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今日の真如堂?


 今日からお彼岸。私の部屋は2方をお墓に囲まれているのですが、朝早くから墓参の人の声が絶えません。
 彼岸花も今が満開。今年は開花が早かったので、今月26日の彼岸が終わる日まではもたないでしょう。
 彼岸というのは、春は春分の日、秋は秋分の日。共に昼と夜の長さが同じにであるわけですが、この科学的というか、天文学的なことが、仏教行事の彼岸とも関係しています。というのは、両日とも、太陽は真西に沈みます。
 『観無量寿経』には、太陽の沈む方角に極楽浄土を想い、浄土に生まれることを願う「日想観」というイメージ療法のようなことが書かれています。このお経には、「阿闍世(アジャセ)」という人などが登場しますが、この名前は心理学に詳しい人はご存じかも知れません。
 さて、それで、彼岸には太陽が真西に沈むわけですから、この日想観には最適な日であると言えます。このことを考慮してお寺を建てたところも多くあります。例えば大阪の四天王寺。彼岸の日、難波の海に沈む太陽の赤い光が西門を通って境内に差し込んだと言われます。また、兵庫県の浄土寺は、回りにため池を効果的に配して、お堂の裏扉を開けると、夕暮れの光が大きな弥陀三尊の後ろから後光のように差し込むようになっています。
 「彼岸」は、サンスクリットの「パーラミター」に由来します。般若心経でも「般若 波羅密多」という節がありますが、このことです。意味は「涅槃の岸に到る」ということ。この世が「此岸」で、悟りの世界が「彼岸」なわけです。で、そういう悟りの世界に精進修行して行きましょうというのが、彼岸の行事の起こりです。
 今では、お墓参りや先祖供養が主ですが、「六波羅密」という正しい行いをすることが本来の彼岸のあり方です。
 「六波羅密」とは、
  ○布施(ふせ)   − めぐみあい
  ○持戒(じかい)  − 規律ある生活
  ○忍辱(にんにく) − 耐え忍び、許し合う
  ○精進(しょうじん)− 勤め励む
  ○禅定(ぜんじょう)− 心を静かに安定させる
  ○般若(はんにゃ) − 正しい智慧をみがく
のことです。
 なかなか難しいことばかりですが、もし晴れた日に夕焼けが見られるなら、じっと夕日を見つめて心を遠く西方に馳せてみてはいかがでしょう。あたたかい光に包み込まれていくような素晴らしい体験が出来るかも…。

 前回予告したチベット旅行記はただいま制作中。今日程的には3/4のところまで書きましたが、すでに400字詰原稿用紙で50枚分を突破。「こんな長い旅行記誰が読んでくれる」と思いつつ、今更止めるのも勿体なく続けています。今月いっぱいはかかりそうです。