の修禅寺という寺で(現在は跡地のみ)、その近くに「智者大師説法処」と刻まれた大岩があります。その場所は近年 石切場になり、その大岩自体も裏側の一部分の石が切り出されて、もう少しで破壊されてしまうところでした。天台大師1400年遠忌法要(H8)の一環として、日本天台宗の若手の僧侶がその保存事業に着手し、数年前には一応の完成をみて、あとは記念法要を執り行うのみとなっていました。
正面の大岩に「智者大師説法処」と刻まれている。左手前の石造りの建物を今回寄贈した。僧侶は右が中国、左が日本。 |
法要は夕暮れ間際の頃、山の端が少し赤みを帯びる中、中国側の読経・日本側の読経と合同で行われましたが、これまたすばらしい光景でした。
夜は、国清寺の招待で、精進中華料理。私が年賀状のやりとりをしている天台県中日友好協会の陳会長もわざわざ来訪してくれて、手を握り合って再会を喜びました。
4日目には、寝てもいられないような悪路をひた走って、宜昌郊外の玉泉寺を参拝。この寺は、天台大師が『摩訶止観』などを講じたというお寺。往復4時間ほどかけて行ったのに、フライトの関係で滞在時間はわずか40分のみと残念でしたが、1400余年前の光景を想像することができました。
中国へ行くのはこれが4回目ですが、行くたびにその変化の早さと大きさに驚かされます。
特に今回、高速道路網が非常に充実したこと、また上海が大変化した様子には驚嘆しました。上海には関空そっくりの新しい浦東国際空港が建設され、リニアモーターカーの路線が市内との間に建設されつつあります。市内には高層ビルや高級マンションが林立しています。
「中国には勝てないなぁ…」、それが正直な印象です。
中華料理を食べては移動するという繰り返しでしたが、楽しく、感慨深い、有意義な5日間でした。
一仕事終わって緊張が弛んだのか、風邪をひいてしまいました。
朝夕がめっきり涼しくなってきました。皆さんもご注意ください。