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今日の真如堂?


萩が満開。お隣の「萩の寺(迎稱寺)」

 金木犀の香りが漂うようになってきました。気持ちのいい秋の佳日。お彼岸も終わり、すっかり日も短くなりました。
 10月1日は仲秋の名月。昨夜も晴れ渡った空に、月光が冴えていました。お月見といえば、枯れ尾花、萩、そして団子? お酒?

 真如堂の北西に隣接する迎稱寺は「萩の寺」と呼ばれ、朽ちかけた土塀とその前に植えられた萩が咲く光景が、なんともしっとりした印象を与えてくれます。
 迎稱寺は時宗のお寺で、隣接する東北院や他2カ寺と共に「四軒寺」と呼ばれて、真如堂と共に御所の側から移転してきました。
 詩人の立原道造(1914-57)は、京都に立ち寄る時は、友人の下宿していたこの寺によく逗留したそうです。私は青春時代に、彼の詩をよくよみました。

 「草ひばり」というのは虫だそうですね。ちょうど今頃の季節に書かれたものでしょうか。詩が懐かしくなって、萩からずいぶん脱線してしまいました。


真如堂の萩と塔

 真如堂境内の萩もピークを少し過ぎました。ムクゲはまだ咲いているのですよ。萩の小さな花より、ムクゲの方が目立っているぐらいです。
 これから紅葉を迎えるまで、境内に目立った変化はありません。静かに静かに、一日一日、しかし着実に晩秋に向かって進んでいきます。

 アフガニスタン問題は大規模な軍事行動にはならないようですが、それでも尊い人命が聖戦・報復の名の下に奪われようとしています。
 西洋の価値観をイスラム世界に押しつけてきたアメリカの責任も大きいのではないだろうか、西洋の価値観を「正義」と混同してはいないだろうかと思います。
 お釈迦さまは、自らの国が攻められようとした時、路傍の枯れ木の下に静座して、1度は攻めてくる軍隊を止められました。2度目も止められますが、3度目は「釈迦族の宿縁をあきらかにみれば、滅びることは自分の力でも止められない」と止められず、生まれ育った国は滅んでしまいます。国王一家や王族などは闘うことをせず、出家して不殺生の戒を守ったもといわれています。
 事がここに至った経過をあきらかにながめれば、報復することでは何も解決しないことは確実です。「正義」に名を借りた殺人以外の何ものでもないのではないでしょうか。
 恨みをもって恨みに対すれば、恨みはやむことがありません。悲しみを転化させて平和を希求する行動こそが大切だと思います。

 10月初旬、法要のため、中国・天台山へ出張してきます(中国地方ではありません)。あちらの方が少し寒いみたいです。