年号 | 西暦 | 真 如 堂 関 係 事 項 |
承和 5 | 838 | 円仁、入唐求法の旅へ出発。 |
承和14 | 847 | 円仁、帰朝。 |
永観 2 | 984 | 戒算、延暦寺常行堂の阿弥陀如来像を、神楽岡東の東三条院の離宮に移座。 |
寛和 2 | 986 | 一條天皇即位。藤原詮子、皇太后になる。 |
正暦 2 | 991 | 藤原詮子出家し、東三条院と称する。 |
正暦 3 | 992 | 真如堂創建の宣旨下り、堂舎建立、寺観はじめて成る。 |
正暦 5 | 994 | 阿弥陀如来像を真如堂に遷御、本尊となす。
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長保 3 | 1001 | 東三条院没(40才)。
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天喜 1 | 1053 | 真如堂開山の戒算没(91才)。 |
治承 1 | 1177 | 治承の乱後、真如堂の堂宇荒廃するも、貞慶上人の勧進で復興。 |
文永 1 | 1264 | 安嘉門院、真如堂に摂津の庄を施入、父後高倉院の菩提を弔う。
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応仁 2 | 1468 | 8月3日、応仁の乱を避け、真如堂本尊、比叡山青竜寺に動座。 |
文明 2 | 1470 | 3月15日、真如堂本尊、江州穴大の宝光寺(穴太真如堂)に移座。 |
文明10 | 1478 | 3月26日(一説に文明9年3月26日)、真如堂本尊、穴太より洛中一条町(現在の元真如堂町)に遷座。 |
文明16 | 1484 | 5月6日、足利義政、真如堂本堂の旧地(神楽岡)への再建と本尊の帰座を命じ、6月1日帰座。6月11日、義政、真如堂へ灯明料として神楽岡東の花園田2町を寄付。 |
文明17 | 1485 | 3月2日、真如堂本堂立柱。 |
明応 2 | 1493 | 8月15日、新造なった真如堂本堂にて本尊遷座の供養法会を修す。 |
文亀 3 | 1503 | 3月2日、真如堂本尊開帳。 |
永正 7 | 1510 | 2月3日、「元三大師画像」(真正極楽寺蔵)修理。 |
永正12 | 1515 | 12月30日、室町幕府、真如堂に灯明料として神楽岡東花園田2町を安堵する。 |
永正16 | 1519 | 9月、「不動明王画像」(真正極楽寺蔵)修理。 |
大永 1 | 1521 | 8月29日、真如堂本堂落慶供養。導師青蓮院尊鎮、勅使蔵人右中弁柳原資定。足利義晴、これを祝して太刀一腰、馬一疋を進ず。 |
大永 2 | 1522 | 2月、定法寺公助、真如堂上葺に際して勧進文を草す。 |
大永 3 | 1523 | 閏3月2日、真如堂において勧進猿楽張行。 8月10日、三条西実隆、「真如堂縁起」下巻詞書6段分を揮亳。 |
大永 4 | 1524 | 8月15日、青蓮院尊鎮、「真如堂縁起」の奥責を記す。
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享禄 2 | 1529 | 4月9日、三条西実隆、「真如堂縁起」詞書を書き改む。 |
天文16 | 1547 | 閏7月24日、真如堂の本尊阿弥陀如来、小御所へ入参、その奉加に26日、太刀と千疋の折紙を賜わる。 |
天文17 | 1548 | 真如堂21世住持昭淳歿。 |
永禄10 | 1567 | 7月2日、将軍足利義昭の命により、真如堂、足利義輝の菩提所となり、室町勘解由小路の義輝邸址に移されることになるも、のちその地に義昭の邸が新築されることになったため、永禄12年2月30日、新しい寺地を一条通北(現存の元真如堂町)と定め、これに移転。
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天正15 | 1587 | 豊臣秀吉の聚楽第建設に伴い、真如堂、京極今出川に移転。
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慶長 9 | 1604 | 豊臣秀頼により真如堂本堂再建。 |
慶長19 | 1614 | 鐘楼再建。 |
寛文 1 | 1661 | 真如堂焼失 |
延宝 5 | 1677 | 1冊本『真如堂縁起之写』刊行 |
元禄 3 | 1690 | 真如堂再建。 |
元禄 5 | 1692 | 真如堂焼失。 |
元禄 6 | 1693 | 東山天皇の勅により、真如堂、現在の寺地に復す。3冊本『真如堂縁起』刊行。あわせて中院通躬、3冊本『真如堂縁起写』の書写を果たす。 |
元禄 8 | 1695 | 総門(中門)竣工。 |
元禄 9 | 1696 | 元三大師堂竣工。 |
元禄16 | 1703 | 真如堂上棟。 |
宝永 2 | 1705 | 真如堂、28世住持尊通の勧進によって現在の伽藍を建立。入仏供養。 |
宝永 6 | 1709 | 海北友賢、三井家の女性たちの寄進にかかる「大涅槃図」制作。
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延享 2 | 1745 | 宝蔵竣工。 |
宝暦 9 | 1759 | 鐘楼竣工。 |
安永 9 | 1780 | 千体地蔵堂竣工。 |
文化14 | 1817 | 三重塔竣工。 |