12/7版
今日の真如堂?


 散り忘れたもみじが風に揺れている境内。枯れ葉の掃除もほぼ終わって冬の様相ですが、「冬枯れ」というにはまだ早い、ちょっと中途半端な季節です。
 先日、雪がちらつき屋根が少し白くなりましたが、年2〜3回積もる雪はだいたい節分の頃。雪景色の真如堂も静かでいいですよ。


インド・ブダガヤの金剛宝座と菩提樹
ここでお釈迦さまは悟りを開かれたといいます
 さて、12月8日はお釈迦さまが悟りを開かれた「成道会(じょうどうえ)」です。真如堂では特別な行事はありませんが、せっかくの聖日ですので、そのことを今日は書かせていただきましょう。

 お釈迦さまがインドの小国の王子として生まれながら、人生に無常を感じて出家されたことはご存じの方も多いと思います。
 出家の後、お釈迦さまはあらゆる苦行を死を賭して徹底的にされました。その間6年、体はやせ衰え、皮膚は死灰のようになったといいます。それでも悟りを開けなかった釈尊は、苦行が悟りへの道ではないことを知り、思索に耽られます。
 まず垢づき衰弱した体をネイランジャナーの水で清め、スジャーターの拝げる乳粥によって、気力・体力を取り戻し、菩提樹のもとに座って、真理を悟るまでここを立たないと決心して瞑想の境地に入られます。
 7日間の思惟観察を末、お釈迦さまはついに人間の苦悩からの解放、すなわち「悟り」を開くに至られます。時に釈尊35・36才の時、インド暦の2月8日、暁天に明星の輝く頃と伝えられ、日本では12月8日をあてています。
 釈尊の悟りの出発点は、いかなる存在も生滅変化するものであり(「諸行無常」)、そこに永遠に本体として存続するものはなく(「諸法無我」)、あらゆる生存はすべて苦である(「一切皆苦」)、とする深い自覚でした。釈尊は瞑想において、人間存在の苦悩(苦)と苦の起こる原因(実)、苦の超克(滅)、苦の超克に至る道(道)の四種の真理(「四諦」)を観じ、それが人間の限りなく深い欲望である渇愛に原因があることを感じられました。そしてさらに思索を進め、苦たる存在を超越されました。

 こんなふうに書くとやけに難しいですが、初期の経典を読むと、とても現実に即していて、ある者が質問しそれにお釈迦さまがこたえるという形式で、その人その人に応じた回答をされています。
 今の仏教もわけのわからないことような難しいことをいきなり言うのではなく、そういうアプローチが不可欠なんだと思います。
 そのためには、お坊さんそれぞれが大きな智慧の蔵を持っていないとダメですねぇ。